『星の海を駆ける 新世代スペース・オペラ傑作選』(2024)ジョナサン・ストラーン/編(2026年3月/東京創元社)2026-07-16 20:48

『星の海を駆ける 新世代スペース・オペラ傑作選』
 1964年北アイルランドのベルファスト生まれ、現在はオーストラリア在住の編集者ジョナサン・ストラーンは、今最も信頼できるSFアンソロジストである。SFに関する該博な知識と深い愛情をもとに、幅広い視点から作品を選ぶ姿勢には常に感嘆させられる。何よりSFの歴史や先達に対する敬意が感じられる点が素晴らしい。本書の序文においても、ストラーンは、E・E・スミス、ハミルトンやヴォークトに始まるスペース・オペラの歴史を丁寧に辿りながら、『デューン』『神の目の小さな塵』といった60年代、70年代の作品、M・ジョン・ハリスンの The Centauri Device からイアン・M・バンクスの《カルチャー》シリーズといったイギリスSFの流れを押さえていく。チェリイとビジョルドを「批評的観点において重要な作家」と位置づけているのも意外で面白い。ストラーンが述べているように、2000年代半ばには、アレステア・レナルズやマコーリイら当時の新鋭による宇宙を舞台にした力作が続々と発表されて「ニュー・スペース・オペラ」と呼称された。アメリカの情報誌〈ローカス〉は2003年8月号で特集を組んでいる(日本でもレナルズなどかなり翻訳され〈SFマガジン〉が2005年12月号で「ニュー・スペース・オペラ特集」を組むなど、それなりの盛り上がりはあった)。ストラーンも、2007年と2009年にアンソロジー The New Space Opera とその続編をドゾワとともに編集して、ブームの盛り上げに一役買っている。このようにジャンル内では非常に盛り上がった「ニュー・スペース・オペラ」だったが、サイバーパンクのようなジャンル外への広がりはなかったように思われる。その後はどうなったのか。もちろん2010年代から2020年代にかけてもスペース・オペラは書き継がれ、新しい作家も続々と現れた。『叛逆航路』(2013)のアン・レッキー、『ナインフォックスの覚醒』(2016)のユーン・ハ・リー、『帝国という名の記憶』(2019)のアーカディー・マーティーンらはいずれも大宇宙を舞台にした冒険SFの優れた書き手であり、スペース・オペラの正当な継承者と言えるだろう。

 本書は、レナルズら「ニュー・スペース・オペラ」世代から、こうした新しい世代の作家たちまでの2010年代の作品を幅広く収録し、さながら2010年代海外SF傑作選と言い換えてもおかしくないほど、SFの現在を代表する作家たちが勢ぞろいした秀逸な作品集となっている。
 以下、14編中、印象に残った作品を紹介しておく。

「禅と宇宙船修理技術」(2017)トバイアス・S・バッケル(生年1979-)
 敵との激しい戦闘が終わり勝利に沸き立つ中、肉体を捨てて蟹状整備形態ロボットとなり思考体として存在している「私」は、敵のCEOアーマンドに遭遇する。瀕死状態であったアーマンドに命令され、逆らえない私は彼を救うことになる。アーマンドは〈人類真形態〉の一員で、自己の肉体を保存することを何より重要視しているのだ。肉体と精神の対立に経済的対立(株主と労働者)が重ね合わされ、軍隊が一種の経済組織として存在しているという独自の設定が興味深い。禁じられている物質をこっそりコレクションしており、最後にはアーマンドに一矢報いるなど、妙に人間臭い「私」のキャラクターも魅力的だ。幅数千キロの三連回転リング、空中に浮かぶ都市、エクサジュールのエネルギー、ピコテクノロジー(もはやナノテクは旧式となっている)など惜しげもなく繰り出される大道具やアイディアも実に楽しく、同設定の物語をもっと読んでみたいという気にさせられた。

「ベラドンナの夜」(2017)アレステア・レナルズ(1966-)
 銀河に様々な系統に分化した人類が広がっている遠未来。二十万年がかりの銀河周回を終えた人々が集まる千夜祭がティアス星で開かれ、オジギソウ系統のシャウラも参加する。リンドウ系統のマンテマが自分を明らかに無視しているにもかかわらず、部屋の前にベラドンナの花を毎晩置いていることに気づいたシャウラは、真意をマンテマに問うが……。煌びやかな舞台装置、次々と繰り出される独自の用語、そして揺らいでいく現実。短いながら『反転領域』にも通じるレナルズの特色がよく発揮されている好編だ。

「金属は暗闇の血のごとく」(2020)T・キングフィッシャー(1977-)
 はるかな昔、ある惑星に一人で住む老人によって作られた善良な二体の巨大ロボット、ブラザーとシスターは、ナノマシンによって金属を食べて自分の身体を作り変えることができた。心臓病を患った老人は救援を呼び、悪い人間に会わないように二体を宇宙へ逃がす。しかし、二体は小惑星帯で、邪悪な第三ドローンに捕獲されてしまう。どうやって二体がドローンから逃れるかが本編の読みどころ。邪悪な存在に善が勝つためには、少しの悪が必要だというメッセージが打ち出され、ファンタジーで多くの賞を受賞してきた作者ならではのストーリーテリングの上手さが光る作品だ。

「包嚢」(2012)アリエット・ド・ボダール(1982-)
 ボダールの邦訳短編集『茶匠と探偵』にも収録された作者の出世作で、2013年度のネビュラ賞を受賞している。星間勢力ギャラクティックから独立した〈長寿ステーション〉では、包嚢(イマーサー)と呼ばれる化身を人々がまとっている。ネットワーク接続された金属のメッシュを頭に載せて脳を同調させることにより、外見だけでなく、言語、身ぶり、習慣など異文化の特徴をまるごと再現できるのだ。〈長寿ステーション〉で暮らすロン族のキュイは、訪れたギャラクティックの客人の妻が同族であることを見抜き、救い出そうとする……。欧米社会に抑圧されてきたアジア系民族の自立と、男性に抑圧される女性の自立とをともに核にもった作品で、もやのようにまとわりついてくる支配民族(あるいは男性)の価値観を包嚢(イマーサー)で見事に表象し、妻の自立とキュイの自立が重ね合わされる結末までを、匂い立つような独自の文体で描き出している。

「善き異端者」(2019)ベッキー・チェンバーズ(1985-)
 銀河系内のいくつもの種族が、同盟を結んで銀河共同体(GC)を構成している世界。主人公マスが所属するシアナット族は、ある年齢に達するとウィスパラーと呼ばれるウイルスに感染し、脳を組み替えて能力を増すようになっている。感染を拒否する者は異端者と言われ、別の惑星に流罪となる。感染する日を楽しみにして迎えたマスだったが……。毛皮を持ちネコずわりをする異星種族の話であるにもかかわらず、異端者になることの疎外感と苦しみ、そして結末での癒しが、まるで自分のことのように胸に迫ってくる。作者の他の作品同様、とても読みやすく、温かな眼差しに満ちている感動作だ。

「惑星執着者」(2023)サム・J・ミラー(1979-)
 ゲートでつながった十二の銀河に九千万の人類が入植している遥かな未来。男娼のアランは、休暇中にメネリク・スターションで元兵士の武器商人二人と知り合いになり、親密になる。二人から得た情報を売りに行った先で、アランは通信が途絶し到達不能になっている自身の出身惑星ウクバルの硬貨を見つける。誰がこれを持っていたのか、探索を始めたアランを待ち受けていたものは……。魅力的な舞台設定、陰のある主人公、二転三転するストーリー展開に派手な戦闘シーンも加わり、これぞニュー・スペース・オペラといった感じの作品だ。故郷を求め続ける〈惑星執着者〉アランの気持ちが痛いほど伝わってくる。

「スキーズブラズニルの最後の旅」(2019)カリン・ティドベック(1977-)
 突如としてヤドカリ船が人類の前に到来し、宇宙航行は新たな次元に入った。ヤドカリ船とは一種の生体宇宙船で、中に巨大なヤドカリのような異星生命体が入っており、異次元を航行することで深宇宙を旅することができる。幼い頃から冒険を夢見てきたサガは、自分の村にヤドカリ船〈スキーズブラズニル〉が訪れ、修理工を募集してきたことをきっかけに、船に乗り込み、冒険の旅に出る……。謎多き生命体であるヤドカリとコミュニケーションできる機関士ノヴィク、SFドラマに夢中な主人公サガなどのキャラがそれぞれいい味を出している。その架空SFドラマ『アンドロメダ・ステーション』のエピソードがいくつか紹介されているが、これも実に面白く、ぜひとも作者にノヴェライズしてもらいたいほどの出来の良さ。理屈抜きで楽しめる作品に仕上がっている。

 以上7編が筆者の印象に残った作品である。これで全体の半分となるが、他の作品(作家名だけ挙げておくと、ユーン・ハ・リー、アーカディー・マーティン、チャーリー・ジェーン・アンダーズ、セス・ディキンソン、ラヴィ・ティドハー、アーニャ・ジョアンナ・デニーロ、アン・レッキー)ももちろん楽しめるものに仕上がっている。最近のSFはどうなっているのかを概観するにもぴったりのアンソロジーであり、初心者にも、最近SFから遠ざかっていたベテランの読者にも、等しくお勧めできる作品集だ。

『名古屋SFアンソロジー』(発行人・阿下潮/2026年5月4日刊行)2026-07-14 10:13

名古屋SFアンソロジー
 近年ローカルSFアンソロジーがいくつも刊行されている中、待望の『名古屋SFアンソロジー』が5月に刊行された。個人出版によるものだが、太田忠司氏、十三不塔氏ら名古屋出身・在住のプロ作家も寄稿しており、ハイ・レベルの作品集となっている。刊行を記念して、編者の阿下潮氏、解説の人間六度氏(名古屋市出身)、作品寄稿者である十三不塔氏(同)によるトークイベントが7月4日に名古屋の揚輝荘で行われ(名古屋の古書店 henn books 主催)、筆者も参加してきたので、そこで聞いた話も交えながら、本書を紹介していきたい。

 本書刊行のきっかけは、『大阪SFアンソロジー』(Kaguya Books/2023)『京都SFアンソロジー』(同/2023)『東京下町SFアンソロジー』(同/2024)などの地域SFアンソロジーの刊行に刺激された阿下氏が、2025年5月にX(元twitter)で「名古屋SF描きたいよね」とつぶやいたことらしい。地域SFアンソロジーにおいても名古屋飛ばしが行われていたのだから、氏の憤懣ももっともなことである。これに2万ビュー越えの反応があり作成が決定。原稿募集をかけたところ、全23編が集まり、そこから厳選した13編を本書に収録したとのこと。

 それにしても、名古屋SFアンソロジーがなかなか編まれなかったのは、名古屋という土地の持つ無個性さ、関東と関西という二極に分かれた文化的特性のどちらでもありどちらでもないという曖昧さが要因の一つにあることは間違いないだろう。人間六度氏が解説に書き、トークイベントでも述べていたように、名古屋には「何もない」とよく言われる。それはある程度満たされているために「帰属意識に縋らなければならない逼迫感がないのだ」(本書解説)と氏は述べているが、おそらくそれは正しい。古い作品になるが、同じく名古屋出身の作家、清水義範が名作「蕎麦ときしめん」(1984)の中で、名古屋人を「きしめん」にたとえ、個人(めん)が社会(汁)の中にどっぷりとつかっており個が喪失し社会へ埋没していると指摘し(汁と分離された「蕎麦」はもちろん東京人のアイデンティティ確立を示す)、その要因として、土地が豊かで食うことに困らず、住環境にも恵まれていることを挙げていたことが思い起こされる。40年前の作品ではあるが、その主張は今でも有効ではないだろうか。

 これをSFと結びつけて考えれば、満たされているがゆえに、SFの本質的な特質と言うべき「進取の気性」や「フロンティア精神」と絡んでこないのが、名古屋という地域の特色であり、名古屋SFの難しさであったかもしれない。

 さて、本書に集められた名古屋SFは、その困難をどのように乗り越えているのか、または特に乗り越えようとすることもなく自然体で名古屋とSFを結びつけているのか、順に見ていきたい。
※「タイトル」作者【名古屋のトピックス×SF的アイディア】を示したうえで、感想を記した。

「お前の血は何味噌だ」秋待諷月【赤味噌・赤だし味噌×新型ウイルス】
 新型のMISOウイルスにより血液中に「血噌(けっそ)」という成分が新たに作られ、その感染者が味噌依存症になるというユニークなアイディアをもとに展開される切れ味鋭い奇想SF。患者が普段摂取している味噌の種類によって、依存する味噌の種類も決まるので、当然名古屋を中心とする東海地方在住民は「赤味噌」または「赤だし味噌」(両者は異なるので要注意)依存となる。これだけでも十分面白いのに、さらに死亡率の高い新型ウイルスとMISOウイルスを組み合わせることで、何にでも赤味噌をかけると揶揄されていた名古屋人の最底辺カーストを上位へとひっくり返したところに本篇の真骨頂があると言えよう。SF的な装置を使うことで、普段から優越感と劣等感が入り混じっている名古屋人の複雑な気持ちを見事にすくい取ってみせた、痛快な作品だ。

「聖なる干潟とサンセット」坂乃水【藤前干潟×〈渡り〉】
 豊かな生態系を保持してきた藤前干潟の保存運動に関わった老婦人の思い出を「私」が聞くという構成を通じて、干潟保存の意義と個人の想いを残すことの意味が重ね合わされていく……。本書には、実際の名古屋の史跡や歴史を語ることに主眼を置いた作品がいくつかあるが、本篇もその一つとなる。『万葉集』で干潟の美しさを詠んだ高市黒人の和歌を引きながら、落ち着いた語り口で読ませる作品だ。SF度は低いものの、最後に、ある仕掛けが施されている。何の〈渡り〉かは実際に読んで確かめてみてほしい。

「まあいっぺん天下布武」太田忠司【織田信長×AI・クローン技術】
 題名通り「まあいっぺん天下布武」というスローガンを無意味に繰り返して当選した名古屋市長(名古屋弁丸出しの下品な口調に、名古屋市民はK村元市長を連想せざるを得ない)に、AIとクローン技術を使って織田信長が現代に甦ったら……というアイディアを絡めて描いた作品。政治家の愚かさを思い切り皮肉ってみせる手際の鮮やかさは流石の一言。

「アイを受け取るもの」阿下潮【ナナちゃん人形×怪獣】
 突然謎の怪獣が名古屋に飛来し、ミッドランドスクエアに取りついてビルを蹴って跳躍する。ビルは大名古屋ビルヂングに倒れ込み、次々とゲートタワー、セントラルタワーが崩壊していく……。本書中最大のスペクタクルが展開していくが、むしろ作者の狙いはそこにはなく、すべての人々を精神的に飲み込もうとする怪獣に対峙し、一体化を拒否する「ナナちゃん人形」の雄姿と強靭な意思を描くことにある。それぞれの独立した個性を大切にしていこう、その象徴としてのナナちゃん人形を大事にしていこうという作者の想いがひしひしと伝わってくる好篇である。

「ギャラクティック☆レイヤー」日比野心労【コスプレサミット×異星人】
 名古屋では毎年大須と栄で「世界コスプレサミット」が開かれているが、これが宇宙規模に拡大されたら……という発想で描かれた楽しい作品。名古屋で開催される「銀河コスプレサミット」において、タコ型異星人による審査妨害が発生。運営委員会は改善のため、還暦を迎えた往年の名コスプレイヤー2名を招く……。作者はコスプレ好きの高校生がご当地ヒーロー復活に挑む「県北戦士アガキタイオン」(舞台は新潟)を執筆しており、本篇に登場する「アガキタイオン」のコスプレは、この自作をもとにしているようだ。とは言え、食い逃げ犯の宇宙海賊の名前などに名古屋ネタもしっかり入れており、経緯を知らなくとも楽しめる作品に仕上がっている。

「天満宮の封印」武石勝義【上野天満宮×アマツカミとの戦い】
 ひょっとして名古屋市民以外には余り知られていないかもしれないが、平安時代に安倍清明は一時名古屋に住んでいたことがあると言われており、千種区の清明神社や清明町という地名にその名残がある。また、その際に清明一族が菅原道真の霊を祀った神社を建て、それが現在も千種区にある上野天満宮だと伝わっている。この伝承を踏まえて、今も続く人類とアマツカミとの争いを描き、日本中を駆け回ってアマツカミを封印してきた父が、名古屋に家を建てた息子に自らの人生を語るというのが本篇の構成である。父と子のすれ違いが現代風で面白く、本来は降臨するはずだった神の名前など細かな設定もよく出来ている。

「人鳥たちの四半世紀天下」七名菜々【名古屋港水族館×気候変動】
 2025年、突如地球に氷河期が訪れるが、名古屋港水族館のペンギンたちは生き延び、天へのメッセージを送る……。科学的な設定や説得力は皆無なので、一つの寓話として読むべき作品だろう。かわいいペンギンたちの会話は存分に楽しめる。

「かつて名古屋は地上にあった」偲凪生【地下街×気候変動】
 こちらは逆に暑くなりすぎて地下に避難した名古屋市民を描いている。2030年に地下に移住してから20年が過ぎ、新卒公務員の主人公は地上課に配属され、研修を受ける。地上には土を食べる異種族ツチクレが生息しており、公務員はヒーローとともに異種族と戦うのだ……。楽しめる作品ではあるが、ツチクレとは何か、200万市民はどのように地下に移住したのかなど、もう少し読者に説明が欲しかった。

「名古屋金シャチ盗難伝説」山本倫木【名古屋城×指向性エネルギー波】
 岐阜を愛する岐大生が、名古屋城の金シャチを岐阜城に据えつけようと画策する話。少し未来の設定だが、この時代の金シャチは尻尾から水を噴出するように細工されている。これは実際にありそうな話で、面白いと思わされた。岐阜城に金シャチが取りつけられた(ように見える)場面では、ハイ・テクノロジーが効果的に使われている。

「本山原人の逆襲」淡中圏【本山原人×名大農学部の拡張】
 名古屋大学に通う学生が広いキャンパス内を歩き回る話で、SF度は薄い。あえて言えば、近未来の名大農学部が東山動植物園を併合し実験動植物が流出したという設定にSFらしさがあると言えばあるが、それが間接的にしか物語に関わってこない点には不満が残る。本山原人というのは、1980年代前半に名古屋大学(当時の最寄り駅は「本山」)にうようよしていたファッション・センス皆無の男子大学生を揶揄して言った言葉。それももはや時の彼方の出来事であって、よくもまあ、このような言葉を引っ張り出してきたなと、当時本山原人と言われた筆者にとっては大変感慨深いものがある。第15回創元SF短編賞受賞の稲田一声氏が名大出身ということを知れたのは収穫であった。

「激走ドラゴンロード超!!」十三不塔【基幹バスレーン×交通寄生体】
 名古屋には全国でも珍しく、市バスが道路の中央を走るバス路線が存在する。それが本篇の舞台である名古屋市営バス基幹2号系統、通称「基幹バスレーン」である。バスの乗客にとっては遅延なく進む路線であり、メリットが大きいが、横を走る自動車にとっては右折がしづらく、またレーンが空いていると自動車の出入りが常に発生し、危険極まりない。作中では、これを〈不条理な交通システム〉と呼び、ドライバーの混乱や焦燥などのネガティブな感情を取り込む交通寄生体なる存在を仮定しているが、これは実に秀逸な発想で、全国に存在する〈不条理な交通システム〉には必ず交通寄生体が裏にいるのだと言われると、なるほどそうかと納得してしまうほどの説得力がある。接客が苦手な女性タクシードライバー、むっちゃんのキャラも味があり、奇想SFとしてはもちろん、タイムトラベルを絡めた亡き夫をめぐる人情ものとしても読める、実に楽しい作品だ。

「ヴァイパーインフレーション」萬朶維基【蛇池(じゃいけ)×くずし字解読支援AI】
 名古屋市西区比良には織田信長が大蛇を探したが見つけられなかったという蛇池(じゃいけ)及び蛇池神社がある。作者は、この蛇池伝説と、くずし字を読むための支援AI「ヨンデルー」とを効果的に結びつけて、ぞっとする物語を紡いでみせる。歴史小説の部分と支援AIの科学的アイディアがともにしっかりと描かれているため、現実に浮かび上がる大蛇にリアリティが生まれ、話に説得力がある。作者の筆力をうかがうことができる一作だ。

「セーラー服の白線が伸びる先に」長尾たぐい【熱田空襲×未来への思い】
 第二次大戦時の空襲被害と言えば、1945年3月10日の東京大空襲(死者10万人)がまず挙げられるが、名古屋で言えば、1945年6月9日の熱田空襲(死者2000人)を忘れることはできない。一度出た警報が解除されて皆が職場に戻ったあとの突然の空襲であったこともあり、わずか10分足らずの間に2000人近くの死者が出たと言われている。工場に動員されていた多数の学生の犠牲があったことも記憶すべきだ。本篇は、熱田の軍需工場を回診している女医と動員された学徒との交流を描く。丁寧に取材したと思われ、4月から空襲当日までの日々が見事に再現されている。女医が亡くした娘の面影を回診先の女子高生に重ね、自由と未来について語る場面にはとりわけ心を打たれた。過去の上に現在は作られる。過去が見た未来に、果たして現在はふさわしい時代になっているのか、過去に逆行してはいないかを深く問いかけているように思われた。

 以上13編、奇想あり、寓話あり、特撮あり、歴史あり、戦争ありで、実にバラエティに富んだアンソロジーとなっている。名古屋のトピックスもふんだんに盛り込まれ、名古屋を知らない人への名古屋案内といった役割も果たしてくれそうだ。集中のベストを選ぶとすると、奇想SFとしての完成度の高さから「お前の血は何味噌だ」「激走ドラゴンロード超!!」の二篇、戦争の重みが伝わる「セーラー服の白線が伸びる先に」の一篇、計三篇となるだろうか。もちろん他の作品も十分楽しめるので、ぜひご一読をお勧めしたい。

 今回アンソロジーでは取り上げられなかった名古屋ネタもまだまだあると思う。食べ物関係で言えば、ウナギの味変が楽しめる伝統の「ひつまぶし」、藤井聡太がおやつに食したことで一躍名を挙げた「ぴよりん」。建築関係なら、トークライブの舞台となった「揚輝荘」、朝ドラ『虎に翼』のロケ地にも選ばれた「名古屋市政資料館」、川上貞奴邸を移築した「ぶんかのみち二葉館」。お寺関係では、日本で唯一釈迦の仏舎利(遺骨)を収めている「日泰寺」、高さ十五メートルを誇る名古屋大仏で有名な「桃厳寺」、岡本太郎作成、大胆なデザインが観る人の度肝を抜く「歓喜」という鐘がある「久国寺」など、小説のネタになりそうな題材が名古屋には多数ある。トークライブにて刊行が予告された『名古屋SFアンソロジー2(2とつけるとよくないらしいので、多分別タイトルになる予定)』に大いに期待したい。

『地球の鏡の中で イアン・ワトスン奇想短編集』イアン・ワトスン(2025年10月/Vitamin SF picopublishing/本城雅之・木下充矢・訳)2025-11-07 21:49

 本書は自費出版により刊行されたイアン・ワトスンの短篇集であり、1975年から1990年にかけての7篇を収めている。発行元は〈Vitamin SF picopublishing〉。かつて〈Vitamin SF〉という正会誌を発行していた神戸大学SF研究会のOBから成る団体で、ワトスンにコンタクトをとり、正式に翻訳権を取得しての出版であると言う。翻訳出版全体が沈下傾向にあり、部数が少ないために単価が高くなっている現在、このように従来とは異なる形で海外SFが刊行されることの意義は大変大きく、賞賛すべき偉業と言えるだろう。2020年にも、翻訳権を取得したうえでの自費出版としてキース・ロバーツ『モリー・ゼロ』が翻訳刊行されており(蛸井潔・訳/発行)、このような形での刊行が今後も増えていくのではないか。というか、増えていってほしい。70年代から80年代、90年代にかけての海外SFには、まだまだ埋もれた作品が多くあり、わずかながらかもしれないが、翻訳の需要はあると思われるためである。

 さて、ワトスンの翻訳は今までに長篇8冊、短篇集1冊が刊行されているが、近年は翻訳が途絶えていた。2010年に『ここがウィネトカなら、きみはジュディ』に収録された「彼らの生涯の最愛の時」(大森望・訳)を最後に、15年間翻訳されることはなかった。ところが、今年(2025年)になって、アトリエサード発行の雑誌〈ナイトランド・クォータリー〉39号に「慰めの散歩」(大和田始・訳)が掲載され、本書も刊行されるといった具合に、ワトスン祭りとも言うべき様相を呈している。実に喜ばしいことだ。これが一時のもので終わらないように、ぜひとも興味をもった方は、本書を購入して実際に読んでみてほしい。奇才ワトスンの筆の冴えが存分に味わえるはずである。購入先は以下のとおり。

https://booth.pm/ja/items/7532963

 それでは、以下収録順に紹介し、コメントをつけていく。

「免疫の夢」(1978年)
 イギリスで癌研究に取り組むローゼンは、免疫系が上位システムである心と深く結びついており、免疫系が見せる夢によって癌の発症を予測できると固く信じている。フランスの睡眠研究者ティボーの理論によれば、後橋脳領域は筋肉への夢の信号をオフにする機能をもつため、ここを切除すれば夢がそのまま筋肉へ伝わり、行動として現れる。夢は遺伝子の制御テープであり、癌は遺伝子型の複製を品質管理するために存在するとティボーは言う。ティボーの研究室で実際に後橋脳領域を切除された猫を見せられたローゼンは、自分も後橋脳領域を切除することで、ティボーの理論を実証しようとする。そのためには、フランスやイギリスではなくモロッコに行かなくてはならない。ローゼンは手術の前に、ある恐ろしい行動を取ってしまう……。狂人的な観念に取りつかれた男の悲劇を描いた、いかにもワトスンらしい作品。ブラックライトの中でうごめく猫たちがホラー風味を増している。

「ジェインといっしょに鉱泉室(ポンプ・ルーム)へ」(1975年)
 8年前にロマンスが芽生えかけたが、別れてしまったジェインとフレデリック。二級船員だったフレデリックは、今や艦長となり氷山曳航船を率いている。この時代、気温は上昇し大気は汚れ、氷山曳航船が南氷洋から運んでくる氷が大変貴重なものとして国に届けられ、人々に配給される水のもとになっている。配給は鉱泉室(ポンプ・ルーム)で行われるが、上流階級でないジェインと母はいつも混雑する時間を割り当てられている。フレデリックと再会したジェイン母娘は、彼に便宜を計ってもらい、上流階級用の時間に変更してもらう。再びロマンスの予感が漂うが……。ジェインの見ている世界と現実世界との落差が読者に衝撃を与える、プリーストばりの一作。

「帰郷」(1982年)
 ソビエト連邦とアメリカの冷戦が続いていた時代。ついにアメリカはあらゆる生き物を強力な放射線で殺戮する「超放射能爆弾(SRB)」をソ連に打ち込み、逆にソ連はあらゆる人工物を消し去ってしまう「社会主義者爆弾(SOB)」をアメリカに打ち込んだ。結果として、ソ連の人々はみな死に絶え、アメリカの物資はすべてなくなってしまう。残されたソビエト海軍の船を使ってアメリカの生存者はソ連へと渡り、そこで生活を始める。ところが、暮らしているうちに、徐々に名前も心もソ連風に変化していき……。強烈な皮肉が炸裂する寓話的な一篇。困窮したアメリカをどこの国も救おうとしないという展開からは、強権を振りかざし自国中心に振る舞うアメリカの一面は当時も今も変わらないことが。

「オオカミの日」(1983年)
 イギリスの田舎村に絶滅寸前のオオカミを移住させるが、村の人々はそれを快く思っていない。老婆がオオカミに食われたという孫娘の話を聞いて、真偽を疑う管理官のジョシュアだが、老いたオオカミが目の前に出現し、老婆の姿をその中に見る。ジョシュアは結局はオオカミを射殺してしまうが、オオカミを保護する立場にあるため、そのことは誰にも言えない。赤ずきんの変奏という形をとって、自然と人間の対立を幻想風味で描いた異色作となっている。

「地球の鏡の中で」(1983年)
 世界の主要な都市が水没し人口が二十億しかいない未来、人々は眠らないように身体が変容していた。その中でも一日に8時間眠ることができる者は〈眠る人〉と呼ばれ、夢を現実化する能力をもつため、特別待遇を受けている。〈眠る人〉は世界に6人しかいない。主人公のトマス・ダクィーノは7人目の〈眠る人〉であるラウィーノを発見し、ともに暮らすようになるが……。ワトスンの奇想が遺憾なく発揮された一篇で、夢の大規模投射というメインアイディアにはプリースト『ドリームマシン』からの影響も垣間見える。語り手の名が『神学大全』を著し、キリスト教とギリシア自然科学を結合させて後の科学革命の基礎を築いたトマス・アクィナスと同一なのは偶然ではないだろう。〈眠る人〉が行っているのは、いわゆるキリスト教的な奇蹟であり、そこから啓示を受けてトマスが作ろうとしているのは、エッフェル塔にも似た近代的建造物なのである。

「スターリンの涙」(1990年)
 地図作成部に勤務する検閲官ワレンチン大佐は検閲局長ミロフから二年以内に本当の全国地図を作成することを命じられる。語学に堪能な地理学院卒業生グルーシャとともに仕事を始めるが、期間内に任務を達成することは困難だ。実は、オリジナルの地図はすべて裁断されて残っておらず、作成部が作って来たのは偽の地図に過ぎなかった。そして、偽の地図の死角に当たる場所に、時間を超えた不思議な空間が存在する。そこでは若返ることができたり、体内からエクトプラズムを発生する女性がいたりするのだ。行方不明となったグルーシャを探すため、ワレンチンとミロフはその空間に入り込み、不思議な形で死と再生を経験する……。表面に模様を描いた卵が果たす象徴的な役割が強い印象を残す作品だ。

「アーヤトッラーの眼」(1990年)
 イラクとの戦争で右目と顔の一部を失ったイラン人のアリは、戦争終結後に亡くなった指導者アーヤトッラーの遺体から人々が屍衣をはぎ取るのに交じって偶然片目をつかみ、その目玉を持って来てしまう。ホルマリン漬けにして目を保存するうちに、アリは〈悪魔の作家〉を探すプロジェクトに参加し、人工眼を右目に装着して、人工衛星からの映像を見るようになる。ようやくスコットランド沖の島で作家を見つけ、そこへ向かうが……。アーヤトッラーとは1989年に亡くなったイランの指導者ホメイニ師の尊称であり、〈悪魔の作家〉とは、ホメイニ師が亡くなる直前にイスラム教を揶揄しているとして死刑宣告を与えた作家のサルマン・ルシュディ(ラシュディ)を指していることは明らかだ。この死刑宣告はファトワー(布告、勧告)として出され、出した本人しか撤回できない。ホメイニは宣告したまま亡くなってしまったので、死刑宣告は今でも有効であると考える者がおり、実際に2022年にルシュディはイスラム教徒に襲われ、瀕死の重傷を負い、片目を失明した。ワトスンの想像力が現実に先行した展開を示していることが実に興味深い。ただし、襲撃者のとった行動は真逆であり、そこにワトスンなりの宗教観がにじみ出ていると言えるだろう。

 以上7篇、いずれも大変内容の密度が濃く、表面的に読んだだけでは内容が理解できないものが多い。じっくりと読んで考え、事実を調べて小説と照合して初めて、こういうことかなと腑に落ちる。または、もやもやが残ったままになる。しかし、実はそれこそが小説を読む醍醐味ではないのか。1980年に『超低速時間移行機』を読んで大きな衝撃を受けて以来、ワトスンは自分にとって、常に重要な作家であり続けてきた。こうして、久しぶりにまとまった数の作品、しかも歯ごたえ十分の作品を読んで、ワトスンらしさを存分に味わうことができた。巻末のリストによれば、1990年以降も、ワトスンは多くの長篇とともに年に数篇の短篇を現在に至るまで発表してきたことがわかる。長篇は難しいと思うので、ぜひとも本書の刊行者=訳者には、1990年以降の短篇も訳していってほしい。それだけの価値はある作家だと思うのは筆者だけではないはずだ。

『嘘つき姫』坂崎かおる(2024年3月/河出書房新社)2025-08-01 10:03

『嘘つき姫』坂崎かおる
 本書は、二〇二〇年に「リモート」で第1回かぐやSFコンテストの審査員特別賞を受賞し、以後多くの文学賞で受賞・入賞を果たした作者による第一作品集である。

 事故で身体が動かないため、人型ロボットの筐体にリモートで接続された男子中学生を主人公にした「リモート」、戦場で二足歩行ロボットを庇うようにして死んだ兵士の物語「リトル・アーカイヴス」など、近未来でのヒトと機械との関わりを描いた作品から、十九世紀末、電気が実用化された頃のアメリカで、電気椅子についての所見を蓄えるため、決して死なない〈魔女〉がサーカスの見世物の形で何度も処刑される「ニューヨークの魔女」、一九六二年にキューバ危機が訪れたアメリカの田舎町で、ロバによく似た生き物〈D〉の一人が虐待を受ける「ファーサイド」、電信柱を恋をした女性の話「電信柱より」など、象徴的かつ寓話的な作品まで、著者は様々な題材や主題で読者を惹きつける。文章は平易で端正、無駄がなく読みやすい。つるつる読めるが、読み終えたあとに余韻が残る。響きがある。そんな作品集である。

 とりわけ印象に残ったのが、表題作「嘘つき姫」と、書き下ろし「私のつまと、私のはは」の二編。前者は一九四〇年、ドイツ軍が侵攻してきたフランスにおいて、母の死により孤児となったマリーと、その直前にマリーの母に救われたエマの二人が姉妹を偽装し、戦火の中を生き延びていく物語。嘘をつかねば生きていけない運命のもと、マリーのついた嘘と、エマのついた嘘が交錯し、複雑に絡み合う。手記の形をとっているため、読者もまた二人の嘘に翻弄され、小出しにされる真実に戦慄する。ネタバレになるので詳しく書けないが、真実が直接描かれていないだけに、より想像力が刺激され、恐ろしい。この手法は、坂崎作品のあちこちで見られるものだ。「あーちゃんはかあいそうでかあいい」のあーちゃんは結末で何をしたのか。扉の向こうには何があるのか。想像するしかないのだが、これは結構怖いことだ。本編における〈嘘つき姫〉はマリーなのか、エマなのか、それとも両方を指すのか。2章がエマの嘘で、1章がマリーの嘘、3章が真実という一応の構成が見てとれるが、これも疑い出せばキリがない。いずれにせよ、嘘の果てに見いだされた、エマのマリーに向けての愛、これは信じるしかないものだろう。

 「私のつまと、私のはは」は、「リモート」同様、近未来の日本を舞台にしたテクノロジーものだが、拡張現実装置(ARグラス)を身につけ、子育てのシミュレーションを行うレズビアンのカップルを主役にしている点に新鮮さがある。カップルには子育てに対する温度差があり、デザイナーの理子は、パンフレットを作る仕事の一環として子育て体験キット〈ひよひよ〉のデモ版を送られ、嫌々ながら育児シミュレーションに参加する。片や、看護師をしているパートナーの知由里は、最初からこのシミュレーションに積極的な姿勢を取り、子を望むレズビアンカップルの〈集い〉にも〈ひよひよ〉を連れて行こうとして、理子と対立する。知由里は〈ひよひよ〉が本当の人間の赤ちゃんであるかのように、心を込めて接し、あたかも母のように振る舞うのである。逆に、理子は相手は機械に過ぎないと考え、育児も極力合理的に行う。この違いが徐々にエスカレートしていき、ついには……という物語なのだが、結末で本当にぞっとさせられる場面がある。たった一文ですべてを想像させる、この破壊力を備えた構成は見事だ。途中で何度か知由里の家族に関する描写があるので、なるほど、そうだったのかと深く腑に落ちる。表面的な〈母のやさしさ〉の欺瞞を鋭くえぐる問題作である。

 また、抜けた歯をモチーフとして女性から女性への奇妙な愛の形を描く「あーちゃんはかあいそうでかあいい」、小学生が爪を集めて埋めると指が生えてくる、異様な状況を淡々と描いた「日出子の爪」は、どちらも〈身体から切り離された身体〉が重要な役割を果たしている。

 ありそうでない話。奇妙な味。少し不思議。肉体性を備えた精神的な物語。どう形容しても、ちょっとずれる。そこにこそ本書の魅力がある。とりあえずは、世の中の矛盾や残酷さをストレートに描かず、周辺を描くことによって逆に浮き彫りにしていく点に坂崎作品の特色があるようだ。まだ書き始めて間もないし、これからどんどん傑作が生まれていく予感がある。今後の活躍に大いに期待したい。

『頂点都市』ラヴァンヤ・ラクシュミナラヤン(2025年6月/東京創元社)2025-07-24 21:32

『頂点都市』ラヴァンヤ・ラクシュミナラヤン
 本書はインド出身の作家・ビデオゲームデザイナーによる連作短編集であり、インドの出版社から二〇二〇年に刊行された。これがローカス短篇集部門の候補となり、二〇二三年に刊行されたイギリス版がクラーク賞の候補となっている。

 内容は、近未来のインドの都市ベンガルールを舞台にしたディストピアものである。連作短編という形式を生かし、ベル機構と呼ばれる統治体によって徹底的に管理され、生産能力と社会的体裁を常に測られる社会体制を様々な視点から描いている。この都市では、上位二割民は、ホロ技術を用いた最新テクノロジーを自由に操り、贅沢な暮らしが保証されている。中間七割民は、徹底した管理と思想統制のもとに、生産能力を基準にして上位への昇格が奨励されており、皆が上位民の優雅な生活に憧れている。下位一割民は、アナログ民と呼ばれ、デジタル機器へのアクセスが禁じられている。上位民への奉仕が求められ、汚れた土地での生活を余儀なくされている。そればかりか、アナログ民は徹底して差別され、読み進むにつれ、生命までもが搾取されている恐ろしい実態が明らかになってくる。

 ベル機構のモットーは「生産性は力なり。情熱は宝なり。社会的体裁は要(かなめ)なり。」だ。これがオーウェル『一九八四年』の管理社会を踏まえたものであることは明らかだろう。違いは、ベル機構にはビッグ・ブラザーのような偶像は存在せず、あくまでも生活の向上、豊かな生活を送ること自体を目的にして人々を操り、分断社会の維持を図っていること。その分管理の網がより細かく、システムがネットを介して個人個人の中に入り込んでくるため、巧妙かつ狡猾、抗いがたい存在として浮かび上がってくる。

 たとえば、ジョン・アルヴァレスという中間七割民の青年は、上位二割民になるため、オフィーリアと呼ばれる意見均質化制限調整ユニットを使用して、自らの思想や嗜好を矯正していく。平穏暴動や白色雑音というバンド(筆者はこの名前からクワイエット・ライオット「カモン・フィール・ザ・ノイズ」を思わず連想してしまった)の曲が好きだったのに、オフィーリアの指示に従い、優しく穏やかなネオ生楽器曲を好むようになっていく。彼はあくまでも自分の意志によって、思考にタガをはめていくのである。

 ヴァーチャル民とアナログ民の間には電気シールドが張り巡らされ、行き来が制限されている。アナログ民見学ツアーのガイドをしながら生き別れとなった妹を探すテレサや、両親は死んだと聞かされ上位民のスパイとなったが、実はそれが嘘であったことを知らされるローヒニーなど、引き裂かれた社会に翻弄される人々も本書は丁寧に描いていく。これは現代社会のあちこちに存在する壁に分断された社会を象徴していると言えるだろう。また、SNSのインフルエンサーが妊娠し、皆が利用している代胎ポッドを使わないと宣言したことからトラブルが生じるエピソードから、ベル機構が妊娠・出産も厳重に管理下に置いていることがわかる。自然分娩は生産性を著しく損なう意味から忌避されているし、中絶などすれば、貴重な生産者の芽を摘む、とんでもない反逆者とみなされてしまうのだ。高齢者看護施設もあり、認知症患者がそこで協調活動を強いられているエピソードもある。いずれも高度な管理社会である現代社会を敷衍していけば、十分あり得る未来であり、説得力がある。アナログ民出身だが、上位二割民の養女となり、アナログ式で音楽を学ぶ少女が上位二割民を目指すエピソードや、SNSのインフルエンサー3人が年間最優秀賞候補となるが、人前に出たくないためそれぞれ趣向を凝らすエピソードも面白く、興味深いものに仕上がっている。

 このように、様々なエピソードを積み重ねることによって、ベル機構の全体像を明らかにしていく構成は実に巧みで、見事である。一つ一つのエピソードは読みやすく、単独で完結していると同時に、互いにゆるく結びつき、登場した人物が別のエピソードにさりげなく顔を出しているので、それを見つけていくという楽しみもあるわけだ。ゲームデザイナーとしての腕が存分に発揮されていると言ってよいだろう。

「独裁の敵は共同体だ」と本書の中で述べられているとおり、本書の終盤は、アナログ民の部族が協働してベル機構を倒すレジスタンスの話が中心となっていく。反乱が起き、アナログ民がネビュラネットと呼ばれるネットワークをハッキングし、電気シールドが切られ、照明が消える。自動車事故が起き、人事ファイルがすべて書き換えられ、続々とアナログ民がヴァーチャル区画へ侵入していく……。結果は読んでのお楽しみといったところだが、単に叛逆しておしまいではなく、宥和的な結末となっていることは特筆しておきたい。

 ところどころ甘さは見られるが、ネット社会が進んだ結果のディストピアをリアリティ溢れる設定と丁寧な筆致で描いた佳作であり、一読の価値はあるだろう。