『遊戯と臨界』赤野工作(2025年3月/創元日本SF叢書)2025-04-25 12:46

『遊戯と臨界』赤野工作
 ゲームに関する作品ばかりを収録したゲームSF傑作選。作者は小説投稿サイト「カクヨム」出身の作家で、架空のゲームをレビューした『ザ・ビデオ・ゲーム・ウィス・ノー・ネーム』(2017年)で〈SFが読みたい!〉の年間ベスト四位に入るなど、高い評価を得ている。

 本書には、遊んだゲームがつまらなかったため返品を希望するカスタマーと返答するサポートとのやり取りを通じて恐ろしい真実が浮かび上がる「それはそれ、これはこれ」、1.3秒のタイムラグが生じるにもかかわらず月と地球を結んだオンラインゲームに執着する男たちの話「お前のこったからどうせそんなこったろうと思ったよ」、日常生活にかかる時間も含めたゲームのクリアタイムを最短にしようと試みる男のゲーム実況「邪魔にもならない」など11編が収録されている。各編に共通しているのは主人公たちのゲームに賭ける熱い思いだ。彼らは何かに取り憑かれたようにゲームをプレイし、ゲームを語る。印象に残った作品をいくつか紹介していきたい。

 実際の高校にeスポーツ部が設立され、ゲームが一つのスポーツとして現実にも認知されてきた今、高校野球に高野連があるように、ゲームの世界にも高e連が作られ、そこで起きた不祥事に対して謝罪会見が起きるかもしれない。そんな未来を先取りして描いてみせたのが「全国高校eスポーツ連合謝罪会見全文」だ。ゲーム内のキャラクターの動作が侮辱に当たるかどうかが争点となり、プレイヤーの高校生にはその動作が侮辱に相当することがわからなかった。作者は、ゲームを一つの文化ととらえ、文化の捉え方の世代間相違がもたらすギャップを笑いでくるむ。掌編「ミコトの拳」では、この世界はゲーム内のシミュレーションに過ぎないと考えるシミュレーション仮説を追究し、中編「これを呪いと呼ぶのなら」では、恐怖の記憶を脳に上書きするゲームをレビューする男を通じて、本当の恐怖とは何かを描く。

「本音と、建前と、あとはご自由に」では、Vtuber をしている主人公が独裁国家を倒すゲームを実況しているうちに、その国の反政府勢力に利用され、内乱で多くの人が犠牲となる。主人公が国家転覆罪に問われ裁判を受ける過程を会話だけで描いた本作は、主人公のあまりの政治的感覚のなさにぞっとさせられる話だが、高校教員を30年以上続けてきた自分にとっては、多くの若者の実情を反映しているように思う。気になったことが一つ。作中で主人公を「反動分子」と呼ぶ場面が何度も出てきた。本来「反動分子」とは「一切の改革を認めようとしない保守派や体制派」、つまり「政府寄りの人たち」を「反政府勢力」が批判して使う言葉であるが、ここでは全く逆に「反政府勢力」を示す言葉として使われている。反政府勢力を「反動分子」と呼ぶことには強烈な違和感があるので、指摘しておきたい。途中からは直っているようなので、単なる校正ミスであればよいのだが。

 1989年9月にソ連から西側へ亡命してきた科学者と、あるゲームとの関わりをスパイ小説仕立てで描いた「“たかが”とはなんだ、“たかが”とは」は、集中では珍しく客観描写を取り入れているが、オチありきの話であることは変わらない。ゲーム実況配信をしていた先輩が亡くなった後に、様々な怪奇現象が起きる「曰く」は、般若心経の解説を結構真面目にしているところが新機軸と言えるかもしれない。

 基本的に会話だけで物語が進んでいくので、これらの諸作を小説とは呼び難い。どちらかと言うと、落語などの話芸に近いものだろう。しかし、軽く書かれたように見えて、実は鋭く世相をえぐっていたり、恐ろしい真実を示していたりする着想には捨てがたいものがある。ゲームにのめり込む人々を一歩引いた視点から捉え、彼らと社会とのギャップを描いているところも面白い。その意味からは、「全国高校eスポーツ連合謝罪会見全文」と「本音と、建前と、あとはご自由に」が特に良かった。形式を整えて本格的な小説を書いたら、もっと多くの層(全くゲームをしない自分のような高齢者層)にもアピールできるのではないかと思う。

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