『闇の中をどこまで高く』セコイア・ナガマツ(東京創元社)2024-04-23 07:40

『闇の中をどこまで高く』セコイア・ナガマツ
 無事退職したので、やっと時間ができました。これからがんがん書評を書いていきます。前回書いたネルスン・ボンドについては次回以降に回して、先に新刊レビューから。

 本書は、2022年に刊行され、第1回アーシュラ・K・ル=グイン賞特別賞を受賞した作品である。

 シベリアの凍土が溶け、洞窟の中から三万年前の少女の死体が見つかった。しかし、そこには生物の臓器に働きかけ、異なる臓器を生み出してしまう恐ろしいウイルスが潜んでいた。このウイルスに感染すると、肝臓に脳細胞ができたり、心臓に肺細胞ができたりして、やがては臓器不全で死に至る。北極病と名づけられたこの病気は、子供を中心に爆発的に広がっていく……。

 あらすじだけ見ると、バイオハザードものの典型に見えるが、本書は決して単純なパニック小説ではない。まずは、子供が感染した際の親の気持ち、わが子との別れの場面を丁寧に静かな筆致で描き出した感動的な文学作品として見事に完成されている。章が変わるたびに異なる家族が登場し別の物語が描かれていくが、読み進むにつれ、視点人物とその関係者が絡み合い、新たな物語が紡がれていく。この緻密な構成には思わずうならされてしまった。

 トルストイが言うように「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」。どの家族もそれぞれの問題を抱えており、夫婦関係がうまくいかなかったり、親子の断絶があったり、兄弟の争いがあったりする。そこに子供の死というさらに大きな不幸が重なってくるので、読者としては正直感情が激しく揺さぶられ、読むのが辛い作品ではあった。しかし、そこを乗り越えていくと、思わぬ展開があり、希望に満ちたサイエンス・フィクションとなっていく。

 本書が、家族の死を主題とした文学作品でありながらそこに留まっていない理由は2点ある。1点目は、死後の世界で亡くなった人々が連帯し、一人の赤ん坊を救い出す幻想的な場面が描かれていること。これが後に現実とリンクしてくるところなど、小説として本当に巧い。2点目は、後半に意外な展開があり(これを唐突と見る読者もいるだろう)、詳細はネタバレになるので書けないが、星の世界へ人類が進出していく過程が描かれていること。この2点によって、本書は優れた幻想文学、サイエンス・フィクションたりえている。ル=グイン賞受賞も納得の出来映えだ。

 作者は日系アメリカ人で新潟に2年住んでいたことがあるという。その経験を生かして、本書の登場人物は日系人が多く、舞台のいくつかは日本である。家族の描き方については、アメリカ的な個と個の対立ももちろん描かれているが、地域に根ざした日本の前近代的な家庭もしっかりと描かれ、二つの文化における「家」の違いを浮き彫りにしている点も興味深かった。

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