小松左京その1(『日本沈没』)2011-12-30 19:38

 もうすぐ激動の2011年も終わり。3月の東日本大震災は妹一家が仙台に住んでいるので、他人事ではなかった。話し始めるとキリがないし、本ブログとはあまり関係ない話になるので詳述は差し控えるが、何とか皆無事で心の底から安堵したことだけは書いておこう。自然災害の恐ろしさと原発事故の愚かしさについて考えざるを得ない一年であった。こんなとき、40過ぎ(50近く)のSF者が思い出すのは無論小松左京の『日本沈没』である。

 主人公小野寺がコンクリートの壁に見つけるわずか1センチの亀裂から始まるこの物語は、島の水没、死者4,200人の「京都大地震」、マグニチュード8.5の大地震と津波が東京を直撃し、死者200万人を超える大災害となった「第二次関東大震災」と、加速度的に勢いが増していく災害を圧倒的な筆力で、読者の息をつかせる間もなく次々と描き出していくことによって、日本の沈没という途方もない出来事に見事なまでのリアリティをもたらすことに成功している。このリアリティって、結局冒頭の「1センチの亀裂」に鍵があると思うんだよね。針の穴のような小さな一点から巨大なダムの壁が崩壊に至るダイナミズム。これをきちんとプレートテクトニクスや、堀晃も絶賛している架空理論「ナカタ過程」を駆使して理詰めで見せてくれているから、「1センチの亀裂」という現象を認識するのと同様に「日本が沈没するという事実」を読者は納得できるわけである。逆に言えば、「日本沈没」は「わずか1センチの亀裂」に凝縮されている。筆者が偏愛する傑作ジュブナイル『青い宇宙の冒険』の冒頭に登場する「ねじれ松」が「時空間の歪み」をくっきりと浮かび上がらせていたように。壮大な嘘を小さな具象の演繹で表す。ここにSFの本質があることは言うまでもない。

 小学5年の初読以来、本書を読むのはこれで3度めになると思うが、その度に新たな発見があり、小松左京の偉大さを再認識させられた。多くのSFファン同様、7月の小松左京の死去以来何冊かの著作を読み返し、そして思ったのだが、氏の情景描写の巧さはもっと評価されて然るべきではないだろうか。『日本沈没』における地震の描写はもちろんのこと、『果しなき流れの果に』のラストにおける庭の描写(連載時には一切なく、単行本化で加筆された部分。何度読んでもここで感動してしまうのは筆者だけ?)、「流れる女」における古都の描写など、鮮やかに情景が目に浮かんでくる場面がいくつもある。それは作家の基礎体力さ、と言って済ますには惜しいと思うのだ。小松左京が亡き今こそ、氏の作品を繰り返し読んで、味わい、深く考えること。それこそが残された我々読者が果たすべき使命であろう。

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