『ミッキー7 反物質ブルース』エドワード・アシュトン(2025年3月/ハヤカワ文庫SF) ― 2025-04-13 13:47
ポン・ジュノ監督により映画化された『ミッキー7』(2023年1月/ハヤカワ文庫SF)の続編である。舞台は、宇宙移民のための宇宙船外活動や惑星開拓において「エクスペンダブル(使い捨て人間)」と呼ばれるクローン人間が危険な任務を担う未来。エクスペンダブルに志願し、惑星ニヴルヘイム開発の任務についた主人公ミッキー・バーンズは、何度も悲惨な死に方をして、その度に再生され、生前にアップロードしておいた記憶を上書きされては、また任務につく。六度目に再生された個体がミッキー7というわけだ。
ニヴルヘイムの原住生物(巨大ムカデのような生き物)に殺されたと思われていたミッキー7が実は生きていて、コロニーに戻るとミッキー8が既に再生されていた。見つかれば処分されてしまうミッキー7は、ミッキー8と協力して秘かに共同生活を送るが、やがてばれてしまい……という物語が、前作ではテンポよくコミカルに描かれていた。本書は、その直接の続編となるので、できれば前作を読んでからの方が楽しめるだろう。タイトルにあるように、前作の結末で重要な役割を果たした反物質爆弾が鍵となり、その探索行が本書のメイン・ストーリイとなる。
エクスペンダブルを辞めて二年が経過し、ミッキーは平穏な生活を送っていた。しかし、コロニーの全エネルギーを作り出している反物質反応炉が故障し、反物質燃料の9割がダメになる。残りの燃料ではニヴルヘイムの厳しい冬を越すことができない。ミッキーは司令官に命じられ、反物質爆弾を取り戻すことになった。早速隠し場所に向かうが、そこに爆弾はなかった。ムカデたちとコンタクトを果たしたミッキーは、爆弾がムカデたちの敵に貢物として渡されたことを知る。果たしてミッキーは爆弾を取り戻すことができるのか……。
前作の最後からムカデたちとのコンタクトがとれるようになり、彼らの知性のあり方がわかってきた。ムカデたちは知性を共有する一種の集合体であり、〈最高〉と呼ばれる存在と〈補助者〉と呼ばれる存在に分かれている。〈最高〉さえ生きていればそれでよく〈補助者〉は殺されても構わない。従って、相手に対しても〈補助者〉とみなせば、簡単に殺してしまう。ミッキーは自分を〈最高〉だと伝えて殺害を免れたのだ。今回は、人間そっくりに話すムカデが現れ、コンタクトがよりスムースに進む。人間の通信を傍受して言葉を覚えたため、ミッキーの友人ベルトそっくりに話すという特色を備えており、異生命体とのコンタクトがよりユーモラスなものになっている。この特色は、本シリーズの長所でもあり、短所でもある。アンディ・ウィアー『プロジェクト・ヘイル・メアリー』にも顕著な点だが、異生命体とのコンタクトが容易に、人間に理解可能なものとして進んでいくことは、読みやすさとわかりやすさを読者に提供する一方で、そんなことが本当に可能なのかというありえなさを逆に喚起し、作品のリアリティが失われる要因ともなる。娯楽作のレベルで読めればそれでいいという立場からは問題にならないことだが、レムのように異生命体とのコンタクトをシリアスに捉える立場から見ると、安直かつ不徹底ということになるだろう。
ともあれ、本書の後半では、人間とムカデたちが協力して、相手の〈補助者〉である巨大なクモたちと戦う。クモたちの背後には、ムカデたちとはまた別種の生命体が潜んでいるのだが、その正体は読んでのお楽しみというところだ。爆弾の行方とコロニーの運命にも見事に決着がつき、物語は大団円を迎える。エンターテインメントとしては申し分のない出来で、読んで損なしの面白さ。ただ、もう少し深みがあれば……というのはないものねだりになるのだろう。
ニヴルヘイムの原住生物(巨大ムカデのような生き物)に殺されたと思われていたミッキー7が実は生きていて、コロニーに戻るとミッキー8が既に再生されていた。見つかれば処分されてしまうミッキー7は、ミッキー8と協力して秘かに共同生活を送るが、やがてばれてしまい……という物語が、前作ではテンポよくコミカルに描かれていた。本書は、その直接の続編となるので、できれば前作を読んでからの方が楽しめるだろう。タイトルにあるように、前作の結末で重要な役割を果たした反物質爆弾が鍵となり、その探索行が本書のメイン・ストーリイとなる。
エクスペンダブルを辞めて二年が経過し、ミッキーは平穏な生活を送っていた。しかし、コロニーの全エネルギーを作り出している反物質反応炉が故障し、反物質燃料の9割がダメになる。残りの燃料ではニヴルヘイムの厳しい冬を越すことができない。ミッキーは司令官に命じられ、反物質爆弾を取り戻すことになった。早速隠し場所に向かうが、そこに爆弾はなかった。ムカデたちとコンタクトを果たしたミッキーは、爆弾がムカデたちの敵に貢物として渡されたことを知る。果たしてミッキーは爆弾を取り戻すことができるのか……。
前作の最後からムカデたちとのコンタクトがとれるようになり、彼らの知性のあり方がわかってきた。ムカデたちは知性を共有する一種の集合体であり、〈最高〉と呼ばれる存在と〈補助者〉と呼ばれる存在に分かれている。〈最高〉さえ生きていればそれでよく〈補助者〉は殺されても構わない。従って、相手に対しても〈補助者〉とみなせば、簡単に殺してしまう。ミッキーは自分を〈最高〉だと伝えて殺害を免れたのだ。今回は、人間そっくりに話すムカデが現れ、コンタクトがよりスムースに進む。人間の通信を傍受して言葉を覚えたため、ミッキーの友人ベルトそっくりに話すという特色を備えており、異生命体とのコンタクトがよりユーモラスなものになっている。この特色は、本シリーズの長所でもあり、短所でもある。アンディ・ウィアー『プロジェクト・ヘイル・メアリー』にも顕著な点だが、異生命体とのコンタクトが容易に、人間に理解可能なものとして進んでいくことは、読みやすさとわかりやすさを読者に提供する一方で、そんなことが本当に可能なのかというありえなさを逆に喚起し、作品のリアリティが失われる要因ともなる。娯楽作のレベルで読めればそれでいいという立場からは問題にならないことだが、レムのように異生命体とのコンタクトをシリアスに捉える立場から見ると、安直かつ不徹底ということになるだろう。
ともあれ、本書の後半では、人間とムカデたちが協力して、相手の〈補助者〉である巨大なクモたちと戦う。クモたちの背後には、ムカデたちとはまた別種の生命体が潜んでいるのだが、その正体は読んでのお楽しみというところだ。爆弾の行方とコロニーの運命にも見事に決着がつき、物語は大団円を迎える。エンターテインメントとしては申し分のない出来で、読んで損なしの面白さ。ただ、もう少し深みがあれば……というのはないものねだりになるのだろう。
『タイタン・ノワール』ニック・ハーカウェイ(2024年12月/ハヤカワ文庫SF) ― 2025-02-04 10:06
ミステリもSFも手掛ける中国の作家陸秋槎氏は、両者の関係について述べたエッセイの中で、ミステリとSFの組み合せは二つあると言う(週刊文春 2019年9月12日号)。一つは「SF設定を持つミステリ」で、もう一つは「謎のあるSF」だ。前者はミステリのような事件に宇宙、未来、タイムトラベルなどのSF設定を加えたもので、後者は冒頭に謎を設置してSFのアイディアで解く。前者の代表が西澤保彦『七回死んだ男』で、後者の代表がレム『ソラリス』である。劉慈欣『三体』は後者であり、アシモフ『鋼鉄都市』は両者を融合した作品である、と。なるほど、明解な分析で、おそらくほとんどのSFミステリはこれに当てはまると思われる。ミステリ作家でSFも手掛ける太田忠司氏とミステリ評論家の大矢博子氏の対談(名古屋SFシンポジウム2016)でも、SFミステリのタイプ分けとして、「1 SF的な舞台設定(ロボットもの、サイバーパンク、歴史もの、宇宙もの、スチームパンク、時間もの等)」「2 SF的な謎が提示される」「3 SF要素のあるミステリ」の三つが提示されていた。このうち、3は1に含まれると考えれば、タイプは二つとなり、陸秋槎氏の分類とほぼ変わらない。
スパイ作家ジョン・ル・カレの息子であるニック・カーハウェイが書いたSFミステリ『タイタン・ノワール』は、典型的な「SF設定を持つミステリ」「SF要素のあるミステリ」と見せかけながら、最後には「謎のあるSF」と融合した地点に着地する一風変わった作品である。
近未来の架空都市オスリス市で、殺人事件が起きる。高層アパートの自室で大学教授ロディ・テビットが自身の所持する銃により殺されたのだ。警察のコンサルタントを務める私立探偵キャル・サウンダーが捜査に当たる。これだけなら普通のミステリなのだが、本書のSF設定は独特である。被害者はタイタンと呼ばれる巨人であり、加害者もおそらくタイタンと推測される。タイタンとは、病気や事故などによりそのまま生存することが困難な人間に対して特殊な薬T7を投与して身体を変成させ、その結果巨大化した人間を指している。薬を開発したトンファミカスカ一族が莫大な富を貯えており、その頂点に位置するのがステファン・トンファミカスカ。彼は四回T7を投与されており(四齢と呼ばれる)、強大な身体と力を備えて一族を率いているのだ。殺されたロディはどうしてタイタン化したのか、そして、犯人はなぜロディを殺したのか。謎が謎を呼び、読者はキャルとともに、怪しい世界へと踏み入っていく。
ノワールという題名に違わず、タイタンたちの通う悪徳と快楽の園である怪しげなクラブ、そこで開かれる暴力的なショー、裏社会を束ねる異形のタイタン、汚職の蔓延る警察内部などがスタイリッシュな文体で描かれ、それだけでも魅力十分なのだが、さらに、キャルが真相に辿り着くための手がかりを入手する方法が極めてSF的であり、謎解きのあとの結末も(明らかにすることはできないが)、えっ、そう来るのという意外性に満ちている。手がかりの入手方法については、本書を絶賛しているギブスンの有名短篇と似ているとだけ言っておこう。ロディ殺害の謎については、伏線が見事に回収され、すっきりとした解決がついており、そこに不満はない。結末については、タイタンが富と権力の象徴として描かれ、主人公キャルがそれに反抗する主体として活躍していただけに、これでいいのかという不満が残った。まあ、落ち着いて考えればこれしかないのだろうとは思えるが、これで続編が書けるのかという心配はある(と書いたが、続編は既に出来上がっているので、どんな風に仕上がっているのか、楽しみだ)。
とにかく、読んでいて楽しく、魅惑に満ちた作品であることは間違いない。ミステリファンにもSFファンにも楽しめる快作である。
スパイ作家ジョン・ル・カレの息子であるニック・カーハウェイが書いたSFミステリ『タイタン・ノワール』は、典型的な「SF設定を持つミステリ」「SF要素のあるミステリ」と見せかけながら、最後には「謎のあるSF」と融合した地点に着地する一風変わった作品である。
近未来の架空都市オスリス市で、殺人事件が起きる。高層アパートの自室で大学教授ロディ・テビットが自身の所持する銃により殺されたのだ。警察のコンサルタントを務める私立探偵キャル・サウンダーが捜査に当たる。これだけなら普通のミステリなのだが、本書のSF設定は独特である。被害者はタイタンと呼ばれる巨人であり、加害者もおそらくタイタンと推測される。タイタンとは、病気や事故などによりそのまま生存することが困難な人間に対して特殊な薬T7を投与して身体を変成させ、その結果巨大化した人間を指している。薬を開発したトンファミカスカ一族が莫大な富を貯えており、その頂点に位置するのがステファン・トンファミカスカ。彼は四回T7を投与されており(四齢と呼ばれる)、強大な身体と力を備えて一族を率いているのだ。殺されたロディはどうしてタイタン化したのか、そして、犯人はなぜロディを殺したのか。謎が謎を呼び、読者はキャルとともに、怪しい世界へと踏み入っていく。
ノワールという題名に違わず、タイタンたちの通う悪徳と快楽の園である怪しげなクラブ、そこで開かれる暴力的なショー、裏社会を束ねる異形のタイタン、汚職の蔓延る警察内部などがスタイリッシュな文体で描かれ、それだけでも魅力十分なのだが、さらに、キャルが真相に辿り着くための手がかりを入手する方法が極めてSF的であり、謎解きのあとの結末も(明らかにすることはできないが)、えっ、そう来るのという意外性に満ちている。手がかりの入手方法については、本書を絶賛しているギブスンの有名短篇と似ているとだけ言っておこう。ロディ殺害の謎については、伏線が見事に回収され、すっきりとした解決がついており、そこに不満はない。結末については、タイタンが富と権力の象徴として描かれ、主人公キャルがそれに反抗する主体として活躍していただけに、これでいいのかという不満が残った。まあ、落ち着いて考えればこれしかないのだろうとは思えるが、これで続編が書けるのかという心配はある(と書いたが、続編は既に出来上がっているので、どんな風に仕上がっているのか、楽しみだ)。
とにかく、読んでいて楽しく、魅惑に満ちた作品であることは間違いない。ミステリファンにもSFファンにも楽しめる快作である。
『ロボットとわたしの不思議な旅』ベッキー・チェンバーズ(2024年11月/創元SF文庫) ― 2025-01-04 09:43
惑星モタンの衛星パンガの都市にあるメドウ・デン修道院で暮らす修道僧(シブリング)デックスは、コオロギの歌が聞こえるような場所で暮らしたいと思うようになり、修道院を出てワゴンに乗り、村から村をまわって喫茶奉仕を行う喫茶僧として活動するようになる。ある日、人間居住地域の外で、デックスは一体のロボットに出会う。パンガでは、〈別離の誓い〉以来、人間とロボットは別々の地域で暮らしており、人間とロボットが出会うのは〈誓い〉後、初めてのことだった。身長約二メートル、メタル・ボディにボックス形の頭を乗せたロボットはモスキャップと名乗り、人間がどのように暮らしているかを確認し、何を必要としているのかを知りたいと言う。かくして、ロボットはデックスをガイドにし、ロボットと人間、不思議な二人三脚(?)の旅が始まった……。
古風な外見をしたロボットであるモスキャップが、本書では極めて魅力的に描かれている。意識を備えているが計算はのろく、ネットワーク化もされていない。人間には親しげに振る舞い、何かに夢中になると他のことは顧みない。料理を褒められ誇らしげに笑う。およそロボットらしくないロボットであり、何と言うか、実に人間的なのだ。本書はデックスとモスキャップの出会いを描く前篇と、モスキャップがデックスとともに村々を訪問する後篇と、二つの中篇から成っているが、全体を通して、ロボットがなぜ人間と袂を別ったのか、はっきりと描かれることはなく、あくまでも、ロボットと人間との関わりを一対一のコミュニケーションに絞って描いているところに特色がある。
たとえば、前篇の最後で、生きる意味を見失い、落ち込んでいるデックスに対して、モスキャップは優しく真理を説き、逆に彼女を癒していく。また、後篇では、テクノロジーに対して恐怖を抱き、必要以上のテクノロジーを忌避する村落が登場するが、ここでも、主となるのは、村落全体対ロボットの対立ではなく、村落を代表する女性エイヴリーといっしょに釣りをして心を通わせるモスキャップの姿なのである。大自然の命の営みを大切に思い、自然の中で循環するロボットであるモスキャップたちと、テクノフォビアの村落との接点は間違いなく存在するのだ。ロボットと人間、両者を見つめるベッキー・チェンバーズの視点は限りなく優しく、慈しみに満ちている。
また、衛星パンガの村落で使用されている貨幣の代替の仕組みが興味深い。人々は、何かをしてもらうと、ぺブ(デジタル・ペブルの略)という信頼の単位を差し出し、それを受け取った側はペブを蓄積して、それをまた誰か他の人に何かしてもらったときに使用するのだ。「ペブを使うやり取りの意味は、誰かの骨折りをちゃんと認めて、その人がコミュニティにもたらしてくれることに感謝するってこと」(216ページ)。この仕組みのうえでは、誰かに対して「骨折り」さえすれば、人間もロボットも等価な存在となる。
本書の前篇を成す「緑のロボットへの讃歌」は2022年のヒューゴー賞を受賞しているが、2024年のヒューゴー賞受賞作のナオミ・クリッツァー「陽の光が届かなくなった年」(〈SFマガジン〉2025年2月号)などと合わせて読むと、近年のアメリカSFの傾向が見えてくる。コロナ禍並びに格差と分断にさらされた現代アメリカ社会の緊張を反映してのことだと思われるが、信頼と協調を軸とした共同体への期待が重きを成している。テクノロジー重視が行きついた先の環境破壊を経ての、古き良き自然への回帰。ただし、それは単純な自然ではなく、テクノロジーを用いたバランスのとれた「新しい自然」と言うべきものだ。この流れが当分は続くのか、変化していくのか、注目して見ていきたい。
古風な外見をしたロボットであるモスキャップが、本書では極めて魅力的に描かれている。意識を備えているが計算はのろく、ネットワーク化もされていない。人間には親しげに振る舞い、何かに夢中になると他のことは顧みない。料理を褒められ誇らしげに笑う。およそロボットらしくないロボットであり、何と言うか、実に人間的なのだ。本書はデックスとモスキャップの出会いを描く前篇と、モスキャップがデックスとともに村々を訪問する後篇と、二つの中篇から成っているが、全体を通して、ロボットがなぜ人間と袂を別ったのか、はっきりと描かれることはなく、あくまでも、ロボットと人間との関わりを一対一のコミュニケーションに絞って描いているところに特色がある。
たとえば、前篇の最後で、生きる意味を見失い、落ち込んでいるデックスに対して、モスキャップは優しく真理を説き、逆に彼女を癒していく。また、後篇では、テクノロジーに対して恐怖を抱き、必要以上のテクノロジーを忌避する村落が登場するが、ここでも、主となるのは、村落全体対ロボットの対立ではなく、村落を代表する女性エイヴリーといっしょに釣りをして心を通わせるモスキャップの姿なのである。大自然の命の営みを大切に思い、自然の中で循環するロボットであるモスキャップたちと、テクノフォビアの村落との接点は間違いなく存在するのだ。ロボットと人間、両者を見つめるベッキー・チェンバーズの視点は限りなく優しく、慈しみに満ちている。
また、衛星パンガの村落で使用されている貨幣の代替の仕組みが興味深い。人々は、何かをしてもらうと、ぺブ(デジタル・ペブルの略)という信頼の単位を差し出し、それを受け取った側はペブを蓄積して、それをまた誰か他の人に何かしてもらったときに使用するのだ。「ペブを使うやり取りの意味は、誰かの骨折りをちゃんと認めて、その人がコミュニティにもたらしてくれることに感謝するってこと」(216ページ)。この仕組みのうえでは、誰かに対して「骨折り」さえすれば、人間もロボットも等価な存在となる。
本書の前篇を成す「緑のロボットへの讃歌」は2022年のヒューゴー賞を受賞しているが、2024年のヒューゴー賞受賞作のナオミ・クリッツァー「陽の光が届かなくなった年」(〈SFマガジン〉2025年2月号)などと合わせて読むと、近年のアメリカSFの傾向が見えてくる。コロナ禍並びに格差と分断にさらされた現代アメリカ社会の緊張を反映してのことだと思われるが、信頼と協調を軸とした共同体への期待が重きを成している。テクノロジー重視が行きついた先の環境破壊を経ての、古き良き自然への回帰。ただし、それは単純な自然ではなく、テクノロジーを用いたバランスのとれた「新しい自然」と言うべきものだ。この流れが当分は続くのか、変化していくのか、注目して見ていきたい。
『ミネルヴァ計画』ジェイムズ・P・ホーガン(創元SF文庫/2024年12月) ― 2024-12-25 15:09
2005年に刊行された〈星を継ぐもの〉シリーズ最終巻がようやく翻訳された。イギリスでは1977年から1981年にかけて最初の三部作が刊行され、10年の空白を経て1991年に第四作が、さらに14年後に本書が刊行されてシリーズ完結となった。28年かけて完結したことになり、変わらぬ人気と作者のシリーズへの愛着ぶりがうかがえる。日本では本書の翻訳が遅れたこともあり、1980年の1作目翻訳から数えて44年目の完結となった。最初から読んできた読者にとっては、さぞかし感慨深いものがあるのではないだろうか。個人的なことになるが、私も第一作を高校の授業中に読み耽ってその面白さにとりつかれて以来、シリーズはすべて(文句を言いながらも)読み続けてきた。シリーズの主役、物理学者ハントと生物学者ダンチェッカーの名前を見ると、なじみ深い叔父さんに会ったような気になる。もはや彼らの年齢を追い越して、同僚か友人の域に達しているが、それでも彼らは「親しみ深く、頑固な叔父さん」のままなのだ。
本シリーズは、最初の三部作で物語が円環構造を成して見事に完結しており、後はどうしても落穂拾いになってしまう。物語や主役は一貫しているが、趣向はそれぞれ異なっているところにシリーズの特色があるので、それぞれ別物だと思って読んだ方が楽しめるだろう。本書は久しぶりの刊行ということもあって、プロローグや年表で、これまでの物語を振り返ることができようになっている。今までシリーズを読んできた読者であれば、読み返さずとも物語に入っていけると思うが、一応ここでは簡単に振り返っておきたい。
第一作『星を継ぐもの』はSFミステリの傑作だ。2027年、月面で宇宙服を着た死体が発見される。人類と同じ構造をもった死体は五万年前のものであることがわかり、なぜそんな昔に人類が月面に到達していたのかという謎が論理的に鮮やかに解かれていく。第二作『ガニメデの優しい巨人』は、2500万年前に太陽系で繁栄していたガニメアンという異星人が、時を超えて太陽系に出現するファースト・コンタクトものの形をとっている。なぜ彼らはいなくなってしまったのかという謎が第一作の謎と結びつき、次作へとつながっていく。第三作『巨人たちの星』で、ほぼすべての謎は解かれるが、後半では、時空を超える驚きや異星人との遭遇がもたらす新鮮さはなくなり、主人公らが悪役ジェヴレン人と戦うという既成のスパイ謀略ものと変わらぬ物語が展開されていく。第四作『内なる宇宙』は、仮想空間での冒険が主となり、ハントとダンチェッカーに会えるという以外のシリーズらしさはより薄れている。なお、二作目から登場する異星人が開発した人工知能(ゾラック、ヴィザー)のアーキテクチャーが現在のAIに通じるものとして描かれていることは特筆すべき点だろう。コンピュータ・エンジニアとしてのホーガンの面目躍如といったところだ。
さて、第五作の本書では、前半で、主人公らがテューリアン(ガニメアンと同種族)の星へ行き、様々な体験をする中で語られる独自のマルチヴァース理論が主眼となる。これが延々300ページ続くので、読者としては少々しんどいが、ここには多元宇宙を描く以上は徹底的に理論を詰めておかないと気が済まないハードSF作家としてのホーガンらしさがよく出ていると言えよう。前半でむしろ面白いのは、ダンチェッカーの従妹ミルドレッドがテューリアンと交わす人間論、社会論である。彼女は、歴史上の高名なる君主や征服者たちは最悪の盗人であり悪党であると考え、あらゆる面で効率を追求することに関しては優秀だが「健全で正常な文化の基盤となるべき人間の価値というものに対する情緒的能力や感受性が欠如している」(157ページ)と述べ、競争心をもたないテューリアンの共感を得る。人間の暴力性は生来性の欠陥なのか、後からジェヴレン人によってもたらされた後天的なものなのかという問いかけは本書を貫く重要なテーマでもある。
物語の後半は、ようやく舞台がミネルヴァに移り、三作目同様の悪役ジェヴレン人との戦いがテンポよく描かれていく。マルチヴァースと言いながらも、主人公らの世界は固定されているので、結局は二つの世界の話になってしまい、悪が滅びるカタルシスは味わえるものの、世界の広がりという点ではSF的な発展があまり見られずに物語が終幕を迎えるのはいささか残念である。前半のマルチヴァース理論の面白さが、後半のシンプルな物語であまり生かされていないという批判は当然生じるであろう。しかし、ホーガンが本シリーズで描き続けたのは、欠陥を備えたままの人間らしさへの讃歌であった。その意味では、本書は、実にホーガンらしい作品であり、完結編にふさわしいとも言えるだろう。
2010年にホーガンが亡くなってからも既に14年が過ぎた。これ以上の続編は望むべくもない。あとは、シリーズを繰り返し読んで、彼が描いた未来と彼亡き後の現在について考えることがせめてもの供養である。ホーガンの遺産は読者が継がなければならないのだ。
本シリーズは、最初の三部作で物語が円環構造を成して見事に完結しており、後はどうしても落穂拾いになってしまう。物語や主役は一貫しているが、趣向はそれぞれ異なっているところにシリーズの特色があるので、それぞれ別物だと思って読んだ方が楽しめるだろう。本書は久しぶりの刊行ということもあって、プロローグや年表で、これまでの物語を振り返ることができようになっている。今までシリーズを読んできた読者であれば、読み返さずとも物語に入っていけると思うが、一応ここでは簡単に振り返っておきたい。
第一作『星を継ぐもの』はSFミステリの傑作だ。2027年、月面で宇宙服を着た死体が発見される。人類と同じ構造をもった死体は五万年前のものであることがわかり、なぜそんな昔に人類が月面に到達していたのかという謎が論理的に鮮やかに解かれていく。第二作『ガニメデの優しい巨人』は、2500万年前に太陽系で繁栄していたガニメアンという異星人が、時を超えて太陽系に出現するファースト・コンタクトものの形をとっている。なぜ彼らはいなくなってしまったのかという謎が第一作の謎と結びつき、次作へとつながっていく。第三作『巨人たちの星』で、ほぼすべての謎は解かれるが、後半では、時空を超える驚きや異星人との遭遇がもたらす新鮮さはなくなり、主人公らが悪役ジェヴレン人と戦うという既成のスパイ謀略ものと変わらぬ物語が展開されていく。第四作『内なる宇宙』は、仮想空間での冒険が主となり、ハントとダンチェッカーに会えるという以外のシリーズらしさはより薄れている。なお、二作目から登場する異星人が開発した人工知能(ゾラック、ヴィザー)のアーキテクチャーが現在のAIに通じるものとして描かれていることは特筆すべき点だろう。コンピュータ・エンジニアとしてのホーガンの面目躍如といったところだ。
さて、第五作の本書では、前半で、主人公らがテューリアン(ガニメアンと同種族)の星へ行き、様々な体験をする中で語られる独自のマルチヴァース理論が主眼となる。これが延々300ページ続くので、読者としては少々しんどいが、ここには多元宇宙を描く以上は徹底的に理論を詰めておかないと気が済まないハードSF作家としてのホーガンらしさがよく出ていると言えよう。前半でむしろ面白いのは、ダンチェッカーの従妹ミルドレッドがテューリアンと交わす人間論、社会論である。彼女は、歴史上の高名なる君主や征服者たちは最悪の盗人であり悪党であると考え、あらゆる面で効率を追求することに関しては優秀だが「健全で正常な文化の基盤となるべき人間の価値というものに対する情緒的能力や感受性が欠如している」(157ページ)と述べ、競争心をもたないテューリアンの共感を得る。人間の暴力性は生来性の欠陥なのか、後からジェヴレン人によってもたらされた後天的なものなのかという問いかけは本書を貫く重要なテーマでもある。
物語の後半は、ようやく舞台がミネルヴァに移り、三作目同様の悪役ジェヴレン人との戦いがテンポよく描かれていく。マルチヴァースと言いながらも、主人公らの世界は固定されているので、結局は二つの世界の話になってしまい、悪が滅びるカタルシスは味わえるものの、世界の広がりという点ではSF的な発展があまり見られずに物語が終幕を迎えるのはいささか残念である。前半のマルチヴァース理論の面白さが、後半のシンプルな物語であまり生かされていないという批判は当然生じるであろう。しかし、ホーガンが本シリーズで描き続けたのは、欠陥を備えたままの人間らしさへの讃歌であった。その意味では、本書は、実にホーガンらしい作品であり、完結編にふさわしいとも言えるだろう。
2010年にホーガンが亡くなってからも既に14年が過ぎた。これ以上の続編は望むべくもない。あとは、シリーズを繰り返し読んで、彼が描いた未来と彼亡き後の現在について考えることがせめてもの供養である。ホーガンの遺産は読者が継がなければならないのだ。
岐阜ミステリ読書会二次会レポート(陸秋槎さんとのSF談義) ― 2024-12-17 09:46
12月14日(土)に岐阜の生涯学習センターで行われたミステリ読書会にお邪魔してきた。課題本は陸秋槎『喪服の似合う少女』で、何と作者ご本人が参加する読書会である。今まで翻訳者が参加された読書会は何度も経験してきたが、作者本人というのは初めてだ。今年になって、2023年に刊行された氏のSF短篇集『ガーンズバック変換』を読み、とても面白かったので、作者に会えるのならと、門外漢を承知で参加してきた次第。直前になって、翻訳家の柿沼瑛子さんも参加されることがわかり、また、ロス・マクドナルドに関する貴重な資料が柿沼さんから参加者に配布される、など実に贅沢な読書会であった。本会については、ミステリ初心者なため、詳細な報告は他の人に譲るが、二次会、三次会で他の参加者とともに陸さんご本人と話すことができ、SFの話がたくさんできたので、それを書き記しておく。
陸さんは本当に博識で頭の回転が速く、どんな話題を投げても打ち返すことができる凄い人であった。印象に残った話をいくつか記しておく。
奥様は考古学の研究者でいらっしゃって、瓦の研究をしておられる。先輩の教授から「(瓦のような地味なものではなく)もっと美しいものを研究しないと」と言われて、家で奥さんが怒っていたという話を陸さんがされたので、こちらは「ああ、女性は美を追い求めるべきだというアンコンシャス・バイアスですね」と返したら、「いや、瓦自体が美しいということです」と言われ、なるほどそうかと納得した。「『火の鳥』にもそういう話があるでしょう」と陸さんに言われて、驚いた。当然、茜丸と我王が瓦対決をする鳳凰編のことなのだが、これを中国の若い方が知っているということにびっくりしたのである。中国では手塚治虫も読めるんだなあと感心していたら(当たり前か)、何でもありというわけではなく、たとえば「××編」は内容的に問題があり、中国では出版されないだろうとのこと。
中国では1990年代に「人体科学」のブームがあり、超能力が盛んに研究され信じられたが、結局実際にテレパシーやテレポーテーションの実在は証明できず下火となり、超能力を語ることはカルト宗教を信じることのように胡散臭いものと思われてしまった。その影響か、SFのサブジャンルとして超能力ものはあまり読まれていない。筒井康隆の《七瀬もの》は知られておらず、『虎よ、虎よ!』も人気はないとのこと。
これはどこかで聞いたことがあった話だが、中国ではサイバーパンクと言えば、ウィリアム・ギブスンではなく、ヴァーナー・ヴィンジであり、ヴィンジは大変人気があるとのこと。ロス・マクとマーガレット・ミラーを連想して、日本では奥さんのジョーン・D・ヴィンジの方が人気がありますよと思わず言ってしまったが、これは間違っていたような気がする(笑)。
中国では、ハインラインは『夏への扉』と『異星の客』のように、作品に違いがあり過ぎるので、あまり人気がない。
陸さんに「一番好きな作家は何ですか」と聞かれ、つい「ディレーニイ」と答えてしまったが、ディレーニイは中国では「バベル17」が知られているぐらいであまり人気がないようだった。アメリカン・ニュー・ウェーブの話も少しする。ハーラン・エリスンは「おれには口がない、それでもおれは叫ぶ」が中国語に訳されており、一冊短篇集を出す話もあったのだが、実現していないとのこと。
劉慈欣と馬伯傭は天才である。今度日本でも翻訳される馬伯傭『西遊記事変』は、とても面白いそうだ。
自分は『ガーンズバック変換』に収められた「色のない緑」がすごく好きなので、その話を振ったら、AIの機械翻訳についてはもうすべて実現してしまったと卑下されるような感じで言われたのが意外だった。陸さんが原稿を知り合いの専門家に見せたときに、論文の査読をAIがする時代は来ないと言われたが、実際にはもう既にそれは実現されてしまった、と。確かにそうなのだろう。しかし、たとえそうであったとしても、作品の面白さはいささかも減じられることはないと強く言ったのだが、うまく伝えられたかどうか。SFは決して未来予測ではなく、しかも、この話の主眼は「色のない緑の思考は猛烈に眠る」という意味を持たない文を成立させてしまったコンテクストの皮肉さ=運命の不可思議さと、自殺した女性研究者と主人公との心の触れ合いにあるわけなので、機械翻訳が作品内で描いたレベルを超えようが、液体ハードディスクが実現しようが、その面白さは変わるものではないと思う。
やはり『ガーンズバック変換』に収められた「インディアン・ロープ・トリックとヴァジュラナーガ」は、小島秀夫「メタルギア・ソリッド」へのオマージュである。「固い蛇」をテーマとした奇想小説なのだが、これはソリッドな「スネーク」(「メタルギア・ソリッド」の主人公)なのだ。自分はまったく気づいておらず、聞いたとき思わず膝を叩いて笑ってしまった。
陸さんの誕生日は11月25日。三島由紀夫が自決した日である。三島については、《豊饒の海》が面白いとのこと。
他にも様々な話をしたが、とにかくSFについても知らないことはない、ミステリ、SF、サブカルチャー、何でもござれの博覧強記ぶりは、どこか殊能将之を思わせるところもあり、感嘆した次第。
ミステリ読書会で、二次会、三次会とはいえ、あまりミステリの話をせず、SFの話ばかりして申し訳ありませんでした。が、おかげさまで楽しい時間を過ごすことができました。主催者の方、参加された皆様、どうもありがとうございました!
陸さんは本当に博識で頭の回転が速く、どんな話題を投げても打ち返すことができる凄い人であった。印象に残った話をいくつか記しておく。
奥様は考古学の研究者でいらっしゃって、瓦の研究をしておられる。先輩の教授から「(瓦のような地味なものではなく)もっと美しいものを研究しないと」と言われて、家で奥さんが怒っていたという話を陸さんがされたので、こちらは「ああ、女性は美を追い求めるべきだというアンコンシャス・バイアスですね」と返したら、「いや、瓦自体が美しいということです」と言われ、なるほどそうかと納得した。「『火の鳥』にもそういう話があるでしょう」と陸さんに言われて、驚いた。当然、茜丸と我王が瓦対決をする鳳凰編のことなのだが、これを中国の若い方が知っているということにびっくりしたのである。中国では手塚治虫も読めるんだなあと感心していたら(当たり前か)、何でもありというわけではなく、たとえば「××編」は内容的に問題があり、中国では出版されないだろうとのこと。
中国では1990年代に「人体科学」のブームがあり、超能力が盛んに研究され信じられたが、結局実際にテレパシーやテレポーテーションの実在は証明できず下火となり、超能力を語ることはカルト宗教を信じることのように胡散臭いものと思われてしまった。その影響か、SFのサブジャンルとして超能力ものはあまり読まれていない。筒井康隆の《七瀬もの》は知られておらず、『虎よ、虎よ!』も人気はないとのこと。
これはどこかで聞いたことがあった話だが、中国ではサイバーパンクと言えば、ウィリアム・ギブスンではなく、ヴァーナー・ヴィンジであり、ヴィンジは大変人気があるとのこと。ロス・マクとマーガレット・ミラーを連想して、日本では奥さんのジョーン・D・ヴィンジの方が人気がありますよと思わず言ってしまったが、これは間違っていたような気がする(笑)。
中国では、ハインラインは『夏への扉』と『異星の客』のように、作品に違いがあり過ぎるので、あまり人気がない。
陸さんに「一番好きな作家は何ですか」と聞かれ、つい「ディレーニイ」と答えてしまったが、ディレーニイは中国では「バベル17」が知られているぐらいであまり人気がないようだった。アメリカン・ニュー・ウェーブの話も少しする。ハーラン・エリスンは「おれには口がない、それでもおれは叫ぶ」が中国語に訳されており、一冊短篇集を出す話もあったのだが、実現していないとのこと。
劉慈欣と馬伯傭は天才である。今度日本でも翻訳される馬伯傭『西遊記事変』は、とても面白いそうだ。
自分は『ガーンズバック変換』に収められた「色のない緑」がすごく好きなので、その話を振ったら、AIの機械翻訳についてはもうすべて実現してしまったと卑下されるような感じで言われたのが意外だった。陸さんが原稿を知り合いの専門家に見せたときに、論文の査読をAIがする時代は来ないと言われたが、実際にはもう既にそれは実現されてしまった、と。確かにそうなのだろう。しかし、たとえそうであったとしても、作品の面白さはいささかも減じられることはないと強く言ったのだが、うまく伝えられたかどうか。SFは決して未来予測ではなく、しかも、この話の主眼は「色のない緑の思考は猛烈に眠る」という意味を持たない文を成立させてしまったコンテクストの皮肉さ=運命の不可思議さと、自殺した女性研究者と主人公との心の触れ合いにあるわけなので、機械翻訳が作品内で描いたレベルを超えようが、液体ハードディスクが実現しようが、その面白さは変わるものではないと思う。
やはり『ガーンズバック変換』に収められた「インディアン・ロープ・トリックとヴァジュラナーガ」は、小島秀夫「メタルギア・ソリッド」へのオマージュである。「固い蛇」をテーマとした奇想小説なのだが、これはソリッドな「スネーク」(「メタルギア・ソリッド」の主人公)なのだ。自分はまったく気づいておらず、聞いたとき思わず膝を叩いて笑ってしまった。
陸さんの誕生日は11月25日。三島由紀夫が自決した日である。三島については、《豊饒の海》が面白いとのこと。
他にも様々な話をしたが、とにかくSFについても知らないことはない、ミステリ、SF、サブカルチャー、何でもござれの博覧強記ぶりは、どこか殊能将之を思わせるところもあり、感嘆した次第。
ミステリ読書会で、二次会、三次会とはいえ、あまりミステリの話をせず、SFの話ばかりして申し訳ありませんでした。が、おかげさまで楽しい時間を過ごすことができました。主催者の方、参加された皆様、どうもありがとうございました!
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