『シリコンバレーのドローン海賊』ジョナサン・ストラーン編(創元SF文庫) ― 2024-05-13 16:41
人新世(じんしんせい)SF傑作選と銘打たれたアンソロジーで、原著は二〇二二年に刊行されている。近年、産業革命に始まる人類の活動が地質に多大な影響を与えており、現代は従来の呼び名である「完新世」ではなく、「人新世」と呼ぶべきではないかとの考えが提唱されている。今年三月に開かれた国際地質科学連合の小委員会では、「人新世」の呼び名は大差で否決されたようだ。「人新世」の始まりについては、農耕から始まる、一九五〇年代から始まる、など諸説があり一定しないが、少なくとも人類の活動が現代の地球に影響を与えていることは間違いのない事実であり、科学・技術が人類や地球に与える影響について思索し続けてきたサイエンス・フィクションにとって、これほど親和性のある話題もないだろう。この主題のもとに集められた作品は以下のとおりである。
進化したドローン社会とその欠陥を描く「シリコンバレーのドローン海賊」(メグ・エリソン)、プラスチックごみでできた島での暮らしを描いた「エグザイル・パークのどん底暮らし」(テイド・トンプソン)、気候変動に伴い頻発する山火事と進化した車の自動運転とを組み合わせて未来の災害を描写する「未来のある日、西部で」(ダリル・グレゴリイ)、気候変動否定論者が組織に命じられて災害ボランティアに潜入し、サイクロン襲来の現場に立ち会う「クライシス・アクター」(グレッグ・イーガン)、人体改造による海底生活への憧れを描く「潮のさすとき」(サラ・ゲイリー)、電脳帽をかぶって海底の人口汚染物質回収装置を操る父子の物語「お月さまをきみに」(ジャスティナ・ロブソン)、中国奥地の村に超皮質ネットワークを接続するために訪れた女性と村の少女とが歌を通じて交感する「菌の歌」(陳楸帆)、ノーベル平和賞を受賞したアプリ〈レギオン〉の開発者へのインタビューを通じてその効果が明らかになる「〈軍団〉」(マルカ・オールダー)、人々に忌み嫌われる死体回収人の驚くべき秘密が暴かれる「渡し守」(サード・Z・フセイン)、飲んだくれの父親に見捨てられ自分を理解してくれない祖母のもとで暮らす少女の孤独を描いた「嵐のあと」(ジェイムズ・ブラッドレー)、以上十編とブラッドレーによるキム・スタンリー・ロビンスン・インタビューが本書には収録されている。
原著の副題に「人新世における生活」とあるように、気候変動やごみ問題を扱いながら、ヒトや企業のもたらした悪を糾弾したり解決策を提案したりといった大上段に振りかぶって社会構造を変革する作品ではなく、あり得る未来の中で市井の人々がどのように生活しているか、家族の姿はどうなっているかという一般の目線から未来社会の「生活」を切り取った作品が多いように感じた。どの作品も面白かったのだが、SFらしさを前面に出した作品としては「潮のさすとき」「菌の歌」を、現代と地続きの未来社会を描いた作品としては「未来のある日、西部で」を、それぞれ推しておきたい。
キム・スタンリー・ロビンスンのインタビューは、昨年訳されたばかりの『未来省』の思想的裏付けとなっている。ロビンスンは「正義や生物圏との持続可能なバランスのために役立っているひもを強化するための計画」を「科学」と呼び、そのひもは「民主主義や正義や進歩などを含んでいる歴史という太いひも」からのびていると語る。対抗している「資本主義」というひもは封建主義や家父長制などの古い権力体系からのびており、資本主義より科学を優先すべきだ。利潤を追求する政治経済を、利潤だけが成功の指標にならないように変革しなければならない。そして、それは暴力革命ではなく、言論闘争、政治闘争、法律闘争によって実現されるべきだ。希望はある、と。私は、ロビンスンの主張に全面的に賛成したい。
イーガンとロビンスンを除くと日本では馴染みのない作家が多いので、本書を読んで気に入った作家がいたら、単行本を読んでいくのも良いだろう。ダリル・グレゴリイ『迷宮の天使』(創元SF文庫)、ジャスティナ・ロブソン『アルフハイムのゲーム』(ハヤカワ文庫)、陳楸帆『荒潮』(新ハヤカワSFシリーズ)、マルカ・オールダー(他3名との共著)『九段下駅』(竹書房文庫)が翻訳されている。
最後に、原題のTomorrow’s Parties はヴェルヴェット・アンダーグラウンドのAll Tomorrow’s Partiesからとられている。ウィリアム・ギブスンの『フューチャーマチック』の原題もこれなのだが、貧しい娘が明日のパーティーに何を着ていったらいいのと歌う悲しみの歌が、現代の人々が未来に対して持つ不安の隠喩となっている。本書を読んで、未来への不安の中に少しの希望が見えてくるといいなと感じた。
進化したドローン社会とその欠陥を描く「シリコンバレーのドローン海賊」(メグ・エリソン)、プラスチックごみでできた島での暮らしを描いた「エグザイル・パークのどん底暮らし」(テイド・トンプソン)、気候変動に伴い頻発する山火事と進化した車の自動運転とを組み合わせて未来の災害を描写する「未来のある日、西部で」(ダリル・グレゴリイ)、気候変動否定論者が組織に命じられて災害ボランティアに潜入し、サイクロン襲来の現場に立ち会う「クライシス・アクター」(グレッグ・イーガン)、人体改造による海底生活への憧れを描く「潮のさすとき」(サラ・ゲイリー)、電脳帽をかぶって海底の人口汚染物質回収装置を操る父子の物語「お月さまをきみに」(ジャスティナ・ロブソン)、中国奥地の村に超皮質ネットワークを接続するために訪れた女性と村の少女とが歌を通じて交感する「菌の歌」(陳楸帆)、ノーベル平和賞を受賞したアプリ〈レギオン〉の開発者へのインタビューを通じてその効果が明らかになる「〈軍団〉」(マルカ・オールダー)、人々に忌み嫌われる死体回収人の驚くべき秘密が暴かれる「渡し守」(サード・Z・フセイン)、飲んだくれの父親に見捨てられ自分を理解してくれない祖母のもとで暮らす少女の孤独を描いた「嵐のあと」(ジェイムズ・ブラッドレー)、以上十編とブラッドレーによるキム・スタンリー・ロビンスン・インタビューが本書には収録されている。
原著の副題に「人新世における生活」とあるように、気候変動やごみ問題を扱いながら、ヒトや企業のもたらした悪を糾弾したり解決策を提案したりといった大上段に振りかぶって社会構造を変革する作品ではなく、あり得る未来の中で市井の人々がどのように生活しているか、家族の姿はどうなっているかという一般の目線から未来社会の「生活」を切り取った作品が多いように感じた。どの作品も面白かったのだが、SFらしさを前面に出した作品としては「潮のさすとき」「菌の歌」を、現代と地続きの未来社会を描いた作品としては「未来のある日、西部で」を、それぞれ推しておきたい。
キム・スタンリー・ロビンスンのインタビューは、昨年訳されたばかりの『未来省』の思想的裏付けとなっている。ロビンスンは「正義や生物圏との持続可能なバランスのために役立っているひもを強化するための計画」を「科学」と呼び、そのひもは「民主主義や正義や進歩などを含んでいる歴史という太いひも」からのびていると語る。対抗している「資本主義」というひもは封建主義や家父長制などの古い権力体系からのびており、資本主義より科学を優先すべきだ。利潤を追求する政治経済を、利潤だけが成功の指標にならないように変革しなければならない。そして、それは暴力革命ではなく、言論闘争、政治闘争、法律闘争によって実現されるべきだ。希望はある、と。私は、ロビンスンの主張に全面的に賛成したい。
イーガンとロビンスンを除くと日本では馴染みのない作家が多いので、本書を読んで気に入った作家がいたら、単行本を読んでいくのも良いだろう。ダリル・グレゴリイ『迷宮の天使』(創元SF文庫)、ジャスティナ・ロブソン『アルフハイムのゲーム』(ハヤカワ文庫)、陳楸帆『荒潮』(新ハヤカワSFシリーズ)、マルカ・オールダー(他3名との共著)『九段下駅』(竹書房文庫)が翻訳されている。
最後に、原題のTomorrow’s Parties はヴェルヴェット・アンダーグラウンドのAll Tomorrow’s Partiesからとられている。ウィリアム・ギブスンの『フューチャーマチック』の原題もこれなのだが、貧しい娘が明日のパーティーに何を着ていったらいいのと歌う悲しみの歌が、現代の人々が未来に対して持つ不安の隠喩となっている。本書を読んで、未来への不安の中に少しの希望が見えてくるといいなと感じた。
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