『遊戯と臨界』赤野工作(2025年3月/創元日本SF叢書) ― 2025-04-25 12:46

ゲームに関する作品ばかりを収録したゲームSF傑作選。作者は小説投稿サイト「カクヨム」出身の作家で、架空のゲームをレビューした『ザ・ビデオ・ゲーム・ウィス・ノー・ネーム』(2017年)で〈SFが読みたい!〉の年間ベスト四位に入るなど、高い評価を得ている。
本書には、遊んだゲームがつまらなかったため返品を希望するカスタマーと返答するサポートとのやり取りを通じて恐ろしい真実が浮かび上がる「それはそれ、これはこれ」、1.3秒のタイムラグが生じるにもかかわらず月と地球を結んだオンラインゲームに執着する男たちの話「お前のこったからどうせそんなこったろうと思ったよ」、日常生活にかかる時間も含めたゲームのクリアタイムを最短にしようと試みる男のゲーム実況「邪魔にもならない」など11編が収録されている。各編に共通しているのは主人公たちのゲームに賭ける熱い思いだ。彼らは何かに取り憑かれたようにゲームをプレイし、ゲームを語る。印象に残った作品をいくつか紹介していきたい。
実際の高校にeスポーツ部が設立され、ゲームが一つのスポーツとして現実にも認知されてきた今、高校野球に高野連があるように、ゲームの世界にも高e連が作られ、そこで起きた不祥事に対して謝罪会見が起きるかもしれない。そんな未来を先取りして描いてみせたのが「全国高校eスポーツ連合謝罪会見全文」だ。ゲーム内のキャラクターの動作が侮辱に当たるかどうかが争点となり、プレイヤーの高校生にはその動作が侮辱に相当することがわからなかった。作者は、ゲームを一つの文化ととらえ、文化の捉え方の世代間相違がもたらすギャップを笑いでくるむ。掌編「ミコトの拳」では、この世界はゲーム内のシミュレーションに過ぎないと考えるシミュレーション仮説を追究し、中編「これを呪いと呼ぶのなら」では、恐怖の記憶を脳に上書きするゲームをレビューする男を通じて、本当の恐怖とは何かを描く。
「本音と、建前と、あとはご自由に」では、Vtuber をしている主人公が独裁国家を倒すゲームを実況しているうちに、その国の反政府勢力に利用され、内乱で多くの人が犠牲となる。主人公が国家転覆罪に問われ裁判を受ける過程を会話だけで描いた本作は、主人公のあまりの政治的感覚のなさにぞっとさせられる話だが、高校教員を30年以上続けてきた自分にとっては、多くの若者の実情を反映しているように思う。気になったことが一つ。作中で主人公を「反動分子」と呼ぶ場面が何度も出てきた。本来「反動分子」とは「一切の改革を認めようとしない保守派や体制派」、つまり「政府寄りの人たち」を「反政府勢力」が批判して使う言葉であるが、ここでは全く逆に「反政府勢力」を示す言葉として使われている。反政府勢力を「反動分子」と呼ぶことには強烈な違和感があるので、指摘しておきたい。途中からは直っているようなので、単なる校正ミスであればよいのだが。
1989年9月にソ連から西側へ亡命してきた科学者と、あるゲームとの関わりをスパイ小説仕立てで描いた「“たかが”とはなんだ、“たかが”とは」は、集中では珍しく客観描写を取り入れているが、オチありきの話であることは変わらない。ゲーム実況配信をしていた先輩が亡くなった後に、様々な怪奇現象が起きる「曰く」は、般若心経の解説を結構真面目にしているところが新機軸と言えるかもしれない。
基本的に会話だけで物語が進んでいくので、これらの諸作を小説とは呼び難い。どちらかと言うと、落語などの話芸に近いものだろう。しかし、軽く書かれたように見えて、実は鋭く世相をえぐっていたり、恐ろしい真実を示していたりする着想には捨てがたいものがある。ゲームにのめり込む人々を一歩引いた視点から捉え、彼らと社会とのギャップを描いているところも面白い。その意味からは、「全国高校eスポーツ連合謝罪会見全文」と「本音と、建前と、あとはご自由に」が特に良かった。形式を整えて本格的な小説を書いたら、もっと多くの層(全くゲームをしない自分のような高齢者層)にもアピールできるのではないかと思う。
本書には、遊んだゲームがつまらなかったため返品を希望するカスタマーと返答するサポートとのやり取りを通じて恐ろしい真実が浮かび上がる「それはそれ、これはこれ」、1.3秒のタイムラグが生じるにもかかわらず月と地球を結んだオンラインゲームに執着する男たちの話「お前のこったからどうせそんなこったろうと思ったよ」、日常生活にかかる時間も含めたゲームのクリアタイムを最短にしようと試みる男のゲーム実況「邪魔にもならない」など11編が収録されている。各編に共通しているのは主人公たちのゲームに賭ける熱い思いだ。彼らは何かに取り憑かれたようにゲームをプレイし、ゲームを語る。印象に残った作品をいくつか紹介していきたい。
実際の高校にeスポーツ部が設立され、ゲームが一つのスポーツとして現実にも認知されてきた今、高校野球に高野連があるように、ゲームの世界にも高e連が作られ、そこで起きた不祥事に対して謝罪会見が起きるかもしれない。そんな未来を先取りして描いてみせたのが「全国高校eスポーツ連合謝罪会見全文」だ。ゲーム内のキャラクターの動作が侮辱に当たるかどうかが争点となり、プレイヤーの高校生にはその動作が侮辱に相当することがわからなかった。作者は、ゲームを一つの文化ととらえ、文化の捉え方の世代間相違がもたらすギャップを笑いでくるむ。掌編「ミコトの拳」では、この世界はゲーム内のシミュレーションに過ぎないと考えるシミュレーション仮説を追究し、中編「これを呪いと呼ぶのなら」では、恐怖の記憶を脳に上書きするゲームをレビューする男を通じて、本当の恐怖とは何かを描く。
「本音と、建前と、あとはご自由に」では、Vtuber をしている主人公が独裁国家を倒すゲームを実況しているうちに、その国の反政府勢力に利用され、内乱で多くの人が犠牲となる。主人公が国家転覆罪に問われ裁判を受ける過程を会話だけで描いた本作は、主人公のあまりの政治的感覚のなさにぞっとさせられる話だが、高校教員を30年以上続けてきた自分にとっては、多くの若者の実情を反映しているように思う。気になったことが一つ。作中で主人公を「反動分子」と呼ぶ場面が何度も出てきた。本来「反動分子」とは「一切の改革を認めようとしない保守派や体制派」、つまり「政府寄りの人たち」を「反政府勢力」が批判して使う言葉であるが、ここでは全く逆に「反政府勢力」を示す言葉として使われている。反政府勢力を「反動分子」と呼ぶことには強烈な違和感があるので、指摘しておきたい。途中からは直っているようなので、単なる校正ミスであればよいのだが。
1989年9月にソ連から西側へ亡命してきた科学者と、あるゲームとの関わりをスパイ小説仕立てで描いた「“たかが”とはなんだ、“たかが”とは」は、集中では珍しく客観描写を取り入れているが、オチありきの話であることは変わらない。ゲーム実況配信をしていた先輩が亡くなった後に、様々な怪奇現象が起きる「曰く」は、般若心経の解説を結構真面目にしているところが新機軸と言えるかもしれない。
基本的に会話だけで物語が進んでいくので、これらの諸作を小説とは呼び難い。どちらかと言うと、落語などの話芸に近いものだろう。しかし、軽く書かれたように見えて、実は鋭く世相をえぐっていたり、恐ろしい真実を示していたりする着想には捨てがたいものがある。ゲームにのめり込む人々を一歩引いた視点から捉え、彼らと社会とのギャップを描いているところも面白い。その意味からは、「全国高校eスポーツ連合謝罪会見全文」と「本音と、建前と、あとはご自由に」が特に良かった。形式を整えて本格的な小説を書いたら、もっと多くの層(全くゲームをしない自分のような高齢者層)にもアピールできるのではないかと思う。
『パラドクス・ホテル』ロブ・ハート(2025年3月/創元SF文庫) ― 2025-04-22 21:15

タイムトラベルが実現し、好きな時代へ自由に旅行ができるようになった近未来。アインシュタイン・インターセンチュリー時空港に隣接したパラドクス・ホテルでは、時空港を民営化しようという計画が進行していた。時間旅行は費用がかかり、政府は赤字で運営している。大富豪を集めて、その中の誰かに事業をまるごと買ってもらおうというわけだ。不動産王、サウジアラビア皇太子、IT投資家、複数企業のCEOが集まり、ホテルでサミットが開かれようとするとき、奇妙な出来事が連続して起きる。孵化したばかりの恐竜が三頭、ホテル内を走り回る。ロビーの大時計が不連続な時間を示す。
主人公の警備主任ジャン・コールは、自身が時間離脱症を患っており、突然過去や未来の風景を垣間見る。亡くなった恋人メーナがホテル内に現れ、ホテルの客室でのどを切り裂かれた男の死体を見る。そんな中で、ホテル内での事件が起きたため、混乱は増すばかり。果たして殺人事件の真相は明らかになるのか、そしてサミットの行方は……。
実に魅力的な舞台設定と言うべきで、時空港からは、古代エジプト、ゲティスバーグの戦い、三畳紀、ルネサンスなど世界史、地球史のエポックメイキングとなる様々な時代行きの旅客機が出ている。ジャン・コールはもともと時間犯罪取締局で働いていたこともあり、少しはタイムトラベルの状況が回想として描かれているが、本書のストーリイはあくまでもホテル内で起きるさまざまな事件を解決することが主となっており、時間旅行が脇に置いておかれるのが、少し物足りない。しかし、それを補って余りあるのが、ホテル内での恐竜をめぐる騒動、ホテルの経営をめぐる権謀術数、時空が乱れるトラブルの解決などのいくつもの重層的に重なる物語である。主人公の時間離脱症のために、時系列が複雑に入り乱れてシーンが現れ、かなり複雑な構成となっているが、作者の手綱さばきが巧く、決して読みにくくはない。主人公の相棒であるAIドローンのルビーとのユーモラスなやり取りもあって、楽しく読み進めることができる。そして、何より主人公コールの恋人であったメーナが、コールの時間離脱症によって繰り返し自身の目の前に現れては消える、その辛さが切実に読者に迫ってくる。本書は、表面的には強靭な個性をもちながら、内面では自己嫌悪にまみれ生きづらさを抱えた一人の女性の心が解きほぐされ、新たな居場所を見つけ出していく過程を丁寧に描いた心理小説でもあるのだ。タイムトラベルものの衣をまとった癒しの物語。本書の核はここにあるのではないかと思う。
主人公の警備主任ジャン・コールは、自身が時間離脱症を患っており、突然過去や未来の風景を垣間見る。亡くなった恋人メーナがホテル内に現れ、ホテルの客室でのどを切り裂かれた男の死体を見る。そんな中で、ホテル内での事件が起きたため、混乱は増すばかり。果たして殺人事件の真相は明らかになるのか、そしてサミットの行方は……。
実に魅力的な舞台設定と言うべきで、時空港からは、古代エジプト、ゲティスバーグの戦い、三畳紀、ルネサンスなど世界史、地球史のエポックメイキングとなる様々な時代行きの旅客機が出ている。ジャン・コールはもともと時間犯罪取締局で働いていたこともあり、少しはタイムトラベルの状況が回想として描かれているが、本書のストーリイはあくまでもホテル内で起きるさまざまな事件を解決することが主となっており、時間旅行が脇に置いておかれるのが、少し物足りない。しかし、それを補って余りあるのが、ホテル内での恐竜をめぐる騒動、ホテルの経営をめぐる権謀術数、時空が乱れるトラブルの解決などのいくつもの重層的に重なる物語である。主人公の時間離脱症のために、時系列が複雑に入り乱れてシーンが現れ、かなり複雑な構成となっているが、作者の手綱さばきが巧く、決して読みにくくはない。主人公の相棒であるAIドローンのルビーとのユーモラスなやり取りもあって、楽しく読み進めることができる。そして、何より主人公コールの恋人であったメーナが、コールの時間離脱症によって繰り返し自身の目の前に現れては消える、その辛さが切実に読者に迫ってくる。本書は、表面的には強靭な個性をもちながら、内面では自己嫌悪にまみれ生きづらさを抱えた一人の女性の心が解きほぐされ、新たな居場所を見つけ出していく過程を丁寧に描いた心理小説でもあるのだ。タイムトラベルものの衣をまとった癒しの物語。本書の核はここにあるのではないかと思う。
『暗黒星雲』フレッド・ホイル(1958年11月/法政大学出版局) ― 2025-04-19 13:01

ネットフリックス版『三体』のドラマを見ていると、第一話で葉博士の部屋にあった箱の中にフレッド・ホイルの Evolution from Space があって驚いた。これは題名からわかるようにパンスペルミア仮説について述べられたもので、宇宙生命を示唆した演出、または単なる偶然(それっぽい本を入れておけ程度のもの)と思われるが、ホイルのファースト・コンタクトものと言えば、何と言っても『暗黒星雲』である。出版社がSFプロパーでないためか、SF界で話題になることは少なかったが、実はなかなかの秀作であり、1958年の初版以来、各種の異装を経て1985年まで版を重ねた。筆者の古くからの知り合いの物理教師(SFファン)は大変この作品が気に入っており、その面白さを熱く語ってくれた。何十年も前のことだが、印象に残っている。今回はこのクラシックSFを紹介したい(古典であるということに鑑み、ネタを大いにバラすのでご留意願いたい)。
1959年1月、パロマー天文台で働く天文学者イェンセンは一か月前の写真と現在の写真を図像比較器で見ているうちに、南の空で暗黒星雲が大きくなっていることに気づく。すぐに幹部のマーロー博士に報告し、会議が開かれる。会議で、この星雲が地球に向かっていること、一年半後には地球に到達するであろうことが確認された。
一方、グリニジ天文台を始めイギリス各地で、木星と土星の軌道が正規の位置からずれていることが観測される。どうやら木星の質量程度の未知の天体が太陽系周辺に存在しているらしい。ケンブリッジ大学天文学教授キングスリーは、未知の天体が見つかっていないかマーロー博士に問い合わせ、すぐにアメリカに呼ばれる。二人は協力して報告書をまとめ、アメリカ大統領とイギリス首相にそれぞれ報告する。早速イギリスのノルトンストウに最新の電波望遠鏡を備えた研究所が作られ、秘密裡の活動が始まった。
原著の刊行は1957年であり、何千個もの真空管を備え紙テープを吐き出す巨大な電子計算機、全く新しい符号としての周波数変調(FM)など、科学的装置や知識の古めかしさは否めない。しかし、物語の前半、暗黒星雲の実在と進路を科学的な事実をもとに推論していく過程には普遍的な面白さがあり、物語がテンポよく進んでいくので、今読んでもスリリングで楽しめる。電波に信号を乗せて送れば、一秒に五百万語を送ることができるという発想などは明らかに現代のインターネットにつながるものであり、ホイルの洞察力が優れていたことを示している。
さて、物語は後半に入り、いよいよ暗黒星雲が太陽系に近づいてくる。どうなるのかというと、多くの人は太陽光が遮られ地球は寒冷化すると思うだろう。しかし、この物語では、その前にまず太陽光が星雲ガスに輻射されることによって、地球は一度熱せられるのだ。気温は四十度台となり、植物と昆虫が繁栄し、人々は次々と死んでいく。その後ようやく、太陽と地球の間に星雲が入り込んで、暗黒が訪れ、雨が降り、すさまじい台風が起きる。気温はどんどん下がり、雪が降り、川が凍る。極端な気候変動によって、二か月で世界人口の四分の一が失われた。
一方で、暗黒星雲は自らガスを噴射して進行速度を弱め、太陽系に留まっていることが判明する。1965年には、太陽を中心とする黄道面に対して傾斜した円盤となって安定した。地球では、大気中の電離度が特定の波長の電波だけを通すように変化していることから、キングスリーは星雲が知能を備えているのではないかという仮説を立て、簡単な信号を送り、返答を得る。それは「通信うけとった。知らせが少ない。もっと送れ」というものであった。試行錯誤の末、研究所員の声をもとにした音声信号が開発され、星雲とのやり取りが始まる。星雲の考えでは、惑星の重力下では神経活動の範囲が狭くなり、また、惑星は太陽光を一部しか受け取れないので化学変化の量が少なく、惑星に高度な知性は育たない。ところが、惑星から信号の送信があったので、星雲は驚いたのである。
科学者集団は暗黒星雲とのやり取りを続けるが、政治家たちと対立し、アメリカおよびソ連の政治家は星雲に対して水素爆弾を積んだロケットを百五十機発射する。それに対する星雲の反応は恐るべき結果を人々にもたらした。そして、その後十日足らずで、ついに暗黒星雲は太陽系を離れる。水素ロケットのせいではなく、わずか二光年先の星雲知性体が星雲を超える理知的存在について解答を得たと連絡してきたため、そこへ行って確かめたいというのだ。かくして暗黒星雲は去った。置き土産として、星雲との通信方法および人類が到達していない知識を得るための方法を残して。科学者たちは果敢にそれに挑む。果たして知識は得られるのか……。
本書は、科学を普遍言語として用い、異なる知性間での意思疎通が可能と考える点で、『三体』を始めとする劉慈欣作品と共通している。人間をアリにたとえたり、電波が重要な役割を果たしたりするのも同じだ。太陽系規模の知性とのコンタクトという点では、惑星規模の知性を扱う『ソラリス』よりもスケールは大きい。ただし、意思疎通があまりに容易にできてしまうところは、リアリティのなさという欠点を生じさせているが、一種の思考実験レポートだと思えば、許せてしまうところもある。小説的完成度よりもアイディアの面白さを優先させた作品なのだ。壮大な規模で展開されたファースト・コンタクトもののクラシックとして、高く評価しておきたい。
写真は左上から右回りに
1958年11月初版
同(表紙違い)
1967年9月改版第一刷(訳者「改版の刊行に際して」収録)
1970年5月新装版第一刷(コスモス・ブックス)
1974年10月新装版(コスモス・ブックス)
1959年1月、パロマー天文台で働く天文学者イェンセンは一か月前の写真と現在の写真を図像比較器で見ているうちに、南の空で暗黒星雲が大きくなっていることに気づく。すぐに幹部のマーロー博士に報告し、会議が開かれる。会議で、この星雲が地球に向かっていること、一年半後には地球に到達するであろうことが確認された。
一方、グリニジ天文台を始めイギリス各地で、木星と土星の軌道が正規の位置からずれていることが観測される。どうやら木星の質量程度の未知の天体が太陽系周辺に存在しているらしい。ケンブリッジ大学天文学教授キングスリーは、未知の天体が見つかっていないかマーロー博士に問い合わせ、すぐにアメリカに呼ばれる。二人は協力して報告書をまとめ、アメリカ大統領とイギリス首相にそれぞれ報告する。早速イギリスのノルトンストウに最新の電波望遠鏡を備えた研究所が作られ、秘密裡の活動が始まった。
原著の刊行は1957年であり、何千個もの真空管を備え紙テープを吐き出す巨大な電子計算機、全く新しい符号としての周波数変調(FM)など、科学的装置や知識の古めかしさは否めない。しかし、物語の前半、暗黒星雲の実在と進路を科学的な事実をもとに推論していく過程には普遍的な面白さがあり、物語がテンポよく進んでいくので、今読んでもスリリングで楽しめる。電波に信号を乗せて送れば、一秒に五百万語を送ることができるという発想などは明らかに現代のインターネットにつながるものであり、ホイルの洞察力が優れていたことを示している。
さて、物語は後半に入り、いよいよ暗黒星雲が太陽系に近づいてくる。どうなるのかというと、多くの人は太陽光が遮られ地球は寒冷化すると思うだろう。しかし、この物語では、その前にまず太陽光が星雲ガスに輻射されることによって、地球は一度熱せられるのだ。気温は四十度台となり、植物と昆虫が繁栄し、人々は次々と死んでいく。その後ようやく、太陽と地球の間に星雲が入り込んで、暗黒が訪れ、雨が降り、すさまじい台風が起きる。気温はどんどん下がり、雪が降り、川が凍る。極端な気候変動によって、二か月で世界人口の四分の一が失われた。
一方で、暗黒星雲は自らガスを噴射して進行速度を弱め、太陽系に留まっていることが判明する。1965年には、太陽を中心とする黄道面に対して傾斜した円盤となって安定した。地球では、大気中の電離度が特定の波長の電波だけを通すように変化していることから、キングスリーは星雲が知能を備えているのではないかという仮説を立て、簡単な信号を送り、返答を得る。それは「通信うけとった。知らせが少ない。もっと送れ」というものであった。試行錯誤の末、研究所員の声をもとにした音声信号が開発され、星雲とのやり取りが始まる。星雲の考えでは、惑星の重力下では神経活動の範囲が狭くなり、また、惑星は太陽光を一部しか受け取れないので化学変化の量が少なく、惑星に高度な知性は育たない。ところが、惑星から信号の送信があったので、星雲は驚いたのである。
科学者集団は暗黒星雲とのやり取りを続けるが、政治家たちと対立し、アメリカおよびソ連の政治家は星雲に対して水素爆弾を積んだロケットを百五十機発射する。それに対する星雲の反応は恐るべき結果を人々にもたらした。そして、その後十日足らずで、ついに暗黒星雲は太陽系を離れる。水素ロケットのせいではなく、わずか二光年先の星雲知性体が星雲を超える理知的存在について解答を得たと連絡してきたため、そこへ行って確かめたいというのだ。かくして暗黒星雲は去った。置き土産として、星雲との通信方法および人類が到達していない知識を得るための方法を残して。科学者たちは果敢にそれに挑む。果たして知識は得られるのか……。
本書は、科学を普遍言語として用い、異なる知性間での意思疎通が可能と考える点で、『三体』を始めとする劉慈欣作品と共通している。人間をアリにたとえたり、電波が重要な役割を果たしたりするのも同じだ。太陽系規模の知性とのコンタクトという点では、惑星規模の知性を扱う『ソラリス』よりもスケールは大きい。ただし、意思疎通があまりに容易にできてしまうところは、リアリティのなさという欠点を生じさせているが、一種の思考実験レポートだと思えば、許せてしまうところもある。小説的完成度よりもアイディアの面白さを優先させた作品なのだ。壮大な規模で展開されたファースト・コンタクトもののクラシックとして、高く評価しておきたい。
写真は左上から右回りに
1958年11月初版
同(表紙違い)
1967年9月改版第一刷(訳者「改版の刊行に際して」収録)
1970年5月新装版第一刷(コスモス・ブックス)
1974年10月新装版(コスモス・ブックス)
『ミッキー7 反物質ブルース』エドワード・アシュトン(2025年3月/ハヤカワ文庫SF) ― 2025-04-13 13:47

ポン・ジュノ監督により映画化された『ミッキー7』(2023年1月/ハヤカワ文庫SF)の続編である。舞台は、宇宙移民のための宇宙船外活動や惑星開拓において「エクスペンダブル(使い捨て人間)」と呼ばれるクローン人間が危険な任務を担う未来。エクスペンダブルに志願し、惑星ニヴルヘイム開発の任務についた主人公ミッキー・バーンズは、何度も悲惨な死に方をして、その度に再生され、生前にアップロードしておいた記憶を上書きされては、また任務につく。六度目に再生された個体がミッキー7というわけだ。
ニヴルヘイムの原住生物(巨大ムカデのような生き物)に殺されたと思われていたミッキー7が実は生きていて、コロニーに戻るとミッキー8が既に再生されていた。見つかれば処分されてしまうミッキー7は、ミッキー8と協力して秘かに共同生活を送るが、やがてばれてしまい……という物語が、前作ではテンポよくコミカルに描かれていた。本書は、その直接の続編となるので、できれば前作を読んでからの方が楽しめるだろう。タイトルにあるように、前作の結末で重要な役割を果たした反物質爆弾が鍵となり、その探索行が本書のメイン・ストーリイとなる。
エクスペンダブルを辞めて二年が経過し、ミッキーは平穏な生活を送っていた。しかし、コロニーの全エネルギーを作り出している反物質反応炉が故障し、反物質燃料の9割がダメになる。残りの燃料ではニヴルヘイムの厳しい冬を越すことができない。ミッキーは司令官に命じられ、反物質爆弾を取り戻すことになった。早速隠し場所に向かうが、そこに爆弾はなかった。ムカデたちとコンタクトを果たしたミッキーは、爆弾がムカデたちの敵に貢物として渡されたことを知る。果たしてミッキーは爆弾を取り戻すことができるのか……。
前作の最後からムカデたちとのコンタクトがとれるようになり、彼らの知性のあり方がわかってきた。ムカデたちは知性を共有する一種の集合体であり、〈最高〉と呼ばれる存在と〈補助者〉と呼ばれる存在に分かれている。〈最高〉さえ生きていればそれでよく〈補助者〉は殺されても構わない。従って、相手に対しても〈補助者〉とみなせば、簡単に殺してしまう。ミッキーは自分を〈最高〉だと伝えて殺害を免れたのだ。今回は、人間そっくりに話すムカデが現れ、コンタクトがよりスムースに進む。人間の通信を傍受して言葉を覚えたため、ミッキーの友人ベルトそっくりに話すという特色を備えており、異生命体とのコンタクトがよりユーモラスなものになっている。この特色は、本シリーズの長所でもあり、短所でもある。アンディ・ウィアー『プロジェクト・ヘイル・メアリー』にも顕著な点だが、異生命体とのコンタクトが容易に、人間に理解可能なものとして進んでいくことは、読みやすさとわかりやすさを読者に提供する一方で、そんなことが本当に可能なのかというありえなさを逆に喚起し、作品のリアリティが失われる要因ともなる。娯楽作のレベルで読めればそれでいいという立場からは問題にならないことだが、レムのように異生命体とのコンタクトをシリアスに捉える立場から見ると、安直かつ不徹底ということになるだろう。
ともあれ、本書の後半では、人間とムカデたちが協力して、相手の〈補助者〉である巨大なクモたちと戦う。クモたちの背後には、ムカデたちとはまた別種の生命体が潜んでいるのだが、その正体は読んでのお楽しみというところだ。爆弾の行方とコロニーの運命にも見事に決着がつき、物語は大団円を迎える。エンターテインメントとしては申し分のない出来で、読んで損なしの面白さ。ただ、もう少し深みがあれば……というのはないものねだりになるのだろう。
ニヴルヘイムの原住生物(巨大ムカデのような生き物)に殺されたと思われていたミッキー7が実は生きていて、コロニーに戻るとミッキー8が既に再生されていた。見つかれば処分されてしまうミッキー7は、ミッキー8と協力して秘かに共同生活を送るが、やがてばれてしまい……という物語が、前作ではテンポよくコミカルに描かれていた。本書は、その直接の続編となるので、できれば前作を読んでからの方が楽しめるだろう。タイトルにあるように、前作の結末で重要な役割を果たした反物質爆弾が鍵となり、その探索行が本書のメイン・ストーリイとなる。
エクスペンダブルを辞めて二年が経過し、ミッキーは平穏な生活を送っていた。しかし、コロニーの全エネルギーを作り出している反物質反応炉が故障し、反物質燃料の9割がダメになる。残りの燃料ではニヴルヘイムの厳しい冬を越すことができない。ミッキーは司令官に命じられ、反物質爆弾を取り戻すことになった。早速隠し場所に向かうが、そこに爆弾はなかった。ムカデたちとコンタクトを果たしたミッキーは、爆弾がムカデたちの敵に貢物として渡されたことを知る。果たしてミッキーは爆弾を取り戻すことができるのか……。
前作の最後からムカデたちとのコンタクトがとれるようになり、彼らの知性のあり方がわかってきた。ムカデたちは知性を共有する一種の集合体であり、〈最高〉と呼ばれる存在と〈補助者〉と呼ばれる存在に分かれている。〈最高〉さえ生きていればそれでよく〈補助者〉は殺されても構わない。従って、相手に対しても〈補助者〉とみなせば、簡単に殺してしまう。ミッキーは自分を〈最高〉だと伝えて殺害を免れたのだ。今回は、人間そっくりに話すムカデが現れ、コンタクトがよりスムースに進む。人間の通信を傍受して言葉を覚えたため、ミッキーの友人ベルトそっくりに話すという特色を備えており、異生命体とのコンタクトがよりユーモラスなものになっている。この特色は、本シリーズの長所でもあり、短所でもある。アンディ・ウィアー『プロジェクト・ヘイル・メアリー』にも顕著な点だが、異生命体とのコンタクトが容易に、人間に理解可能なものとして進んでいくことは、読みやすさとわかりやすさを読者に提供する一方で、そんなことが本当に可能なのかというありえなさを逆に喚起し、作品のリアリティが失われる要因ともなる。娯楽作のレベルで読めればそれでいいという立場からは問題にならないことだが、レムのように異生命体とのコンタクトをシリアスに捉える立場から見ると、安直かつ不徹底ということになるだろう。
ともあれ、本書の後半では、人間とムカデたちが協力して、相手の〈補助者〉である巨大なクモたちと戦う。クモたちの背後には、ムカデたちとはまた別種の生命体が潜んでいるのだが、その正体は読んでのお楽しみというところだ。爆弾の行方とコロニーの運命にも見事に決着がつき、物語は大団円を迎える。エンターテインメントとしては申し分のない出来で、読んで損なしの面白さ。ただ、もう少し深みがあれば……というのはないものねだりになるのだろう。
『タイタン・ノワール』ニック・ハーカウェイ(2024年12月/ハヤカワ文庫SF) ― 2025-02-04 10:06

ミステリもSFも手掛ける中国の作家陸秋槎氏は、両者の関係について述べたエッセイの中で、ミステリとSFの組み合せは二つあると言う(週刊文春 2019年9月12日号)。一つは「SF設定を持つミステリ」で、もう一つは「謎のあるSF」だ。前者はミステリのような事件に宇宙、未来、タイムトラベルなどのSF設定を加えたもので、後者は冒頭に謎を設置してSFのアイディアで解く。前者の代表が西澤保彦『七回死んだ男』で、後者の代表がレム『ソラリス』である。劉慈欣『三体』は後者であり、アシモフ『鋼鉄都市』は両者を融合した作品である、と。なるほど、明解な分析で、おそらくほとんどのSFミステリはこれに当てはまると思われる。ミステリ作家でSFも手掛ける太田忠司氏とミステリ評論家の大矢博子氏の対談(名古屋SFシンポジウム2016)でも、SFミステリのタイプ分けとして、「1 SF的な舞台設定(ロボットもの、サイバーパンク、歴史もの、宇宙もの、スチームパンク、時間もの等)」「2 SF的な謎が提示される」「3 SF要素のあるミステリ」の三つが提示されていた。このうち、3は1に含まれると考えれば、タイプは二つとなり、陸秋槎氏の分類とほぼ変わらない。
スパイ作家ジョン・ル・カレの息子であるニック・カーハウェイが書いたSFミステリ『タイタン・ノワール』は、典型的な「SF設定を持つミステリ」「SF要素のあるミステリ」と見せかけながら、最後には「謎のあるSF」と融合した地点に着地する一風変わった作品である。
近未来の架空都市オスリス市で、殺人事件が起きる。高層アパートの自室で大学教授ロディ・テビットが自身の所持する銃により殺されたのだ。警察のコンサルタントを務める私立探偵キャル・サウンダーが捜査に当たる。これだけなら普通のミステリなのだが、本書のSF設定は独特である。被害者はタイタンと呼ばれる巨人であり、加害者もおそらくタイタンと推測される。タイタンとは、病気や事故などによりそのまま生存することが困難な人間に対して特殊な薬T7を投与して身体を変成させ、その結果巨大化した人間を指している。薬を開発したトンファミカスカ一族が莫大な富を貯えており、その頂点に位置するのがステファン・トンファミカスカ。彼は四回T7を投与されており(四齢と呼ばれる)、強大な身体と力を備えて一族を率いているのだ。殺されたロディはどうしてタイタン化したのか、そして、犯人はなぜロディを殺したのか。謎が謎を呼び、読者はキャルとともに、怪しい世界へと踏み入っていく。
ノワールという題名に違わず、タイタンたちの通う悪徳と快楽の園である怪しげなクラブ、そこで開かれる暴力的なショー、裏社会を束ねる異形のタイタン、汚職の蔓延る警察内部などがスタイリッシュな文体で描かれ、それだけでも魅力十分なのだが、さらに、キャルが真相に辿り着くための手がかりを入手する方法が極めてSF的であり、謎解きのあとの結末も(明らかにすることはできないが)、えっ、そう来るのという意外性に満ちている。手がかりの入手方法については、本書を絶賛しているギブスンの有名短篇と似ているとだけ言っておこう。ロディ殺害の謎については、伏線が見事に回収され、すっきりとした解決がついており、そこに不満はない。結末については、タイタンが富と権力の象徴として描かれ、主人公キャルがそれに反抗する主体として活躍していただけに、これでいいのかという不満が残った。まあ、落ち着いて考えればこれしかないのだろうとは思えるが、これで続編が書けるのかという心配はある(と書いたが、続編は既に出来上がっているので、どんな風に仕上がっているのか、楽しみだ)。
とにかく、読んでいて楽しく、魅惑に満ちた作品であることは間違いない。ミステリファンにもSFファンにも楽しめる快作である。
スパイ作家ジョン・ル・カレの息子であるニック・カーハウェイが書いたSFミステリ『タイタン・ノワール』は、典型的な「SF設定を持つミステリ」「SF要素のあるミステリ」と見せかけながら、最後には「謎のあるSF」と融合した地点に着地する一風変わった作品である。
近未来の架空都市オスリス市で、殺人事件が起きる。高層アパートの自室で大学教授ロディ・テビットが自身の所持する銃により殺されたのだ。警察のコンサルタントを務める私立探偵キャル・サウンダーが捜査に当たる。これだけなら普通のミステリなのだが、本書のSF設定は独特である。被害者はタイタンと呼ばれる巨人であり、加害者もおそらくタイタンと推測される。タイタンとは、病気や事故などによりそのまま生存することが困難な人間に対して特殊な薬T7を投与して身体を変成させ、その結果巨大化した人間を指している。薬を開発したトンファミカスカ一族が莫大な富を貯えており、その頂点に位置するのがステファン・トンファミカスカ。彼は四回T7を投与されており(四齢と呼ばれる)、強大な身体と力を備えて一族を率いているのだ。殺されたロディはどうしてタイタン化したのか、そして、犯人はなぜロディを殺したのか。謎が謎を呼び、読者はキャルとともに、怪しい世界へと踏み入っていく。
ノワールという題名に違わず、タイタンたちの通う悪徳と快楽の園である怪しげなクラブ、そこで開かれる暴力的なショー、裏社会を束ねる異形のタイタン、汚職の蔓延る警察内部などがスタイリッシュな文体で描かれ、それだけでも魅力十分なのだが、さらに、キャルが真相に辿り着くための手がかりを入手する方法が極めてSF的であり、謎解きのあとの結末も(明らかにすることはできないが)、えっ、そう来るのという意外性に満ちている。手がかりの入手方法については、本書を絶賛しているギブスンの有名短篇と似ているとだけ言っておこう。ロディ殺害の謎については、伏線が見事に回収され、すっきりとした解決がついており、そこに不満はない。結末については、タイタンが富と権力の象徴として描かれ、主人公キャルがそれに反抗する主体として活躍していただけに、これでいいのかという不満が残った。まあ、落ち着いて考えればこれしかないのだろうとは思えるが、これで続編が書けるのかという心配はある(と書いたが、続編は既に出来上がっているので、どんな風に仕上がっているのか、楽しみだ)。
とにかく、読んでいて楽しく、魅惑に満ちた作品であることは間違いない。ミステリファンにもSFファンにも楽しめる快作である。
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