ステファンヌ・マンフレド『フランス流SF入門』2012-08-01 01:47

 フランスでイデー・ルシュ叢書の一冊として刊行されたSF入門書である。イデー・ルシュとは紋切り型思考のことで、この叢書の目的は「紋切り型思考の理由を明らかにし、それらと一定の距離を保って、掘り下げた分析をすること」にあるらしい。

 本書で言えば、「SFは未熟な若者向け」「SFは現実から完全に切り離されている」「SFは複雑」「SFは文学ではない」といった紋切り型思考に対して、著者は懇切丁寧に解説し、否定していく。が、掘り下げた分析には至っておらず、入門書を意識し過ぎたためか、カタログ的な羅列になってしまっているのが残念である。

 ただし、サンリオSF文庫によって1980年代に成されたフランスSF紹介の系譜を継ぐ書物としての本書の存在意義は大きく、また、日本のSF漫画がフランスでどのように受容されているかがつぶさにわかるため、その辺りは非常に面白く読める(たとえば、『マジンガーZ』と『エグザクソン』『エヴァ』が同一線上に並んでいるとか)。映画と漫画に比重を置きながらも、基本軸は小説にあるという方針は一貫しており、全体的には好感が持てた。こうした入門書は国内からも刊行されてもいいのではないか。今や日本の若者は「SFは宇宙人の物語に過ぎない」(本書130頁)という紋切り型思考に陥っているように思われる。筆者は生徒に「SFって宇宙人が出てくるんでしょう。ファンタジーはいいけど、SFはちょっと……」と言われて絶句した経験がある。良質のSFが読まれる前に拒否されているとしたらこんなに悲しいことはない。自分も筒井康隆編『SF教室』(ポプラ社)がなかったら、今こうしてSFに関する文章は書いていないはずだ。漫画や映画を含めたバランスのとれた魅力的なSF入門書が今ほど必要とされているときはない。第二、第三の『SF教室』、言ってみれば『日本流SF入門』の出現を望む。

私的名古屋SFファンダム史09(1979)2012-08-02 01:00

 しばらく放置してあったが、夏休みで少し暇になったので、続きを書く。前回はようやくスペース・フォースの会誌の印刷が終了し、初めて日本SF大会へ参加しようとするところまでだったかな。

 さて、1979年の日本SF大会は名古屋で開かれた。略称はメイコン3である。会場は名古屋港湾会館。地元なので、合宿は参加せず、2日間自宅から会場まで通った。手元のプログラム・ブックによれば、主催は「ミュータンツ」「ヴァイキング」「ユートランド」「セカンド」の4団体。協力が「名城大マンガ・アニメSF研究会」「名工大SF研兼漫研」「淑短マンガ研究会」「KMP」「MONNSTERS」の5団体となっている。自分が知っていたか後に知ることになるのは「ミュータンツ」と「名城大」「名工大」の3団体だけで、後はどんな団体か全くわからない。「名城大マンガ・アニメSF研」には〈奇想天外〉新人賞で新井素子と同時に入選し、プロデビューしていた大和眞也(やまとまや)が当時在籍しており、彼女はメイコン3スタッフでもあった。「名工大SF研兼漫研」には既に触れたように、兼岩さんというアクティブなSFファンがいたわけだが、この頃は既に自分たちとは連絡が途絶えていたため、メイコン3と彼がどう関わっていたかは不明である。どちらの大学も単独のSF研ではなく、漫画・アニメとの合同研究会であり、これは当時のSFファンダムの雰囲気をよく表している。

 メイコン3は一つのホールで全体が進行する旧来形のSF大会であった(現在は複数の企画が同時に進行していく形が普通)。最初に映画評論家の森卓也氏の講演「SF門外感」があり、昼からは「THX1138」「サイレント・ランニング」「ダーク・スター」と映画三連続上映。それぞれ監督はルーカス、トランブル、ダン・オバノンの豪華三本立て。字幕なしフィルムであったが、幸い「THX1138」はほとんどセリフがない映画で、非常によく理解できた。「サイレント・ランニング」は大会前の5月13日にTV放映されたばかりだったし、「ダーク・スター」は字幕なしではわからないだろうと思って、観ていない。ホール外の即売会場でようやくできあがった青焼きコピー誌「グレイト・アドミラル」を売ったり、本を買ったりしていたのではないかと思う。初日はこれで終わりである。えっ? これだけ? といった肩すかし感はあったものの、なんと言っても、初めてのSF大会で、プロ作家があちこちにいるという状況は実に刺激的で、すっかり舞い上がってしまったわれわれ二人はあちこちでサインをもらいまくってご満悦であった。手元のサイン帳には、かんべむさし、横田順彌、亀和田武、吾妻ひでお、深見弾、黒丸尚、高千穂遙、夢枕獏、風見潤、小松左京、山野浩一、新井素子、山田正紀、川又千秋、山尾悠子、田中光二、栗本薫、眉村卓、矢野徹のサインが残っている。上の写真はその一部。特に山尾悠子と吾妻ひでおは自分にとっての宝物である。(続く)

私的名古屋SFファンダム史10(1979)2012-08-03 22:57

 『フランス流SF入門』レビューにコメントをいただいた、イーガンの翻訳で知られる山岸真氏も初めて参加した日本SF大会はメイコン3だったという(twitterより)。氏に初めて会ったのは忘れもしない1982年の京都SFフェスティバルであるが、ひょっとして、その3年前に名古屋港湾会館のどこかで、高校2年の山岸真氏と高校1年のわれわれ2人がすれ違っていたのかもしれない。
 
 さて、1日目は映画上映がメインであったが、2日目はオークション、小松左京独演会、ダーティペアオンステージと企画が進む。オークションでは、フランシス・ベーコン『ニュー・アトランティス』(1658年版)が15万円、SFマガジン創刊号が3万円とかなりの高値で落札されており、貧乏高校生には全く手も足も出なかった。オークショナーは、該博な知識とテンポのよい語りで名古屋にこの人ありと知られたミュータンツの若尾天星さん。後にお付き合いさせていただき、自宅にもお邪魔したことがあるが、このときはまだどんな方なのかは全くわからず、ただ何だか恐ろしい世界が世の中にはあるんだなと思っただけである。

 小松左京独演会というのは講演のこと(すみません、よく覚えてません)。ダーティペアオンステージは、小説のモデルとなった2人がコスプレをして出てきて話をしただけで終わりというしょうもないものだったと記憶している。作家タイムでは、ゲストがずらっと並んで近況報告を行い、SF狂言「あやつり」が上演され、最後に星雲賞の発表があった。海外部門は長編『リングワールド』短編「無常の月」とどちらもニーヴンでがっかりした覚えがある。他の候補作は、長編『パーマー・エルドリッチ』『ユービック』『終わりなき戦い』『光の王』短編「二百周年を迎えた男」「ヒューストン、ヒューストン、聞こえるか」「残像」「さようならロビンソン・クルーソー」。既にいっぱしのマニア気取りで長編はディック、短編はヴァーリーに投票していたわれわれには、全く納得できる結果ではなかった。映画部門は当然のように『スター・ウォーズ』が受賞し、これも「未来少年コナン」に投票したわれわれには残念な結果であった。救いはコミック部門で、吾妻ひでお『不条理日記』が受賞したことぐらいか。後に吾妻ひでおはこの大会自体を『不条理日記』の一つとして漫画化することになる。

 こんなふうに初めてのSF大会はあっという間に過ぎ去った。持って行った会誌は全て売れた。苦労は報われたとも言えるが、何か中途半端な、不完全燃焼のような気持ちが胸にくすぶっていた。

 1日目の夕方、港湾会館の前では、誰かが持ち込んだミニTVでアニメを観ている一群がいた。土曜日の5時半と言えば、『機動戦士ガンダム』の放映時間である。リュウが戦死するエピソード(第21話「激闘は憎しみ深く」)が放映されていた。自分は前半のみ観て、会館に戻った。まだ大会プログラムが進行中だったのだ。SF大会の会場で、ホールから離れてアニメに見入る人々の出現。それはやはり1980年前後のSFファンダムの変質を象徴する出来事であったのだろう。(続く)

細田守『おおかみこどもの雨と雪』2012-08-05 23:13

 『おおかみこどもの雨と雪』観てきました。『時かけ』『サマー・ウォーズ』とどちらも面白かったので、細田守監督に対する評価は高いのですが、今回は狼男との間にできた子供をお母さんが育てるという基本設定に最初から疑問符がついていたので、ちゃんと映画になっているのかなという期待半分、心配半分で観てきました。

 日常のディテールを丁寧に描くという特色はいつも通り。ドラマの盛り上げ方も巧く、それないの感動は得られます。しかし、それは狼男との子供が生まれるという前提を素直に受け入れて初めて得られるものであって、最初から最後までその説明がされないままでは、どんなに芝居が丁寧であっても、母と子のドラマに普遍性があっても、心から感動することはできません。少なくとも現代を舞台にするのであれば、ほんの少しでもいいから現代人に納得できる説明(遺伝子工学なり、平行宇宙なり、伝奇ものとしての説明なり)が欲しかったと思います。そうでなければ、いっそ江戸時代か戦国時代を舞台にして民話風に展開するか、または狼抜きで本格ドラマにチャレンジするかすればよかったのではないでしょうか。監督の力量からすれば、それも難しいことではなかったはず。でも、狼抜きでは、あのラストシーンは成り立たないしなあ。現代に狼少女や狼少年が登場するギャップが面白いわけだから時代劇ではダメだし、うーん……。

 ともかく観ながらずっと考えていたのは、狼抜きで何とかならなかったのかということでした。

 作画的には見所なし。『サマーウォーズ』の電脳空間のような爽快感はいっさいない。井上俊之はどこをやっているんだろう? かえって、CG合成の背景とか絵本の場面とか止めのシーンが印象深かった。

オリンピック閉会式について2012-08-14 21:50

 今更ながらロンドン・オリンピック閉会式について書く。もともとオリンピック自体に興味はそれほどなく、開会式にポール・マッカトニーが出ていたのを見逃していたぐらい。しかし、テーマが「シンフォニー・オブ・ブリッティッシュ・ミユージック」というのを後から知ったので、ブリテッィシュ・ロック・ファンの端くれとして、閉会式だけはちゃんと見ようと思っていたのだ。が、やはり最初を見逃し、レイ・デイヴィスとケイト・ブッシュを見損ねてしまう(ペット・ショップ・ボーイズはどうでもいいが、この二人は見たかった)。

 ジョージ・マイケルから見始め、元気なアニー・レノックスにびっくり。演出もなかなか凝っていて、ファッション・モデルが登場する場面にボウイの曲(ファッション)を持ってくるなど、なかなか気が利いている。それにしても、このときのNHKのアナウンサー(解説者?)はひどかった。ネットで「うるさい」などと書かれていたが、問題は「うるさい」ことではない(むしろ、最初は静か過ぎるほどだった)。ブリティッシュ・ロックについて全く「無知である」ことが問題なのだ。アニーが出てきても「アニー・レノックスさんです」で終わり。エド・シーランがピンク・フロイド「Wish You Were Here」のカバーをやっても、一言も説明なし。一緒に演奏しているバンド・メンバーのうち、ニック・メイソンはフロイドのメンバーであるとか、マイク・ラザフォード(ジェネシス)が参加しているとか、曲に合わせて綱渡りの男が登場し、最後に別の男と握手した瞬間にその男から炎が上がったが、これは「Wish You Were Here」のジャケットを再現したものであるとか(ここは見ていてぞくぞくした)、いくらでも解説すべき点はあったというのに、解説はゼロ。何もなし。エリック・アイドルが出てきても「エリック・アイドルさんです」で終わり。モンティ・パイソンのメンバーであることも何も説明なし。

 わかっている人がいろいろ解説してくれるなら、「うるさ」くても全然問題なかったと思う。もちろん、アナウンサーはオリンピックの解説者であって、ロックのことはわかるはずもない。それならば、最初から「シンフォニー・オブ・ブリッティッシュ・ミユージック」というテーマはわかっていたのだから、ロックに詳しい人を呼ぶとか、いくらでも手は打てたのではないか。そして、「無知である」がゆえに、解説者はとんでもないことを始めてしまった。まだ曲が続いているのに、ショーとは何の関係もないオリンピックの振り返りを勝手に話し出してしまったのである! これは流石にひどいと思ったね。オリンピックで体操の演技をしているときに、ロックのことを話しますか? そんなことしたら、絶対に聞いている人は怒るでしょう? 確かに、閉会式はオリンピックの競技とは違う。でも、だからと言って、パフォーマンスを全く無視したおしゃべりを延々と続けるのは、演奏している人と聴いている人に失礼極まりない。これなら黙っていた方がましである。そこを指して「うるさい」と言われたんだろうが、なぜ「うるさ」くなってしまったのか。ショーを無視して話してもいいと判断したからだろう(指示があったのなら、指示を出した人がそう判断したのだ)。なぜ無視してもいいと思ったのかというと、たぶん価値がわからず、どうでもいいと思ったからだ。または閉会式だから、オリンピックを総括しなければという思いが強すぎたのか。ともかく、おおげさに言えば、これはイギリス文化に対する無礼な行為、野蛮な行為である。NHKは大いに反省して、以後はこのような失礼がないようにしてほしいものだ。