下村健寿「『復活の日』から読み解くバイオロジー」について2022-02-06 09:58

 相変わらず新型コロナウイルスが猛威をふるっている。オミクロン株は弱毒化したとはいえ、亡くなる方はいるので対策を緩めるわけにもいかず、本当に舵取りは難しい。いい加減落ち着いてほしいものだが、沈静化にはまだまだかかるかもしれない。

 さて、ウイルスを扱った書物は数々あるが、分子生物学の視点から生命の本質に迫り、もはや古典的名著と言える福岡伸一『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書、2007年)も始めはウイルスの話から始まる。第1章で、福岡は、自身も学んでいたロックフェラー大学(元ロックフェラー医学研究所)に在籍していた野口英世について述べる。梅毒、ポリオ、狂犬病、黄熱病の病原体を発見したと発表し、西アフリカで黄熱病に倒れた野口の功績をある程度認めながらも、「野口の主張のほとんどは、今では間違ったものとしてまったく顧みられていない」と手厳しく批判している。野口が間違ってしまった理由は、梅毒以外の病原体はすべてウイルスであり、当時の顕微鏡の解像度ではウイルスが小さすぎて捉えられなかったからだ。1章で福岡は、「野口の研究は単なる錯誤だったのか、あるいは故意に研究データを捏造したものなのか、はたまた自己欺瞞によって何が本当なのか見極められなくなった果てのものなのか」と書いているが、この部分についての反論を最近読んで、面白いと思ったので、ここに記しておく。

 小松左京は、2001年から〈小松左京マガジン〉という同人誌を作り、年に4冊の季刊ペースで発行していた(小松の死後も刊行され、2013年50巻で終刊)。小松に縁のある作家、研究者らが好きなテーマで随想や論文、小説を発表していたものである。その寄稿者の一人に下村健寿という方がおり(医学者、医師、元オックスフォード大学研究員、現福島県立医科大学教授)、海外での小松左京原作映画の受容のされ方、「さよならジュピター」を再評価する論考などを執筆されていた。26巻に掲載された「1984『スター・ウォーズ』に潰された映画」が「さよならジュピター」とリンチ版「デューン砂の惑星」を取り上げていて滅法面白かったので、他のも読んでみようと思ったのだ。
 あにはからんや、31巻から7回連載された「『復活の日』から読み解くバイオロジー」は、専門を生かしてウイルスの発見や黒死病、火星生命の可能性、細菌兵器や抗生物質について、科学的知見に基づいた論考がなされており、非常に読み応えがあり、知的好奇心を刺激される、優れた評論になっていた。
 その第1回に、福岡の野口批判に対する反論が載っている(本の題名は載っていないが、内容からして明らかだろう)。その骨子は、野口の研究が「間違っていた」のは確かだが、それは決して「捏造」とは言えず、可能性であるにせよ、「捏造」という言葉を使うのは科学者に対して失礼であろうというものだ。最初はどっちでもいいのではと思って読んでいたが、科学というのは間違いと訂正を繰り返して発展していくものであり、「間違い」と「捏造」は天と地ほども違うという下村の主張には大変説得力があり、なるほどと思わされた。他の回も一気に読んだが、いずれも根拠をはっきりと示したうえでの論考で、一読の価値がある。
 下村氏は、昨年『オックスフォード式最高のやせ方』(アスコム、2021年)という本を上梓されておられるが、健康本だけでなく、ぜひともこれらの生物学に関する原稿をまとめて出版してほしいものである(売れ方は健康本にかなわないかもしれないが)。

HBO制作ミニドラマ『チェルノブイリ』を観た2022-02-06 13:30

 『ゲーム・オブ・スローン』を制作したことで知られるアメリカのケーブルTV局HBOが2019年に制作した5時間(5話完結)のミニドラマ『チェルノブイリ』を一気に観る。1986年4月に実際に起きた原子力発電所の事故を描いた(ほぼ)事実に基づいたドラマである。綿密な時代考証と科学考証を経て丁寧に事故の様子が描き出されており、リアリティ溢れる見事な作品になっている。

 ドラマは、事故の真実をテープに吹き込んだ当事者と思われる男性が自死する場面から始まる。なぜ彼は死ななければならなかったのか。事故の真実とは何か? 次の場面からは、過去に戻り、事故直後のチェルノブイリの様子が複数の視点で描かれる。第一は、原発近隣に住む、消防士の夫を持つ女性の視点。深夜に彼女は目覚め、原発から吹き上がる炎をじっと見つめる。電話がかかってきて、夫が事故現場に赴く。第二に、原発内部の技術者たちの視点。呆然とする彼等に、無能な上司が給水を命じる。給水タンクが爆発したのではなく、原子炉が爆発したのだといくら言っても、上司はそんなことが起きるはずはないの一点張り。見てこいと命じて、部下を死に至らしめる。第三は、科学者の視点。有能な物理学者であるレガノフはこのままではとんでもないことになると気づき、指導者ボリスとともに、事態の鎮圧に専念することとなる。このように、様々な視点から語ることによって、チェルノブイリ事故の悲惨さ、深刻さが浮き彫りになり、視聴者は原発事故の恐ろしさについて理解を深めていくことができる。しかも、事故の原因はドラマの最後にはっきりと描かれる構成になっているため、いったん観始めたら、もう最後まで止まらない。現場の技師らは、原子炉を緊急停止するボタンを押したはずなのに、直後に爆発が起きたと口をそろえる。では、何が原因なのか。優れた科学ミステリを読むような、論理的かつ鮮やかな謎解きが最後に待っている。これは無能な上司が引き起こした人災であると同時に、システムが引き起こした必然的な事故でもあったのだ。詳しくはネタバレになるので書けないが、ぜひとも最後まで観て、合理主義がもたらす(共産主義がもたらす、ではない。ここは大事な所ので、強調しておく。何主義の世界であろうが、これは起き得る事故なのだ)災厄の怖さを実感してほしい。

 また、さすが「ドラマのHBO」だけあって、脚本・構成・画面構成の素晴らしさはもちろん、人物造型も巧みであり、観る者を飽きさせない。夫を愛するがゆえに、身ごもった子を危険にさらしてしまう妻のリュドミラ、世間知らずゆえに真っ直ぐ真実に向かおうとする物理学者レガノフ、情に厚く実行力に優れた政治家ボリス、皆悩みながらも自己の役割をしっかりと果たす、血肉の通った生身の人間として見事な存在感を示している。レガノフが人の間違いをその都度訂正する演出などは、彼のキャラクターをよく表していて心憎いばかりだ。

 総じて、見事な出来栄えと言ってよい。このようなドラマが作られるなら、ミニドラマも捨てたものではないなと思った。