『タイタン・ノワール』ニック・ハーカウェイ(2024年12月/ハヤカワ文庫SF)2025-02-04 10:06

『タイタン・ノワール』ニック・ハーカウェイ
 ミステリもSFも手掛ける中国の作家陸秋槎氏は、両者の関係について述べたエッセイの中で、ミステリとSFの組み合せは二つあると言う(週刊文春 2019年9月12日号)。一つは「SF設定を持つミステリ」で、もう一つは「謎のあるSF」だ。前者はミステリのような事件に宇宙、未来、タイムトラベルなどのSF設定を加えたもので、後者は冒頭に謎を設置してSFのアイディアで解く。前者の代表が西澤保彦『七回死んだ男』で、後者の代表がレム『ソラリス』である。劉慈欣『三体』は後者であり、アシモフ『鋼鉄都市』は両者を融合した作品である、と。なるほど、明解な分析で、おそらくほとんどのSFミステリはこれに当てはまると思われる。ミステリ作家でSFも手掛ける太田忠司氏とミステリ評論家の大矢博子氏の対談(名古屋SFシンポジウム2016)でも、SFミステリのタイプ分けとして、「1 SF的な舞台設定(ロボットもの、サイバーパンク、歴史もの、宇宙もの、スチームパンク、時間もの等)」「2 SF的な謎が提示される」「3 SF要素のあるミステリ」の三つが提示されていた。このうち、3は1に含まれると考えれば、タイプは二つとなり、陸秋槎氏の分類とほぼ変わらない。

 スパイ作家ジョン・ル・カレの息子であるニック・カーハウェイが書いたSFミステリ『タイタン・ノワール』は、典型的な「SF設定を持つミステリ」「SF要素のあるミステリ」と見せかけながら、最後には「謎のあるSF」と融合した地点に着地する一風変わった作品である。

 近未来の架空都市オスリス市で、殺人事件が起きる。高層アパートの自室で大学教授ロディ・テビットが自身の所持する銃により殺されたのだ。警察のコンサルタントを務める私立探偵キャル・サウンダーが捜査に当たる。これだけなら普通のミステリなのだが、本書のSF設定は独特である。被害者はタイタンと呼ばれる巨人であり、加害者もおそらくタイタンと推測される。タイタンとは、病気や事故などによりそのまま生存することが困難な人間に対して特殊な薬T7を投与して身体を変成させ、その結果巨大化した人間を指している。薬を開発したトンファミカスカ一族が莫大な富を貯えており、その頂点に位置するのがステファン・トンファミカスカ。彼は四回T7を投与されており(四齢と呼ばれる)、強大な身体と力を備えて一族を率いているのだ。殺されたロディはどうしてタイタン化したのか、そして、犯人はなぜロディを殺したのか。謎が謎を呼び、読者はキャルとともに、怪しい世界へと踏み入っていく。

 ノワールという題名に違わず、タイタンたちの通う悪徳と快楽の園である怪しげなクラブ、そこで開かれる暴力的なショー、裏社会を束ねる異形のタイタン、汚職の蔓延る警察内部などがスタイリッシュな文体で描かれ、それだけでも魅力十分なのだが、さらに、キャルが真相に辿り着くための手がかりを入手する方法が極めてSF的であり、謎解きのあとの結末も(明らかにすることはできないが)、えっ、そう来るのという意外性に満ちている。手がかりの入手方法については、本書を絶賛しているギブスンの有名短篇と似ているとだけ言っておこう。ロディ殺害の謎については、伏線が見事に回収され、すっきりとした解決がついており、そこに不満はない。結末については、タイタンが富と権力の象徴として描かれ、主人公キャルがそれに反抗する主体として活躍していただけに、これでいいのかという不満が残った。まあ、落ち着いて考えればこれしかないのだろうとは思えるが、これで続編が書けるのかという心配はある(と書いたが、続編は既に出来上がっているので、どんな風に仕上がっているのか、楽しみだ)。

 とにかく、読んでいて楽しく、魅惑に満ちた作品であることは間違いない。ミステリファンにもSFファンにも楽しめる快作である。

岐阜ミステリ読書会二次会レポート(陸秋槎さんとのSF談義)2024-12-17 09:46

 12月14日(土)に岐阜の生涯学習センターで行われたミステリ読書会にお邪魔してきた。課題本は陸秋槎『喪服の似合う少女』で、何と作者ご本人が参加する読書会である。今まで翻訳者が参加された読書会は何度も経験してきたが、作者本人というのは初めてだ。今年になって、2023年に刊行された氏のSF短篇集『ガーンズバック変換』を読み、とても面白かったので、作者に会えるのならと、門外漢を承知で参加してきた次第。直前になって、翻訳家の柿沼瑛子さんも参加されることがわかり、また、ロス・マクドナルドに関する貴重な資料が柿沼さんから参加者に配布される、など実に贅沢な読書会であった。本会については、ミステリ初心者なため、詳細な報告は他の人に譲るが、二次会、三次会で他の参加者とともに陸さんご本人と話すことができ、SFの話がたくさんできたので、それを書き記しておく。

 陸さんは本当に博識で頭の回転が速く、どんな話題を投げても打ち返すことができる凄い人であった。印象に残った話をいくつか記しておく。

 奥様は考古学の研究者でいらっしゃって、瓦の研究をしておられる。先輩の教授から「(瓦のような地味なものではなく)もっと美しいものを研究しないと」と言われて、家で奥さんが怒っていたという話を陸さんがされたので、こちらは「ああ、女性は美を追い求めるべきだというアンコンシャス・バイアスですね」と返したら、「いや、瓦自体が美しいということです」と言われ、なるほどそうかと納得した。「『火の鳥』にもそういう話があるでしょう」と陸さんに言われて、驚いた。当然、茜丸と我王が瓦対決をする鳳凰編のことなのだが、これを中国の若い方が知っているということにびっくりしたのである。中国では手塚治虫も読めるんだなあと感心していたら(当たり前か)、何でもありというわけではなく、たとえば「××編」は内容的に問題があり、中国では出版されないだろうとのこと。

 中国では1990年代に「人体科学」のブームがあり、超能力が盛んに研究され信じられたが、結局実際にテレパシーやテレポーテーションの実在は証明できず下火となり、超能力を語ることはカルト宗教を信じることのように胡散臭いものと思われてしまった。その影響か、SFのサブジャンルとして超能力ものはあまり読まれていない。筒井康隆の《七瀬もの》は知られておらず、『虎よ、虎よ!』も人気はないとのこと。

 これはどこかで聞いたことがあった話だが、中国ではサイバーパンクと言えば、ウィリアム・ギブスンではなく、ヴァーナー・ヴィンジであり、ヴィンジは大変人気があるとのこと。ロス・マクとマーガレット・ミラーを連想して、日本では奥さんのジョーン・D・ヴィンジの方が人気がありますよと思わず言ってしまったが、これは間違っていたような気がする(笑)。

 中国では、ハインラインは『夏への扉』と『異星の客』のように、作品に違いがあり過ぎるので、あまり人気がない。

 陸さんに「一番好きな作家は何ですか」と聞かれ、つい「ディレーニイ」と答えてしまったが、ディレーニイは中国では「バベル17」が知られているぐらいであまり人気がないようだった。アメリカン・ニュー・ウェーブの話も少しする。ハーラン・エリスンは「おれには口がない、それでもおれは叫ぶ」が中国語に訳されており、一冊短篇集を出す話もあったのだが、実現していないとのこと。

 劉慈欣と馬伯傭は天才である。今度日本でも翻訳される馬伯傭『西遊記事変』は、とても面白いそうだ。

 自分は『ガーンズバック変換』に収められた「色のない緑」がすごく好きなので、その話を振ったら、AIの機械翻訳についてはもうすべて実現してしまったと卑下されるような感じで言われたのが意外だった。陸さんが原稿を知り合いの専門家に見せたときに、論文の査読をAIがする時代は来ないと言われたが、実際にはもう既にそれは実現されてしまった、と。確かにそうなのだろう。しかし、たとえそうであったとしても、作品の面白さはいささかも減じられることはないと強く言ったのだが、うまく伝えられたかどうか。SFは決して未来予測ではなく、しかも、この話の主眼は「色のない緑の思考は猛烈に眠る」という意味を持たない文を成立させてしまったコンテクストの皮肉さ=運命の不可思議さと、自殺した女性研究者と主人公との心の触れ合いにあるわけなので、機械翻訳が作品内で描いたレベルを超えようが、液体ハードディスクが実現しようが、その面白さは変わるものではないと思う。

 やはり『ガーンズバック変換』に収められた「インディアン・ロープ・トリックとヴァジュラナーガ」は、小島秀夫「メタルギア・ソリッド」へのオマージュである。「固い蛇」をテーマとした奇想小説なのだが、これはソリッドな「スネーク」(「メタルギア・ソリッド」の主人公)なのだ。自分はまったく気づいておらず、聞いたとき思わず膝を叩いて笑ってしまった。

 陸さんの誕生日は11月25日。三島由紀夫が自決した日である。三島については、《豊饒の海》が面白いとのこと。

 他にも様々な話をしたが、とにかくSFについても知らないことはない、ミステリ、SF、サブカルチャー、何でもござれの博覧強記ぶりは、どこか殊能将之を思わせるところもあり、感嘆した次第。

 ミステリ読書会で、二次会、三次会とはいえ、あまりミステリの話をせず、SFの話ばかりして申し訳ありませんでした。が、おかげさまで楽しい時間を過ごすことができました。主催者の方、参加された皆様、どうもありがとうございました!

三上延『ビブリア古書堂の事件手帖5』2014-04-28 00:57

 1月発売の本。もちろん発売後すぐ読んではいるのだが、書評をしばらくさぼっていたので今さら取り上げることをご容赦願いたい。4巻が江戸川乱歩を扱って首尾一貫したストーリイを保っていたのに対し、今回は、『彷書月刊』、手塚治虫『ブラックジャック』、寺山修司『われに五月を』の三点にまつわる事件を扱っており、当初の構成に戻った感じである。『彷書月刊』事件では、お馴染みの登場人物、せどり屋志田の過去が明らかになり、『ブラックジャック』事件では、妻が危篤状態の際に取った夫の奇妙な行動(『ブラックジャック』4巻の初版を古書店で購入した)の謎を解き、『われに五月を』事件では、栞子の母智恵子も絡んだ、寺山修司直筆原稿が消しゴムで消されてしまった事件の真相が明かされる。いずれの事件にも共通しているのは、家族間の感情のもつれを栞子が解決していくという構図である。『たんぽぽ娘』のときから思っているのだが、この家族間の感情のもつれと本との関わりがちょっと強引というか作為的過ぎるというか、無理があるという印象は変わらない。しかし、それにもかかわらず、ぐいぐい読まされて結局物語に感動させられてしまうのは、作者の、書物の内容への深い理解と書物という物質的な存在へのこだわりが尋常ではないからだ。私はこのシリーズを、物語の形をとった風変わりな書評として読んでいる。

「もしこの世界にあるものが現実だけだったら、物語というものが存在しなかったら、わたしたちの人生はあまりにも貧しすぎる……現実を実り多いものにするために、わたしたちは物語を読むんです」(本書186ページ)

 という栞子の言葉には、本を愛する者だったら、誰しも素直に共感するだろう。本書をきっかけに新たに『ブラックジャック』や寺山修司を読んでみよう(再読してみよう)と思う人が出てくれば、それは書評としての効用があったということだ。私も今回は思わずダンボール箱の中から少年チャンピオンコミックスの『ブラックジャック』4巻を引っ張り出して読みふけってしまった。年齢からして、家にあるのは、当然「植物人間」の入った版(1976年11月15版)である。そうかあ、これが今は読めないんだと思いながら懐かしく読んだ。次はどんな本が登場するのか、もちろん肝心の物語、太宰治『晩年』事件の続きも含めて、楽しみである。

殊能将之訃報2013-03-31 21:40

 大学時代からの友人であるミステリ作家の殊能将之が亡くなったとの知らせが昨日(3月30日)ネットを駆け巡った。亡くなったのは2月11日であり、自分が友人から知らせを聞いたのが2月22日。最初は呆然とし、それからじわじわと悲しみが広がってきたのだが、伏せていなければならないので、何とも言えない中途半端な気持ちがずっとくすぶっていた。思いを吐き出したいのだが、吐き出せないといったもどかしさ。4月3日発売のメフィストに追悼記事が載るとのことで、30日なら友人に話してもいいだろうと、東京に住む大学時代の友人たちと会う約束をし、仕事が忙しい中、無理やり時間を作って新幹線に飛び乗って、東京に向かっている最中に、ネットに流れたらしい。

 知ってからは、ずっと著作を読み返していた。間違いなくミステリ界の歴史に残るであろう『ハサミ男』、石動戯作初登場、自分も刑事役で出演させてもらったのが印象深い『美濃牛』、ミステリ・ファンの度肝を抜いた『黒い仏』、水城初登場で、殊能作品にしては珍しく最後にほろりとさせられる『鏡の中は日曜日』、中世の視点で東京を眺めたところが斬新な『キマイラの新しい城』、どれも傑作でありながら、ひとつとして同じ趣向の作品がない。まとめて読み返して、本当にすごいと思った。

 しかし、これは実は氏のすべてではない。彼の該博な知識、人を引き付けずにはおれない語り口、切れ味鋭い論理的思考力、それはまだまだ、これから存分に発揮されていくべきものだった。彼を知る者すべてが、そう思っていたはずだ。もっともっと書いてほしかった。いや、生きていてほしかった。もうあの、時には毒舌で皮肉たっぷりのジョークを聞くこともないのだと思うと、限りなく悔しく、そして悲しい。

 一晩、友人たちと彼の思い出を語り合い、大学時代に書かれたレビューなどもまとめて残しておきたいねと話した。ちょうど今年の夏、名大SF研30周年行事を行うので、本当はそこに呼ぼうと思っていたのだが……。もう何を言っても仕方がない。

 翌日、古本屋でも回って帰ろうと思い、いつものように、神保町を歩いて「@ワンダー」の中に入った。その瞬間、馴染みのある曲が耳に入ってきた。店内に流れていたのは……XTC……これは……そう、「ハサミ男(Scissor Man)」じゃないか! 数冊の本を手にしてレジに向かう。聞くべきか、そのまま出ていくべきか。レジには年配のおじさんと20代と思しき若者の二人がいる。どちらがXTCをかけているのか。レジをすませたが、結局話しかける勇気が出ない。ちょうど若者の方が休憩のため外へ出ていく。意を決して私は話しかけた。「この曲をかけているのはどなたでしょうか」
「私ですが…」けげんそうに若者が答える。
「XTCですよね。何か理由があるんですか」
「好きなんです。実は昨日…殊能将之というミステリ作家が亡くなったのを知って…」
「ええ……『ハサミ男』ですよね」
「そうです、大好きな作家だったので、昨日からショックで何も手につかなくて……」
 思わず、自分は殊能将之の友人であること、本当に悲しく思っていることを語ってしまった。見も知らぬ古本屋の店員に話すことではないだろうと思ったが、止まらなかった。
 若者と別れ、帰途に着く。
 なぜか、嬉しさが込み上げてきた。殊能将之は確かに人々の心に残っている。こんなに愛されているんだ……そう思った瞬間だった。彼の死を知ってから、一度も流れなかった涙があふれてきた。神保町から水道橋へ向かう途中、歩きながら私は泣いていた。そこが、数十年前、かつて東京に住んでいた殊能氏とともに歩いた道でもあったことに気づくのに、そう時間はかからなかった……。

高野和明『ジェノサイド』2012-02-13 21:02

 『SFが読みたい! 2012年版』でも6位に入っており、アンビの新年会でも話題になっていたので読んでみた。

 死んだ父親が研究していた新薬をめぐる陰謀に巻き込まれた大学院生の物語と、アフリカ奥地でウィルスに感染した部族を撲滅する任務を帯びた傭兵の物語とが交錯し、人類の未来に関するヴィジョンも描かれるという壮大なストーリイとなっている。薬物に関する理論や軍事兵器などは入念にリサーチされており、特に、新薬開発の過程などは、なるほどこうやって薬というのは作られていくのかと興味深く読むことができた。後はハイズマン博士が書いた架空論文「人類の絶滅要因の研究と政策への提言(通称ハイズマン・レポート)」がよく作り込まれていて面白い。こうした設定をきちんと積み重ねているので、物語に圧倒的なリアリティが生じるわけである。
 タイトルの「ジェノサイド」は、直接的には、傭兵の使命となったアフリカ奥地のピグミー族虐殺を指すと思われるが、それに人類が繰り返してきた集団虐殺(アウシュヴィッツへの言及あり)を重ね合わせ、さらにもうひとひねりSF的な展開を加えた三重の意味があり、象徴的なタイトルにはなっている。エンターテイメントとしての完成度は高い。しかし、SFファンとしての立場から敢えて言うならば、やはりこの物語の結末から始まる物語をこそ読みたいと思う。
 アフリカ・パートの過激な描写と日本パートのぬるま湯的な描写の対比は意図されたものだとは思うが、典型的な巻き込まれ型キャラである日本の大学院生の描き方が平板で魅力に乏しいのもどうかと思う。こうでないと今の若者が共感できる作品にならないのかな。まあでも、アフリカ・パートの迫力に圧倒されたのは事実なので、作者の筆力があるのは確か。後はもう少し想像力の翼を広げてほしい、哲学的な深みもほしいというのは、ないものねだりなのだろうか。