マックス・エルンスト展(愛知県美術館) ― 2012-08-17 22:16

妻とともにエルンスト展を観てきた。エルンストと言えば、様々な技法を開発したことで知られている。『百頭女』のコラージュもいいし、紙を凸凹の上に置いて擦り出すフロッタージュもいい。しかし、自分が最も惹かれるのは、絵の具の上に何かを置いてそれを剥がすときに出来る模様を使ったデカルコマニーである。これによって描き出された森というか岩というかどろどろの表面を備えた何だか不思議な物体は見ていて決して飽きることがない。SFファンとしては、どこで見たのかよく思い出せないが、バラード『結晶世界』の原書カバーに使われていた「沈黙の眼」(ひょっとして「雨後のヨーロッパⅡ」だったかも)が内容にぴったりで、印象に強く残っている。
今回は版画や彫刻も含めたスケープとしてエルンスト作品を捉え直そうという企画で、日頃観る機会のなかった彫刻作品もじっくりと観ることができた。彫刻は意外にも愛らしく、単純な○につぶらな黒い眼と口を簡単につけたものが多い。そう思ってよくよく観ると、絵画の方にも、有名な鳥の王「ロプロプ」をはじめ、可愛らしいキャラクターは結構登場しており、エルンストのユーモラスな面が引き立つ展示となっている。日本人受けするのか、値段がお手頃だったのか、国内収蔵作品が多く、数は十分揃っている。フロッタージュ体験コーナーもあり(早速チャレンジした結果、地元名産「ゆかり」のえび模様の金属のふたはフロッタージュに最適の素材であることがわかった!)、エルンスト初心者でも楽しめる、お勧めの展示会だと思う。
今回は版画や彫刻も含めたスケープとしてエルンスト作品を捉え直そうという企画で、日頃観る機会のなかった彫刻作品もじっくりと観ることができた。彫刻は意外にも愛らしく、単純な○につぶらな黒い眼と口を簡単につけたものが多い。そう思ってよくよく観ると、絵画の方にも、有名な鳥の王「ロプロプ」をはじめ、可愛らしいキャラクターは結構登場しており、エルンストのユーモラスな面が引き立つ展示となっている。日本人受けするのか、値段がお手頃だったのか、国内収蔵作品が多く、数は十分揃っている。フロッタージュ体験コーナーもあり(早速チャレンジした結果、地元名産「ゆかり」のえび模様の金属のふたはフロッタージュに最適の素材であることがわかった!)、エルンスト初心者でも楽しめる、お勧めの展示会だと思う。
チャイナ・ミエヴィル『都市と都市』 ― 2012-08-18 12:58

『SFが読みたい!』年間ベストに向けて、読み残した本を夏休みの間に読んでおかなければ、ということで、まずは昨年12月刊の『都市と都市』から読み始めた。
一人の女子大学生が残虐な手口で殺害され、その犯人をボルルという警部補が追うというストーリーラインは完全にミステリのもの。都市がニューヨークかロンドンであれば、まあ並の犯罪小説になっていただろう。しかし、本書がヒューゴー、ローカス、クラークと5つもの賞を受賞したのは、ヨーロッパのどこかにあるという架空のモザイク都市の設定があまりにも見事であり、説得力に溢れていたからだ。ベジェルとウル・コーマという言語も文化も異なる二つの都市が同じ空間に存在するという設定は、並のSF作家ならば、パラレルワールドで処理してしまうところだが、ミエヴィルのユニークさは、この設定を、互いに相手を「見ない」「聞かない」という思い切りアナログかつシンプルな方法で処理してしまった強引さにある。そこに存在するのに見えていないというのは、心理学的に説明しうることであり得ない話ではない。しかし、数万人から数百万人が暮らす都市でそれを行うことができるのか。ミエヴィルは、携帯、iPod、ネットなど現代の日常生活にある小道具や、いかにもヨーロッパ風な都市の佇まいをリアルに描写することによって、別種の国民が同時に暮らす都市というあり得ない世界を見事に存在せしめている。中盤もたつくのがやや残念ではあるが、SFとは、ストーリーやキャラクターよりも、語り口やものの見方そのものに重きを置いた小説であるということをよく体現している佳作である。
いつもの誤字探し。P.300「あまにも」→「あまりにも」
ここまでで、暫定的な2012海外SFベストを作ると、
1 『サイバラバード・デイズ』 イアン・マクドナルド
2 『第六ポンプ』 パオロ・バチガルピ
3 『都市と都市』 チャイナ・ミエヴィル
4 『連環宇宙』 R・C・ウィルスン
となる。すごく当たり前だけど、こんなものでしょう。これから読むのが『ボーンシェイカー』『ブラックアウト』。バチガルピの『シップ・ブレイカー』も楽しみ。今年は国書刊行会と河出書房が出ていないこともあって、久しぶりに早川の年になるのかな。
一人の女子大学生が残虐な手口で殺害され、その犯人をボルルという警部補が追うというストーリーラインは完全にミステリのもの。都市がニューヨークかロンドンであれば、まあ並の犯罪小説になっていただろう。しかし、本書がヒューゴー、ローカス、クラークと5つもの賞を受賞したのは、ヨーロッパのどこかにあるという架空のモザイク都市の設定があまりにも見事であり、説得力に溢れていたからだ。ベジェルとウル・コーマという言語も文化も異なる二つの都市が同じ空間に存在するという設定は、並のSF作家ならば、パラレルワールドで処理してしまうところだが、ミエヴィルのユニークさは、この設定を、互いに相手を「見ない」「聞かない」という思い切りアナログかつシンプルな方法で処理してしまった強引さにある。そこに存在するのに見えていないというのは、心理学的に説明しうることであり得ない話ではない。しかし、数万人から数百万人が暮らす都市でそれを行うことができるのか。ミエヴィルは、携帯、iPod、ネットなど現代の日常生活にある小道具や、いかにもヨーロッパ風な都市の佇まいをリアルに描写することによって、別種の国民が同時に暮らす都市というあり得ない世界を見事に存在せしめている。中盤もたつくのがやや残念ではあるが、SFとは、ストーリーやキャラクターよりも、語り口やものの見方そのものに重きを置いた小説であるということをよく体現している佳作である。
いつもの誤字探し。P.300「あまにも」→「あまりにも」
ここまでで、暫定的な2012海外SFベストを作ると、
1 『サイバラバード・デイズ』 イアン・マクドナルド
2 『第六ポンプ』 パオロ・バチガルピ
3 『都市と都市』 チャイナ・ミエヴィル
4 『連環宇宙』 R・C・ウィルスン
となる。すごく当たり前だけど、こんなものでしょう。これから読むのが『ボーンシェイカー』『ブラックアウト』。バチガルピの『シップ・ブレイカー』も楽しみ。今年は国書刊行会と河出書房が出ていないこともあって、久しぶりに早川の年になるのかな。
早瀬耕『グリフォンズ・ガーデン』 ― 2012-08-19 18:17

前回とりあげた『都市と都市』には、途中でネーナの「ロックバルーンは99」(原題は「99ルフトバルーン」、1984年の世界的大ヒット曲)が出てくる。統一前の西ベルリン、会議のディスコ(?)でかかっていたのをボルル警部補が回想する場面である(125ページ)。今となっては「ロックバルーン」って一体何だったんだろうと思ったりもするが、まあこの題名を見るだけで、統一前の雰囲気が出ないこともないので、作者のねらいは成功しているのだろう。自分も思わずネーナのわき毛が話題になったビデオクリップを思い出してしまった。
さて、たまたま今日本の整理をしていて、奥から出てきた本をパラパラめくっていたら「99ルフトバルーン」が出てきてびっくり。思わず全部読み返してしまった。その本は早瀬耕『グリフォンズ・ガーデン』(早川書房/1992年4月30日発行)。大学の卒業論文をもとにした小説で、作者はこれ一冊を刊行したのみで消えてしまった。20年前の本だから、ネーナの曲は大昔ではなくて、ちょっと昔を連想する小道具として使われている。まあいわゆる一発屋という点でもネーナと共通点はあるかな。でも、小説はなかなかの出来であるので、せっかく再読したことだし、ここで紹介しておこう。
この本では、二つのパートが交互に描かれる。第一パートである「PRIMARY WORLD」は、「ぼく」がガールフレンドの由美子とともに千歳空港に到着する場面から始まる。大学院の修士課程を終えた「ぼく」は札幌のコンピュータ・サイエンスの研究機関で働くことになった。グリフォンの石像が至るところにあるため、グリフォンズ・ガーデンと呼ばれる研究所で、「ぼく」はバイオ素子を使ったコンピュータIDA-10(Intelligent Dynamic Automaton-10)にデュアル・ワールド・システムというプログラムを走らせる。1990年6月4日にスタートしたそのプログラムの中には「彼」と「佳奈」という女の子が存在する。「佳奈」は札幌に来るときに見た夢の中に出てきた女の子の名だ。
第二パートである「DUAL WORLD」は、1990年6月4日、22歳の大学生である「ぼく」が講義を受ける場面から始まる。「ぼく」は高校の同級生の佳奈とつきあっており、地動説の正否について真剣な論議をしたり、あわせ鏡の鏡像は無限かどうかを話し合ったりする毎日だ。そんなある日、「ぼく」は教授から札幌の知能工学研究所に行かないかと誘いを受ける。……このあたりまで読み進むと、もう予測がつくと思うが、最後は美しい円環構造(というよりメビウスの輪構造?)を成して物語は終わる。
あれ? 第一パートの「ぼく」と第二パートの「ぼく」は年齢が違うじゃないかと思われるかもしれない。自分も初読の際は読み飛ばしていたのだが、実は第二パートのある箇所で二年が経過しており、実際には24歳で「ぼく」の年はきれいに同じになるのだ。24に対するこだわりに気付くと、作中で登場人物がむきになって交わす23進数論議も何か関連があるようにも思えてくる。
外付けディスクがCD-ROM3台だったり、インターネットも携帯も全く出てこなかったりと、今から見るとハードウェア的に随分古臭くなっている場面もあるし、何よりコンピュータの理解はこれでいいのかという根本的な疑問がなくもないが、主役のカップル二組(厳密には1.5組?)が交わす、いかにも大学生らしい存在論的議論の瑞々しさ、新鮮さは、少しも古びていない。議論の内容には勘違いや突っ込みたくなるところが多々あるが、それも若さゆえのご愛嬌だ。マグリット、アンセル・アダムズ、10cc、ネーナ、ティアーズ・フォー・ティアーズなど、登場するアーティストの趣味も小説の雰囲気に合っており、それぞれを場面に合わせた趣向も楽しい。総じて、すぐれた青春小説として、今でも十分楽しめると思う。
さて、たまたま今日本の整理をしていて、奥から出てきた本をパラパラめくっていたら「99ルフトバルーン」が出てきてびっくり。思わず全部読み返してしまった。その本は早瀬耕『グリフォンズ・ガーデン』(早川書房/1992年4月30日発行)。大学の卒業論文をもとにした小説で、作者はこれ一冊を刊行したのみで消えてしまった。20年前の本だから、ネーナの曲は大昔ではなくて、ちょっと昔を連想する小道具として使われている。まあいわゆる一発屋という点でもネーナと共通点はあるかな。でも、小説はなかなかの出来であるので、せっかく再読したことだし、ここで紹介しておこう。
この本では、二つのパートが交互に描かれる。第一パートである「PRIMARY WORLD」は、「ぼく」がガールフレンドの由美子とともに千歳空港に到着する場面から始まる。大学院の修士課程を終えた「ぼく」は札幌のコンピュータ・サイエンスの研究機関で働くことになった。グリフォンの石像が至るところにあるため、グリフォンズ・ガーデンと呼ばれる研究所で、「ぼく」はバイオ素子を使ったコンピュータIDA-10(Intelligent Dynamic Automaton-10)にデュアル・ワールド・システムというプログラムを走らせる。1990年6月4日にスタートしたそのプログラムの中には「彼」と「佳奈」という女の子が存在する。「佳奈」は札幌に来るときに見た夢の中に出てきた女の子の名だ。
第二パートである「DUAL WORLD」は、1990年6月4日、22歳の大学生である「ぼく」が講義を受ける場面から始まる。「ぼく」は高校の同級生の佳奈とつきあっており、地動説の正否について真剣な論議をしたり、あわせ鏡の鏡像は無限かどうかを話し合ったりする毎日だ。そんなある日、「ぼく」は教授から札幌の知能工学研究所に行かないかと誘いを受ける。……このあたりまで読み進むと、もう予測がつくと思うが、最後は美しい円環構造(というよりメビウスの輪構造?)を成して物語は終わる。
あれ? 第一パートの「ぼく」と第二パートの「ぼく」は年齢が違うじゃないかと思われるかもしれない。自分も初読の際は読み飛ばしていたのだが、実は第二パートのある箇所で二年が経過しており、実際には24歳で「ぼく」の年はきれいに同じになるのだ。24に対するこだわりに気付くと、作中で登場人物がむきになって交わす23進数論議も何か関連があるようにも思えてくる。
外付けディスクがCD-ROM3台だったり、インターネットも携帯も全く出てこなかったりと、今から見るとハードウェア的に随分古臭くなっている場面もあるし、何よりコンピュータの理解はこれでいいのかという根本的な疑問がなくもないが、主役のカップル二組(厳密には1.5組?)が交わす、いかにも大学生らしい存在論的議論の瑞々しさ、新鮮さは、少しも古びていない。議論の内容には勘違いや突っ込みたくなるところが多々あるが、それも若さゆえのご愛嬌だ。マグリット、アンセル・アダムズ、10cc、ネーナ、ティアーズ・フォー・ティアーズなど、登場するアーティストの趣味も小説の雰囲気に合っており、それぞれを場面に合わせた趣向も楽しい。総じて、すぐれた青春小説として、今でも十分楽しめると思う。
ジョン・ケイルをまとめて聴く ― 2012-08-20 23:10

なぜか突然ジョン・ケイルをまとめて聴いている。これは『ウォッチメン』を読んで各章の最後に引用されている言葉がとにかくかっこよくて、12章(最後の章)のジョン・ケイルの言葉「より強き世界となる/より強き愛の世界となる/われらはその中にて死す」は一体どの歌からなんだろう? と思って、弟にCDを何枚か借りてそのままになっていたものを、少し暇ができたのでまとめて聴き直そうと思ったからである。聖書、ニーチェ、ユング、ブレイク「虎よ、虎よ!」に交じって、『ウォッチメン』の章末で引用されたミュージシャンは、ケイルも含めて三人だけ。残り二人はボブ・ディランとコステロなのだから、アラン・ムーアのジョン・ケイルに対する評価の高さがわかろうというものだ。
私は、むろんヴェルヴェット・アンダーグラウンドもルー・リードも好きなのだが、ジョン・ケイルは格別だ。実はルー・リードよりも好きかもしれない。特に、ヴェルヴェトを最初の2枚でやめソロになってからの1枚目「Vintage Violence」(1970年)は最高である。けだるい歌い方と親しみやすいメロディ。ラフでありながら、実はきっちりと計算され構築されている曲の、時には崇高なまでの美しさ。このチープさと壮大さが入り混じった感じが実にすばらしい。SFで言えば、ディックかワイドスクリーンバロックのようなものだ。これに匹敵するのは、スラップ・ハッピーの「アクナルバサック・ムーン」しかないね。世間では3枚目の「Paris 1919」(1973年)の方が評価が高いようだが、自分は迷わずこの1枚目を推す。これと4枚目「Fear」(1974年)、6枚目「Heren of Troy」(1975年)まで聴いて、今日は終わり。
結論から言うと、『ウォッチメン』に引用された「Santies」は、このどれにも入ってなくて、1982年の「Music for a New Society」に入っている曲なのであった。おそらく『ウォッチメン』効果なのだろう。このアルバム、アマゾンでもとんでもない値段がついている。一万円を超えているので、ちょっと手が出ない。弟が持ってるといいなあ。
私は、むろんヴェルヴェット・アンダーグラウンドもルー・リードも好きなのだが、ジョン・ケイルは格別だ。実はルー・リードよりも好きかもしれない。特に、ヴェルヴェトを最初の2枚でやめソロになってからの1枚目「Vintage Violence」(1970年)は最高である。けだるい歌い方と親しみやすいメロディ。ラフでありながら、実はきっちりと計算され構築されている曲の、時には崇高なまでの美しさ。このチープさと壮大さが入り混じった感じが実にすばらしい。SFで言えば、ディックかワイドスクリーンバロックのようなものだ。これに匹敵するのは、スラップ・ハッピーの「アクナルバサック・ムーン」しかないね。世間では3枚目の「Paris 1919」(1973年)の方が評価が高いようだが、自分は迷わずこの1枚目を推す。これと4枚目「Fear」(1974年)、6枚目「Heren of Troy」(1975年)まで聴いて、今日は終わり。
結論から言うと、『ウォッチメン』に引用された「Santies」は、このどれにも入ってなくて、1982年の「Music for a New Society」に入っている曲なのであった。おそらく『ウォッチメン』効果なのだろう。このアルバム、アマゾンでもとんでもない値段がついている。一万円を超えているので、ちょっと手が出ない。弟が持ってるといいなあ。
PC復活&文芸会 ― 2012-08-31 08:24

ここのところパソコンの入れ替えに思ったより時間がかかり、なかなか更新できなかった。自作が趣味なので、3年に一度はパソコンを新調している。CPUはずっとAMD派だったのだが、最近AMDにも元気がなく、ついにIntelのcorei5-3450Sとマザーボードを購入してしまった。OSまで入れてソフトをあれこれ入れているうちに、何度もブルースクリーンが出て落ちてしまう。こんなことは今までなかったなあ、何がおかしいのかなあとあれこれ考えているうちにあっという間に一週間。
結論はメモリの不具合だった。最初にスロットに差すときに、4つスロットがあったので(A1、A2、B1、B2)、何も考えずにA1とA2に差しておいたら、それが大間違い。マニュアルをよくよく読んでみたら、何とA2とB2に差せと書いてある。えっ、いつからそんな風になったの? それならスロットはA2、B2、A1、B1の順にしてほしいとか、せめてA1、B1に差すのが筋だろうとかいろいろな考えが浮かぶが、これはもう仕様なので仕方がない。DDR2までは最初の2つのスロットでよかったよね(既にうろおぼえ)。その後、ちゃんと差しても不具合が出るので、これはメモリがやられたなと思い、新しいメモリを購入して付け換えたら、ブルースクリーンは消えた。今のところ順調である。うーん、今回の教訓はマニュアルはちゃんと読みましょうということか。
さて、前置きが長くなってしまったが、この夏休みは、自分が前任校で顧問をしていた文芸部のOGたちによる飲み会がたまたま二連続で開催された。文芸同好会を立ち上げた一期生たちとの会が26日(日)、その二つ下の生徒たちとの会が27日(月)。こういう会に招かれることほど、教師としてうれしいことはない。どちらも楽しく過ごさせてもらい、若者たちから元気をもらうことができた。悩んでいる子もいるけれど、闇はいつか明けるはず。あせらずちょっとずつ進んでいこう。
いつもいつも呼んでくれて、本当にありがとう!!
写真は、1日目の文芸会の会場となった千種のブオンユミヤッチョ(食べログより無断転載)。雰囲気もよく、料理もおいしいイタリアンのお店でした。
会の数日前に、この二つの世代のちょうどはざまの卒業生(文芸部OG)から名古屋市公務員合格のメールが届いた。これもうれしい知らせ。今度は11月ぐらいにこの子の合格祝いを兼ねて、拡大文芸会を開きたいと思っているので、よろしくお願いします。
結論はメモリの不具合だった。最初にスロットに差すときに、4つスロットがあったので(A1、A2、B1、B2)、何も考えずにA1とA2に差しておいたら、それが大間違い。マニュアルをよくよく読んでみたら、何とA2とB2に差せと書いてある。えっ、いつからそんな風になったの? それならスロットはA2、B2、A1、B1の順にしてほしいとか、せめてA1、B1に差すのが筋だろうとかいろいろな考えが浮かぶが、これはもう仕様なので仕方がない。DDR2までは最初の2つのスロットでよかったよね(既にうろおぼえ)。その後、ちゃんと差しても不具合が出るので、これはメモリがやられたなと思い、新しいメモリを購入して付け換えたら、ブルースクリーンは消えた。今のところ順調である。うーん、今回の教訓はマニュアルはちゃんと読みましょうということか。
さて、前置きが長くなってしまったが、この夏休みは、自分が前任校で顧問をしていた文芸部のOGたちによる飲み会がたまたま二連続で開催された。文芸同好会を立ち上げた一期生たちとの会が26日(日)、その二つ下の生徒たちとの会が27日(月)。こういう会に招かれることほど、教師としてうれしいことはない。どちらも楽しく過ごさせてもらい、若者たちから元気をもらうことができた。悩んでいる子もいるけれど、闇はいつか明けるはず。あせらずちょっとずつ進んでいこう。
いつもいつも呼んでくれて、本当にありがとう!!
写真は、1日目の文芸会の会場となった千種のブオンユミヤッチョ(食べログより無断転載)。雰囲気もよく、料理もおいしいイタリアンのお店でした。
会の数日前に、この二つの世代のちょうどはざまの卒業生(文芸部OG)から名古屋市公務員合格のメールが届いた。これもうれしい知らせ。今度は11月ぐらいにこの子の合格祝いを兼ねて、拡大文芸会を開きたいと思っているので、よろしくお願いします。
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