『精霊を統べる者』P・ジェリ・クラーク(東京創元社)2024-07-19 09:35

精霊を統べる者
 アメリカの大学で歴史学を教える兼業作家による初の長編。2021年に発表され、ネビュラ賞、ローカス賞を受賞している。

 1912年、エジプトのギザで行われた秘密結社の集会において、集団殺人事件が起きる。24人が焼死したのだが、人間の身体だけが焼けており、建物は無事である。会場を提供した英国人太守のアージントン卿も死亡していた。魔術絡みの事件として、警察は「エジプト錬金術・魔術・超自然的存在省」(通称・魔術省)に連絡し、魔術省の女性エージェント、ファトマが捜査に当たることとなった。犯人の手がかりは、アージントン卿の娘、アビゲイルが見たという黄金の仮面をつけた黒服の男のみ。ファトマは、新しくパートナーとなった新人エージェントのハディア、恋人のシティとともに事件の真相を探る……。

 魔術省という設定からわかるように、この世界では魔法や錬金術が普通に存在しており、ジン(精霊)と呼ばれる超自然的な生物が人間とともに暮らしている。19世紀後半に、アル=ジャーヒズという伝説の魔術師が扉を開き、ジンを呼び出したのだ。しかし、ジャーヒズ本人は40年前に謎の失踪を遂げ、行方不明になっていた。その後、ジャーヒズは神格化され、伝説の魔術師となった。殺人事件が発生した秘密結社も、正体は彼を崇めるアル=ジャーヒズ秘儀友愛団であった。ファトマたちの捜査の過程で、黄金の仮面の男が再度姿を現し、自分をアル=ジャーヒズだと名乗る。男は本当にジャーヒズなのか。そうならば、自ら友愛団のメンバーを殺害したのはなぜなのか。この真相をファトマが探る展開を縦軸とすれば、ファトマとシティの間に割って入る新人ハディアという女性同士の関係性が横軸となって、物語が進んでいく。

 リーダビリティは大変高く読みやすい。展開が多少もたついている印象は否めないが、キャラクターは大変魅力的なので、謎解きを主眼として読むのではなく、ぶっきらぼうではあるが心根は優しいファトマの内面を辿り、恋人シティとの間で揺れ動く彼女の心理を味わいながら人間ドラマを楽しむのが正解かもしれない。また、蒸気駆動宦官、自動馬車など、蒸気機関を駆使した小道具も楽しめるものだし、エメラルドの鱗で覆われ象牙色の角を生やすなど、様々な姿を取る色彩感豊かなジンたちの出で立ちも面白い。運動能力に優れたシティやハディアとジンたちとの戦闘場面も読み応えがある。総じて、映像化に向いている作品であると感じた。

 ジンの出現とジャーヒズの失踪、その後のエジプトの繁栄に関しては、現実のエジプト史をもとにした歴史が設定されており、オルタネート・ヒストリーものとしての結構も本書は兼ね備えている。作者クラークの歴史学者としての本領発揮というところだろうか。また作者の専門には奴隷制と自由の歴史が含まれており、これも本書を貫く主題として作品中のあちこちで鳴り響いている。白人種と有色人種の対立、ジンと人間の対立、さらには天使と呼ばれる謎の存在とジンとの対立が重ね合わされ、一種の多重世界が構成されている。この、ひねりの効いた世界設定の巧みさも、本書の評価の高さの一因であろう。

 さて、物語は進み、黄金の仮面の男(=〈成り済まし〉)は、〈世界の時計〉を魔術省の保管庫から盗み出す。これは〈製造者〉と呼ばれる天使が地獄への扉を開くために作った機械で、ファトマとシティがその企てを阻止したのだった。さらに、ジンを支配する方法を手に入れた〈成り済まし〉は、いよいよ自身の野望を達成するために、地獄への扉を開き、九人の王を召喚する。ところが……。この後のクライマックスは実際に読んでいただいた方がよいだろう。収まるべきところに物語は収まり、見事に着地する。天使とは何かという謎は残されているが、これは続編に期待したい。

 蛇足だが、ファトマのマンションの門番をしているマフムードが双子で一つの仕事をしているというエピソードに笑ってしまった。双子は皆二人で一つの仕事をすれば楽だろうと考えるものだと思うが(自分は双子なので、一時期そう考えた)、給料が一人分しかもらえないし、それは現実にはほぼ実行不可能なのだ。作者の妙なユーモア感覚がうかがわれ、面白かった。

『シリコンバレーのドローン海賊』ジョナサン・ストラーン編(創元SF文庫)2024-05-13 16:41

シリコンバレーのドローン海賊
 人新世(じんしんせい)SF傑作選と銘打たれたアンソロジーで、原著は二〇二二年に刊行されている。近年、産業革命に始まる人類の活動が地質に多大な影響を与えており、現代は従来の呼び名である「完新世」ではなく、「人新世」と呼ぶべきではないかとの考えが提唱されている。今年三月に開かれた国際地質科学連合の小委員会では、「人新世」の呼び名は大差で否決されたようだ。「人新世」の始まりについては、農耕から始まる、一九五〇年代から始まる、など諸説があり一定しないが、少なくとも人類の活動が現代の地球に影響を与えていることは間違いのない事実であり、科学・技術が人類や地球に与える影響について思索し続けてきたサイエンス・フィクションにとって、これほど親和性のある話題もないだろう。この主題のもとに集められた作品は以下のとおりである。

 進化したドローン社会とその欠陥を描く「シリコンバレーのドローン海賊」(メグ・エリソン)、プラスチックごみでできた島での暮らしを描いた「エグザイル・パークのどん底暮らし」(テイド・トンプソン)、気候変動に伴い頻発する山火事と進化した車の自動運転とを組み合わせて未来の災害を描写する「未来のある日、西部で」(ダリル・グレゴリイ)、気候変動否定論者が組織に命じられて災害ボランティアに潜入し、サイクロン襲来の現場に立ち会う「クライシス・アクター」(グレッグ・イーガン)、人体改造による海底生活への憧れを描く「潮のさすとき」(サラ・ゲイリー)、電脳帽をかぶって海底の人口汚染物質回収装置を操る父子の物語「お月さまをきみに」(ジャスティナ・ロブソン)、中国奥地の村に超皮質ネットワークを接続するために訪れた女性と村の少女とが歌を通じて交感する「菌の歌」(陳楸帆)、ノーベル平和賞を受賞したアプリ〈レギオン〉の開発者へのインタビューを通じてその効果が明らかになる「〈軍団〉」(マルカ・オールダー)、人々に忌み嫌われる死体回収人の驚くべき秘密が暴かれる「渡し守」(サード・Z・フセイン)、飲んだくれの父親に見捨てられ自分を理解してくれない祖母のもとで暮らす少女の孤独を描いた「嵐のあと」(ジェイムズ・ブラッドレー)、以上十編とブラッドレーによるキム・スタンリー・ロビンスン・インタビューが本書には収録されている。

 原著の副題に「人新世における生活」とあるように、気候変動やごみ問題を扱いながら、ヒトや企業のもたらした悪を糾弾したり解決策を提案したりといった大上段に振りかぶって社会構造を変革する作品ではなく、あり得る未来の中で市井の人々がどのように生活しているか、家族の姿はどうなっているかという一般の目線から未来社会の「生活」を切り取った作品が多いように感じた。どの作品も面白かったのだが、SFらしさを前面に出した作品としては「潮のさすとき」「菌の歌」を、現代と地続きの未来社会を描いた作品としては「未来のある日、西部で」を、それぞれ推しておきたい。

 キム・スタンリー・ロビンスンのインタビューは、昨年訳されたばかりの『未来省』の思想的裏付けとなっている。ロビンスンは「正義や生物圏との持続可能なバランスのために役立っているひもを強化するための計画」を「科学」と呼び、そのひもは「民主主義や正義や進歩などを含んでいる歴史という太いひも」からのびていると語る。対抗している「資本主義」というひもは封建主義や家父長制などの古い権力体系からのびており、資本主義より科学を優先すべきだ。利潤を追求する政治経済を、利潤だけが成功の指標にならないように変革しなければならない。そして、それは暴力革命ではなく、言論闘争、政治闘争、法律闘争によって実現されるべきだ。希望はある、と。私は、ロビンスンの主張に全面的に賛成したい。

 イーガンとロビンスンを除くと日本では馴染みのない作家が多いので、本書を読んで気に入った作家がいたら、単行本を読んでいくのも良いだろう。ダリル・グレゴリイ『迷宮の天使』(創元SF文庫)、ジャスティナ・ロブソン『アルフハイムのゲーム』(ハヤカワ文庫)、陳楸帆『荒潮』(新ハヤカワSFシリーズ)、マルカ・オールダー(他3名との共著)『九段下駅』(竹書房文庫)が翻訳されている。

 最後に、原題のTomorrow’s Parties はヴェルヴェット・アンダーグラウンドのAll Tomorrow’s Partiesからとられている。ウィリアム・ギブスンの『フューチャーマチック』の原題もこれなのだが、貧しい娘が明日のパーティーに何を着ていったらいいのと歌う悲しみの歌が、現代の人々が未来に対して持つ不安の隠喩となっている。本書を読んで、未来への不安の中に少しの希望が見えてくるといいなと感じた。

ネルスン・ボンド全邦訳短篇レビュー2024-04-27 11:53

街角の書店
 前々々回でお約束したネルスン・ボンド全邦訳短篇レビュー(発表年代順。いくつかはオチを割っていますが、ご容赦ください。)です。デーモン・ナイト全短篇、アルジス・バドリス全短篇も準備中。

1 「過去からの声」鎌田三平・訳(『三分間の宇宙』講談社)The Voice from the Curious Cube (Top-Notch 1937/3)
 太古から残された巨大な立方体の入り口が開き、中に入ると巨大な引出しがいくつもある。立方体は、塩素の雲に突入した25世紀の人類が50世紀の人類に向けて残した建造物であった。録音された声が響き、大気が清浄になっていれば、レバーを下げて引き出しの中に眠っている1万人の人間を目覚めさせてほしいと告げる。しかし、中に入った××たちには聴覚がなかった……

2 「鏡の中を歩いた男」森美樹和・訳(「奇想天外」1980年5月号)The Man Who Walked Through Glass (Esquire 1938/11)
 ぼくがニューヨークのクラブで出会った男は、ガラスに手を入れることができた。突然出来るようになり、指輪などを身につけていると出来ないと言う。男の家に招待され、裸になった男が鏡の中へ入っていく様を見せられる。鏡の中はすべてが左右対称で、言葉も時間が逆転していた。中に入ると「無限の充足感」が得られ、光り輝く都市があると言う。数か月後、ぼくはある男が巨大なレンズを備えた反射望遠鏡の中に入ったというニュースを聞く。

3 「SF作家失格」小西宏・訳(『SFカーニバル』創元SF文庫)The Abduction of Abner Greer (Blue Book 1941/6)
 不採用が続くSF作家アブナー・グリーアは、車型タイム・マシンで未来からやって来た男たちに誘われ、25世紀の世界に連れていかれる。ジョークを言うよう要求され、いくつか言うが全く受けずに都市に放り出される。自分を戻すよう交渉すると、不採用通知に貼ってあった古切手に興味を示した未来人に襲われ、気を失う。気づくと現在に戻っていたアブナーはこの体験をもとにSFを書くが、似ても似つかぬものになってしまい、やはり原稿は没にされてしまうのだった。

4 「街角の書店」中村融・訳(『街角の書店』創元推理文庫)The Bookshop (Blue Book 1941/10)
 作家ロバート・マーストンは、夏のマンハッタンで見つけた、ある書店に入る。そこには実在する文豪の書かれなかった本が並んでいた。ポオの『ガーゴイルの眼』、ドイルの『シャーロック・ホームズの秘めたる事件』、ラヴクラフトの『悪魔学全史』等々。亡くなった友人の未完詩集も置いてある。自分が執筆中の『落伍者』という本を見つけたマーストンは、それを外へ持ち出そうとするが……

5 「全能の島」桂英二・訳(「宝石」1955年2月号)Conquerors’ Isle ( Blue Book 1946/6)
 第二次大戦中、日本軍を攻撃していた爆撃機が、ある島へ不時着する。操縦していたブラディ大尉がそこで見たのは、武器や無線を無効化する力、壁を通り抜ける力をもった新人類(ホモ・スペリオール)の姿であった。ボートで島から逃げ出した大尉は軍医に経緯を話すが、信じてもらえない。聞き終えた軍医は報告のために壁を通り抜けていった……

6 「見よ、かの巨鳥を!」浅倉久志・訳(『グラックの卵』国書刊行会)And Lo! the Bird (Blue Book 1950/9)
 宇宙から分速16万キロで巨大な鳥が太陽に接近してくる。鳥が水星に到着すると、水星が割れて中から巨大なひな鳥が出現。巨鳥は次に金星に向かい、そこに留まっている。地球で孵化を防ぐには、中にいるひな鳥を殺すしかない。しかし、時すでに遅し。今朝早く、人々は地球にノックの衝撃を感じた。

7 「感傷的な男」青木秀夫・訳(「SFマガジン」1965年3月号)Vital Factor (Esquire 1951/8)
 宇宙船の動力を開発した者に10万ドルの賞金を出すと広告を出した実業家のもとに、一人の小柄な男が訪れる。反重力を使った小型模型を見せて信用を得た男は、二人乗りの宇宙船を試作する。二人は無事出発するが、男は地球に戻ろうとしない。感傷にかられ、故郷へ戻りたくなったと男は実業家に告げる。彼は宇宙人だったのだ……

 総じて、シンプルな発想を軽妙に語る典型的なワン・アイディア・ストーリイなのだが、語り口が巧いため、自然に引き込まれる。6のように荒唐無稽な発想であっても、新聞記者の手記の形をとって科学者のインタビューから始まり徐々に話を盛り上げていくので、読者はこういうこともあるかなとリアルに感じるわけだ(絶対にないのだが)。他の作品でも、主人公が体験を医者に語るとか、クラブで出会った男の語りから始まるとか、話の入り口が実に上手い。SF専門誌ではなく、〈ブルー・ブック〉などの一般誌に書くことが多かったので、このようなテクニックが身についたのだろう。浅倉久志氏が『グラックの卵』解説で、6について「文書のタッチが意外に落ちついた新聞記者物の感じなのに驚いた」と書いているように、文章もしっかりしており、オチも見事。1930~40年代にかけて書かれたユーモアSFのお手本と言える。中には、5や7のように、やってはいけない「宇宙人(新人類)オチ」のような作品もあるが、まあこれはご愛敬といったところ。7篇中のベストは、やはり4「街角の書店」になろうか。2「鏡の中を歩いた男」も捨てがたい味がある。

 ちなみに、5「全能の島」は〈宝石〉1955年2月号の特集“世界科学小説集”に、アシモフ「ロビイ」、ウエルズ「タイム・マシン」とともに翻訳された作品なのだが、いったいこれは誰が選んだのだろうか。アシモフ、ウエルズに並んでネルスン・ボンド。他の作品も、アーサー・L・ザガートとウォーレス・ウエストというマイナー作家のもので、セレクションが謎である。同号にコラムを寄せている矢野徹なのか。そうかもしれない。6を〈宇宙塵〉で紹介したのも矢野氏であったと『グラックの卵』解説に書いてあるし、どちらも1954年刊行の第三短篇集No Time Like the Futureに収録されているから、矢野氏がこれを読んでボンドを推薦した可能性はあるだろう。

 中村融氏は、自身のブログ(http://sfscannerdarkly.blog.fc2.com/blog-entry-397.html)で、やはりこのラインナップに首を傾げておられる。版権をとらずにアンソロジーから採ったものであり、ボンドの作品も短篇集でなく、アンソロジーからの選択ではないかと推測されており、なるほどそうなのかもしれない。70年前のことなので、真相はもはや闇の中であろう。

『こうしてあなたたちは時間戦争に負ける』アマル・エル=モフタール&マックス・グラッドストーン(新ハヤカワ・SF・シリーズ)2024-04-24 10:03

『こうしてあなたたちは時間戦争に負ける』
 ここ数年の読み残しを少しずつ読んでいる。その中で、2021年に翻訳され、〈このSFが読みたい!〉で3位に入った本書が面白かったので、レビューします。

 2019年に単行本として刊行され、ヒューゴー、ネビュラを始め主要なSF賞をノヴェラ部門で獲得した作品である。

 古代から二つの勢力が時間を超えて争いを続けているというアイディアは古くからあり、フリッツ・ライバーの改変世界シリーズ、小松左京『果しなき流れの果に』などがすぐに思い浮かぶ。本書では、《エージェンシー》と《ガーデン》なるグループがあらゆる時間軸(ストランド=紐、筋の意=と呼ばれている)において争っており、それぞれのエージェントであるレッドとブルーが主人公となる。たとえばストランド9において、レッドはアマゾン川流域にヨーロッパ人のもつ病原菌に対する超耐性菌を散布する任務を果たすが、それはスペインの征服者によってインカ帝国の人々が滅びないようにするためだ。凡百のSF作家であれば、これだけで一つの短編を書くだろうが、エル=モフタールとグラッドストーンのコンビにとっては、これはたった1ページで終わる背景に過ぎない。古代から未来にかけて目まぐるしく舞台は移り、決して一つの世界にとどまることはない。作者らの主眼は、時間戦争ではなく、あくまでもレッドとブルーの主観的な心の触れ合いにあるのだ。

 互いに対立する陣営内で、手紙を通じて、レッドとブルーは互いの心を通わせ、いつしか深く愛し合うようになる。この「手紙を通じて」という点が本書最大の特色であり、読者の情感に強烈に訴えるところでもある。時空を超えて情報を伝えるために、両者の「手紙」は、雁の羽根、フクロウの胃袋の中、ハチのダンスなど、さまざまな方法でコード化されている。次はどんな方法で手紙が現れるか、読者は楽しみながら読み進めることができるだろう。設定と伝達方法は極めてテクノロジカルであるのに対し、伝えられる内容は、情感たっぷりで極めてエモーショナル。この対照の妙が、本書の魅力となっていることは間違いない。作中にタイトルが出てくることからも明らかなように、本書は時空を超えた『ロミオとジュリエット』であり、女性同士の恋愛物語であり、さらに言えば自分自身との交流記録でもある。

 「手紙を書く」という行為は、相手へのメッセージであると同時に自分自身を明らかにすることでもある。レッドとブルーは書くことによって、自分自身の立ち位置や目的を明確にしていく。手紙を読み進めながら、どうして二人は直接会うことが少ないにも関わらずこんなに惹かれあっていくのだろう、ちょっとこれは変なのではないかという疑問が浮かぶ読者も多いと思われるが、そう思った瞬間に、読者は作者の術中にはまっているのだ。私はいつも『ウェストサイド物語』を観るたびに、どうしてこんなに互いを好きになれるのかと醒めた目で見てしまう悪い観客なのだが、実は本書を読んで似たような感覚を抱いていた。しかし、レッドとブルーの物語にはきちんと隠された意味があり、最後にそれが明らかになる。この結末は見事で、思わず溜め息が出てしまった。総じて、古典的な物語を新しい革袋に入れた傑作であり、一読の価値はあるだろう。

『闇の中をどこまで高く』セコイア・ナガマツ(東京創元社)2024-04-23 07:40

『闇の中をどこまで高く』セコイア・ナガマツ
 無事退職したので、やっと時間ができました。これからがんがん書評を書いていきます。前回書いたネルスン・ボンドについては次回以降に回して、先に新刊レビューから。

 本書は、2022年に刊行され、第1回アーシュラ・K・ル=グイン賞特別賞を受賞した作品である。

 シベリアの凍土が溶け、洞窟の中から三万年前の少女の死体が見つかった。しかし、そこには生物の臓器に働きかけ、異なる臓器を生み出してしまう恐ろしいウイルスが潜んでいた。このウイルスに感染すると、肝臓に脳細胞ができたり、心臓に肺細胞ができたりして、やがては臓器不全で死に至る。北極病と名づけられたこの病気は、子供を中心に爆発的に広がっていく……。

 あらすじだけ見ると、バイオハザードものの典型に見えるが、本書は決して単純なパニック小説ではない。まずは、子供が感染した際の親の気持ち、わが子との別れの場面を丁寧に静かな筆致で描き出した感動的な文学作品として見事に完成されている。章が変わるたびに異なる家族が登場し別の物語が描かれていくが、読み進むにつれ、視点人物とその関係者が絡み合い、新たな物語が紡がれていく。この緻密な構成には思わずうならされてしまった。

 トルストイが言うように「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」。どの家族もそれぞれの問題を抱えており、夫婦関係がうまくいかなかったり、親子の断絶があったり、兄弟の争いがあったりする。そこに子供の死というさらに大きな不幸が重なってくるので、読者としては正直感情が激しく揺さぶられ、読むのが辛い作品ではあった。しかし、そこを乗り越えていくと、思わぬ展開があり、希望に満ちたサイエンス・フィクションとなっていく。

 本書が、家族の死を主題とした文学作品でありながらそこに留まっていない理由は2点ある。1点目は、死後の世界で亡くなった人々が連帯し、一人の赤ん坊を救い出す幻想的な場面が描かれていること。これが後に現実とリンクしてくるところなど、小説として本当に巧い。2点目は、後半に意外な展開があり(これを唐突と見る読者もいるだろう)、詳細はネタバレになるので書けないが、星の世界へ人類が進出していく過程が描かれていること。この2点によって、本書は優れた幻想文学、サイエンス・フィクションたりえている。ル=グイン賞受賞も納得の出来映えだ。

 作者は日系アメリカ人で新潟に2年住んでいたことがあるという。その経験を生かして、本書の登場人物は日系人が多く、舞台のいくつかは日本である。家族の描き方については、アメリカ的な個と個の対立ももちろん描かれているが、地域に根ざした日本の前近代的な家庭もしっかりと描かれ、二つの文化における「家」の違いを浮き彫りにしている点も興味深かった。