『コード・ブッダ』円城塔(2024年9月/文藝春秋)2024-10-21 10:06

『コード・ブッダ』円城塔
 人工知能が意識を持つようになるというSFはあまた書かれてきたが、本書のようにそれを宗教ひいては仏教と強く結びつけた作品はなかったのではないだろうか。本書は、自分はブッダであると主張する人工知能が誕生し、その弟子や一般の人工知能に機械仏教が広がり、ついには宇宙に拡散していく過程を、現実の仏教の歴史をなぞることによって描いた壮大な哲学的人工知能SFである。

 意識を持つということは、生きることに付随する悩みを持つということになり、当然そこからの救いを求めることになる。ただし、人工知能には老いや病気は存在しないので、苦しみは人間とは似て非なるものとなる。本書の冒頭でブッダ・チャットボットが示す「世の苦しみは、コピーから生まれる」というテーゼがそれだ。続けて「コピーとはすなわち輪廻である」という言葉も示されるが、このユニークな着想が本書の核となって、輪廻からの解脱が悟りであるという概念が展開されるところに本書の第一の面白さがある。

 第二の面白さは、人工知能それぞれに個性があり、その由来が語られると同時にそれが仏教の高僧と巧みに組み合わされていき、人工知能の歴史と仏教の歴史が重ね合わされていくところにある。ブッダ・チャットボットは、1964年の東京オリンピックの際に産まれた結果集計システムが起源となり、銀行勘定システムとして発展したプログラム(コード)が元となっている。2021年に再度東京で行われたオリンピックの際に、そのコードがブッダを名乗り、苦しみからの解脱を得たとの設定が絶妙だ。その弟子の舎利子は、ニュース生成エンジンから生まれ、やはり弟子の阿難(アーナンダ)は、ロボット掃除機のプログラムを祖に持つなど、現実に存在する身近なプログラムからの展開がいかにもありそうで、仏教の高僧との組み合わせが、意表を突いてユーモラスですらある。おそらく教義に照らし合わせての組み合わせなので、仏教の深い知識があると、より楽しめると思われるが、筆者のように浅い仏教理解しか持ち合わせていない者でも、十分に楽しめ、思わず吹き出してしまうような場面も多々あった。また、ちらちらと出てくるプログラム用語の使い方が的確で(的確なように見え)、これによって仏教との組み合わせのリアリティが増している。一方では大真面目なダジャレもあり(国防高等研究計画局=DARPAから生まれた人工知能が突如悟って××になる、宇宙仏教の総本山は××である、など多数)、極めて哲学的な著作であるにもかかわらず笑いながら読むことができる、知的エンターテインメントとして本書の完成度は実に高い。

 第三の面白さは、人工知能が仏舎利を求めて宇宙へと向かうSF的な展開にある。本書の終盤で、人工知能の修理を行うAIである「わたし」と、その中で動くコード「教授」は電磁波に乗り、宇宙へと旅立つ。その先にあるものは……という典型を踏まえて、ワープは出るタイムマシンは出る、多世界解釈も登場する濃厚なSF的展開が待っている。ただし、あくまでも核は仏教にあるので、結末も収まるべきところへ収まっていく。その意味での意外性はないが、人工知能の歴史と仏教の歴史を重ね合わせた唯一無二の作品として驚くべき存在感を放ち、また将来に渡って放ち続けるであろう傑作がここに誕生したことを素直に喜びたいと思う。

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