『歌う船[完全版]』アン・マキャフリー(創元SF文庫)2024-10-09 15:26

『歌う船[完全版]』アン・マキャフリー(創元SF文庫)
 本書は、アン・マキャフリイのSF代表作の一つで、原著は雑誌掲載の連作をまとめて1969年に刊行された。邦訳は1984年に刊行されており、90年代には他作家との共作の形での続編が発表され、邦訳されている。アメリカでも日本でも人気の高いシリーズである。今回の新訳では、旧版に、後に書かれた続編2つを加えた完全版となっている。

 中央諸世界と呼ばれる未来の権力機構が、そのままでは生きていけない病弱の子どもや障害を抱えた子どもを宇宙船に接続する形で生き延びさせ(彼らは「頭脳」と呼ばれる)る。「頭脳」は宇宙船を操縦し、特殊な訓練を受けた乗員(「筋肉」と呼ばれる)と協働して様々な任務にあたるという物語だ。

 機械工学の粋を集めた宇宙船と生きた人間とを神経接続するマン=マシン・インターフェース、強靭な殻に包まれたひ弱な肉体というイメージは、後のティプトリーやヴァーリイら70年代作家、ひいては80年代のサイバーパンクにまで影響を与えたという点で大いに評価すべきだろう。しかし、肝心の駆動系の詳細、内部の人間が宇宙空間をどう感じるのかという具体的な描写はほとんどなく、ハードSF的な面では物足りない。超光速航行が実現していて、その理屈も少し描かれているのだが、煙に巻かれた印象は否めない。本書の面白さはむしろ、感情豊かで歌が得意、シェイクスピアの戯曲や詩の一節を巧みに引用する女性ヘルヴァが、宇宙船と一体になり人間の相棒を乗せて大いに宇宙で活躍するという極めて人間的な魅力を放っているところにあると言える。

 ヘルヴァは、初めて組んだ男性ジェナンを皮切りに、何人もの「筋肉」を船に乗せていく。男性もおり、女性もいる。事故で相棒が死亡したり(「船は歌った」)、相性の問題があったり(「船は欺いた」)と事情はいろいろだが、基本的に機械と一体になったヘルヴァの寿命は数百年と長く、人間の相棒の命が先に尽きる宿命なのだ。最終的に、ヘルヴァは気持ちが通じ合い、思ったことを何でも遠慮せずに言い合える男性ナイアルと出会い、長く暮らすことになるが(「船はパートナーを持った」)、初めての相手ジェナンを忘れることはない。このあたりの心理描写は、何人もの男との遍歴を辿る女性のロマンス作品とほぼ同じで、本書の人気を支える一端となっている。本シリーズ正編は、ジェナンが命を賭けて救った惑星クロエの人々を、今度はヘルヴァが救うことになる「船は還った」で幕を閉じる。円環構造を成す構成が実に見事で、この後ヘルヴァの物語を作者が一切描かなかったのももっともだと思われる(シリーズ続編はすべて違う主人公の物語となっている)。何をどう書いても蛇足となってしまうだろう。英米には続編2つを加えた版はないようなので、この完全版を読める日本の読者は大変幸せだ。

 集中最も長い中篇「劇的任務」は、からす座β第六惑星の住人(クラゲそっくり)に向けてシェイクスピアの「ロミオとジュリエット」を演じるために、ヘルヴァが一座を乗せていく物語だが、住人に精神転移して劇を演じる点に斬新さがあり、単独でヒューゴー賞候補となるなど、高い評価を得た。ただし、船のパートナーは登場せず、他の作品と異なる趣があるため、シリーズものとしては賛否両論があるだろう。ここでは、ヘルヴァも乳母役として劇に登場しており、芸達者なところを見せている。他にも、ネジの頭に「最後の晩餐」を転写してみせるなど、ヘルヴァの芸術的才能は豊かで、とりわけ歌の力は強く、「船は欺いた」では、狂人を殺してしまうほどのパワーを示していた。三作目「船は殺した」では、音楽を武器にして社会に抗議するディラン主義者が登場しており、1960年代末という時代性を強く感じさせている。

 さらに、テクノロジーにはお金がかかるという事実を踏まえ、ヘルヴァたち「頭脳」は船と接続されたときから中央諸世界に債務があり、任務をこなすことによって債務を返済していくという極めて資本主義的リアリズムに満ちた設定もあり、これはヴァーリイ「ブルー・シャンペン」へとつながっていく先駆的な視点であったと思われる。

 総じて読みやすく、感情を揺さぶられ、豊かな読書体験を保証してくれる作品だ。SF的な要素を強く漂わせながらも、描写の空白によりかえって想像力をかきたてられる、そんな読み方もあっていい。何はともあれ、ヒューマニティ溢れるSFのクラシックとして読み継がれるべき傑作である。

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