私的名古屋SFファンダム史10(1979)2012-08-03 22:57

 『フランス流SF入門』レビューにコメントをいただいた、イーガンの翻訳で知られる山岸真氏も初めて参加した日本SF大会はメイコン3だったという(twitterより)。氏に初めて会ったのは忘れもしない1982年の京都SFフェスティバルであるが、ひょっとして、その3年前に名古屋港湾会館のどこかで、高校2年の山岸真氏と高校1年のわれわれ2人がすれ違っていたのかもしれない。
 
 さて、1日目は映画上映がメインであったが、2日目はオークション、小松左京独演会、ダーティペアオンステージと企画が進む。オークションでは、フランシス・ベーコン『ニュー・アトランティス』(1658年版)が15万円、SFマガジン創刊号が3万円とかなりの高値で落札されており、貧乏高校生には全く手も足も出なかった。オークショナーは、該博な知識とテンポのよい語りで名古屋にこの人ありと知られたミュータンツの若尾天星さん。後にお付き合いさせていただき、自宅にもお邪魔したことがあるが、このときはまだどんな方なのかは全くわからず、ただ何だか恐ろしい世界が世の中にはあるんだなと思っただけである。

 小松左京独演会というのは講演のこと(すみません、よく覚えてません)。ダーティペアオンステージは、小説のモデルとなった2人がコスプレをして出てきて話をしただけで終わりというしょうもないものだったと記憶している。作家タイムでは、ゲストがずらっと並んで近況報告を行い、SF狂言「あやつり」が上演され、最後に星雲賞の発表があった。海外部門は長編『リングワールド』短編「無常の月」とどちらもニーヴンでがっかりした覚えがある。他の候補作は、長編『パーマー・エルドリッチ』『ユービック』『終わりなき戦い』『光の王』短編「二百周年を迎えた男」「ヒューストン、ヒューストン、聞こえるか」「残像」「さようならロビンソン・クルーソー」。既にいっぱしのマニア気取りで長編はディック、短編はヴァーリーに投票していたわれわれには、全く納得できる結果ではなかった。映画部門は当然のように『スター・ウォーズ』が受賞し、これも「未来少年コナン」に投票したわれわれには残念な結果であった。救いはコミック部門で、吾妻ひでお『不条理日記』が受賞したことぐらいか。後に吾妻ひでおはこの大会自体を『不条理日記』の一つとして漫画化することになる。

 こんなふうに初めてのSF大会はあっという間に過ぎ去った。持って行った会誌は全て売れた。苦労は報われたとも言えるが、何か中途半端な、不完全燃焼のような気持ちが胸にくすぶっていた。

 1日目の夕方、港湾会館の前では、誰かが持ち込んだミニTVでアニメを観ている一群がいた。土曜日の5時半と言えば、『機動戦士ガンダム』の放映時間である。リュウが戦死するエピソード(第21話「激闘は憎しみ深く」)が放映されていた。自分は前半のみ観て、会館に戻った。まだ大会プログラムが進行中だったのだ。SF大会の会場で、ホールから離れてアニメに見入る人々の出現。それはやはり1980年前後のSFファンダムの変質を象徴する出来事であったのだろう。(続く)

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