『暗黒星雲』フレッド・ホイル(1958年11月/法政大学出版局) ― 2025-04-19 13:01

ネットフリックス版『三体』のドラマを見ていると、第一話で葉博士の部屋にあった箱の中にフレッド・ホイルの Evolution from Space があって驚いた。これは題名からわかるようにパンスペルミア仮説について述べられたもので、宇宙生命を示唆した演出、または単なる偶然(それっぽい本を入れておけ程度のもの)と思われるが、ホイルのファースト・コンタクトものと言えば、何と言っても『暗黒星雲』である。出版社がSFプロパーでないためか、SF界で話題になることは少なかったが、実はなかなかの秀作であり、1958年の初版以来、各種の異装を経て1985年まで版を重ねた。筆者の古くからの知り合いの物理教師(SFファン)は大変この作品が気に入っており、その面白さを熱く語ってくれた。何十年も前のことだが、印象に残っている。今回はこのクラシックSFを紹介したい(古典であるということに鑑み、ネタを大いにバラすのでご留意願いたい)。
1959年1月、パロマー天文台で働く天文学者イェンセンは一か月前の写真と現在の写真を図像比較器で見ているうちに、南の空で暗黒星雲が大きくなっていることに気づく。すぐに幹部のマーロー博士に報告し、会議が開かれる。会議で、この星雲が地球に向かっていること、一年半後には地球に到達するであろうことが確認された。
一方、グリニジ天文台を始めイギリス各地で、木星と土星の軌道が正規の位置からずれていることが観測される。どうやら木星の質量程度の未知の天体が太陽系周辺に存在しているらしい。ケンブリッジ大学天文学教授キングスリーは、未知の天体が見つかっていないかマーロー博士に問い合わせ、すぐにアメリカに呼ばれる。二人は協力して報告書をまとめ、アメリカ大統領とイギリス首相にそれぞれ報告する。早速イギリスのノルトンストウに最新の電波望遠鏡を備えた研究所が作られ、秘密裡の活動が始まった。
原著の刊行は1957年であり、何千個もの真空管を備え紙テープを吐き出す巨大な電子計算機、全く新しい符号としての周波数変調(FM)など、科学的装置や知識の古めかしさは否めない。しかし、物語の前半、暗黒星雲の実在と進路を科学的な事実をもとに推論していく過程には普遍的な面白さがあり、物語がテンポよく進んでいくので、今読んでもスリリングで楽しめる。電波に信号を乗せて送れば、一秒に五百万語を送ることができるという発想などは明らかに現代のインターネットにつながるものであり、ホイルの洞察力が優れていたことを示している。
さて、物語は後半に入り、いよいよ暗黒星雲が太陽系に近づいてくる。どうなるのかというと、多くの人は太陽光が遮られ地球は寒冷化すると思うだろう。しかし、この物語では、その前にまず太陽光が星雲ガスに輻射されることによって、地球は一度熱せられるのだ。気温は四十度台となり、植物と昆虫が繁栄し、人々は次々と死んでいく。その後ようやく、太陽と地球の間に星雲が入り込んで、暗黒が訪れ、雨が降り、すさまじい台風が起きる。気温はどんどん下がり、雪が降り、川が凍る。極端な気候変動によって、二か月で世界人口の四分の一が失われた。
一方で、暗黒星雲は自らガスを噴射して進行速度を弱め、太陽系に留まっていることが判明する。1965年には、太陽を中心とする黄道面に対して傾斜した円盤となって安定した。地球では、大気中の電離度が特定の波長の電波だけを通すように変化していることから、キングスリーは星雲が知能を備えているのではないかという仮説を立て、簡単な信号を送り、返答を得る。それは「通信うけとった。知らせが少ない。もっと送れ」というものであった。試行錯誤の末、研究所員の声をもとにした音声信号が開発され、星雲とのやり取りが始まる。星雲の考えでは、惑星の重力下では神経活動の範囲が狭くなり、また、惑星は太陽光を一部しか受け取れないので化学変化の量が少なく、惑星に高度な知性は育たない。ところが、惑星から信号の送信があったので、星雲は驚いたのである。
科学者集団は暗黒星雲とのやり取りを続けるが、政治家たちと対立し、アメリカおよびソ連の政治家は星雲に対して水素爆弾を積んだロケットを百五十機発射する。それに対する星雲の反応は恐るべき結果を人々にもたらした。そして、その後十日足らずで、ついに暗黒星雲は太陽系を離れる。水素ロケットのせいではなく、わずか二光年先の星雲知性体が星雲を超える理知的存在について解答を得たと連絡してきたため、そこへ行って確かめたいというのだ。かくして暗黒星雲は去った。置き土産として、星雲との通信方法および人類が到達していない知識を得るための方法を残して。科学者たちは果敢にそれに挑む。果たして知識は得られるのか……。
本書は、科学を普遍言語として用い、異なる知性間での意思疎通が可能と考える点で、『三体』を始めとする劉慈欣作品と共通している。人間をアリにたとえたり、電波が重要な役割を果たしたりするのも同じだ。太陽系規模の知性とのコンタクトという点では、惑星規模の知性を扱う『ソラリス』よりもスケールは大きい。ただし、意思疎通があまりに容易にできてしまうところは、リアリティのなさという欠点を生じさせているが、一種の思考実験レポートだと思えば、許せてしまうところもある。小説的完成度よりもアイディアの面白さを優先させた作品なのだ。壮大な規模で展開されたファースト・コンタクトもののクラシックとして、高く評価しておきたい。
写真は左上から右回りに
1958年11月初版
同(表紙違い)
1967年9月改版第一刷(訳者「改版の刊行に際して」収録)
1970年5月新装版第一刷(コスモス・ブックス)
1974年10月新装版(コスモス・ブックス)
1959年1月、パロマー天文台で働く天文学者イェンセンは一か月前の写真と現在の写真を図像比較器で見ているうちに、南の空で暗黒星雲が大きくなっていることに気づく。すぐに幹部のマーロー博士に報告し、会議が開かれる。会議で、この星雲が地球に向かっていること、一年半後には地球に到達するであろうことが確認された。
一方、グリニジ天文台を始めイギリス各地で、木星と土星の軌道が正規の位置からずれていることが観測される。どうやら木星の質量程度の未知の天体が太陽系周辺に存在しているらしい。ケンブリッジ大学天文学教授キングスリーは、未知の天体が見つかっていないかマーロー博士に問い合わせ、すぐにアメリカに呼ばれる。二人は協力して報告書をまとめ、アメリカ大統領とイギリス首相にそれぞれ報告する。早速イギリスのノルトンストウに最新の電波望遠鏡を備えた研究所が作られ、秘密裡の活動が始まった。
原著の刊行は1957年であり、何千個もの真空管を備え紙テープを吐き出す巨大な電子計算機、全く新しい符号としての周波数変調(FM)など、科学的装置や知識の古めかしさは否めない。しかし、物語の前半、暗黒星雲の実在と進路を科学的な事実をもとに推論していく過程には普遍的な面白さがあり、物語がテンポよく進んでいくので、今読んでもスリリングで楽しめる。電波に信号を乗せて送れば、一秒に五百万語を送ることができるという発想などは明らかに現代のインターネットにつながるものであり、ホイルの洞察力が優れていたことを示している。
さて、物語は後半に入り、いよいよ暗黒星雲が太陽系に近づいてくる。どうなるのかというと、多くの人は太陽光が遮られ地球は寒冷化すると思うだろう。しかし、この物語では、その前にまず太陽光が星雲ガスに輻射されることによって、地球は一度熱せられるのだ。気温は四十度台となり、植物と昆虫が繁栄し、人々は次々と死んでいく。その後ようやく、太陽と地球の間に星雲が入り込んで、暗黒が訪れ、雨が降り、すさまじい台風が起きる。気温はどんどん下がり、雪が降り、川が凍る。極端な気候変動によって、二か月で世界人口の四分の一が失われた。
一方で、暗黒星雲は自らガスを噴射して進行速度を弱め、太陽系に留まっていることが判明する。1965年には、太陽を中心とする黄道面に対して傾斜した円盤となって安定した。地球では、大気中の電離度が特定の波長の電波だけを通すように変化していることから、キングスリーは星雲が知能を備えているのではないかという仮説を立て、簡単な信号を送り、返答を得る。それは「通信うけとった。知らせが少ない。もっと送れ」というものであった。試行錯誤の末、研究所員の声をもとにした音声信号が開発され、星雲とのやり取りが始まる。星雲の考えでは、惑星の重力下では神経活動の範囲が狭くなり、また、惑星は太陽光を一部しか受け取れないので化学変化の量が少なく、惑星に高度な知性は育たない。ところが、惑星から信号の送信があったので、星雲は驚いたのである。
科学者集団は暗黒星雲とのやり取りを続けるが、政治家たちと対立し、アメリカおよびソ連の政治家は星雲に対して水素爆弾を積んだロケットを百五十機発射する。それに対する星雲の反応は恐るべき結果を人々にもたらした。そして、その後十日足らずで、ついに暗黒星雲は太陽系を離れる。水素ロケットのせいではなく、わずか二光年先の星雲知性体が星雲を超える理知的存在について解答を得たと連絡してきたため、そこへ行って確かめたいというのだ。かくして暗黒星雲は去った。置き土産として、星雲との通信方法および人類が到達していない知識を得るための方法を残して。科学者たちは果敢にそれに挑む。果たして知識は得られるのか……。
本書は、科学を普遍言語として用い、異なる知性間での意思疎通が可能と考える点で、『三体』を始めとする劉慈欣作品と共通している。人間をアリにたとえたり、電波が重要な役割を果たしたりするのも同じだ。太陽系規模の知性とのコンタクトという点では、惑星規模の知性を扱う『ソラリス』よりもスケールは大きい。ただし、意思疎通があまりに容易にできてしまうところは、リアリティのなさという欠点を生じさせているが、一種の思考実験レポートだと思えば、許せてしまうところもある。小説的完成度よりもアイディアの面白さを優先させた作品なのだ。壮大な規模で展開されたファースト・コンタクトもののクラシックとして、高く評価しておきたい。
写真は左上から右回りに
1958年11月初版
同(表紙違い)
1967年9月改版第一刷(訳者「改版の刊行に際して」収録)
1970年5月新装版第一刷(コスモス・ブックス)
1974年10月新装版(コスモス・ブックス)
最近のコメント