『こうしてあなたたちは時間戦争に負ける』アマル・エル=モフタール&マックス・グラッドストーン(新ハヤカワ・SF・シリーズ)2024-04-24 10:03

『こうしてあなたたちは時間戦争に負ける』
 ここ数年の読み残しを少しずつ読んでいる。その中で、2021年に翻訳され、〈このSFが読みたい!〉で3位に入った本書が面白かったので、レビューします。

 2019年に単行本として刊行され、ヒューゴー、ネビュラを始め主要なSF賞をノヴェラ部門で獲得した作品である。

 古代から二つの勢力が時間を超えて争いを続けているというアイディアは古くからあり、フリッツ・ライバーの改変世界シリーズ、小松左京『果しなき流れの果に』などがすぐに思い浮かぶ。本書では、《エージェンシー》と《ガーデン》なるグループがあらゆる時間軸(ストランド=紐、筋の意=と呼ばれている)において争っており、それぞれのエージェントであるレッドとブルーが主人公となる。たとえばストランド9において、レッドはアマゾン川流域にヨーロッパ人のもつ病原菌に対する超耐性菌を散布する任務を果たすが、それはスペインの征服者によってインカ帝国の人々が滅びないようにするためだ。凡百のSF作家であれば、これだけで一つの短編を書くだろうが、エル=モフタールとグラッドストーンのコンビにとっては、これはたった1ページで終わる背景に過ぎない。古代から未来にかけて目まぐるしく舞台は移り、決して一つの世界にとどまることはない。作者らの主眼は、時間戦争ではなく、あくまでもレッドとブルーの主観的な心の触れ合いにあるのだ。

 互いに対立する陣営内で、手紙を通じて、レッドとブルーは互いの心を通わせ、いつしか深く愛し合うようになる。この「手紙を通じて」という点が本書最大の特色であり、読者の情感に強烈に訴えるところでもある。時空を超えて情報を伝えるために、両者の「手紙」は、雁の羽根、フクロウの胃袋の中、ハチのダンスなど、さまざまな方法でコード化されている。次はどんな方法で手紙が現れるか、読者は楽しみながら読み進めることができるだろう。設定と伝達方法は極めてテクノロジカルであるのに対し、伝えられる内容は、情感たっぷりで極めてエモーショナル。この対照の妙が、本書の魅力となっていることは間違いない。作中にタイトルが出てくることからも明らかなように、本書は時空を超えた『ロミオとジュリエット』であり、女性同士の恋愛物語であり、さらに言えば自分自身との交流記録でもある。

 「手紙を書く」という行為は、相手へのメッセージであると同時に自分自身を明らかにすることでもある。レッドとブルーは書くことによって、自分自身の立ち位置や目的を明確にしていく。手紙を読み進めながら、どうして二人は直接会うことが少ないにも関わらずこんなに惹かれあっていくのだろう、ちょっとこれは変なのではないかという疑問が浮かぶ読者も多いと思われるが、そう思った瞬間に、読者は作者の術中にはまっているのだ。私はいつも『ウェストサイド物語』を観るたびに、どうしてこんなに互いを好きになれるのかと醒めた目で見てしまう悪い観客なのだが、実は本書を読んで似たような感覚を抱いていた。しかし、レッドとブルーの物語にはきちんと隠された意味があり、最後にそれが明らかになる。この結末は見事で、思わず溜め息が出てしまった。総じて、古典的な物語を新しい革袋に入れた傑作であり、一読の価値はあるだろう。

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