私的名古屋SFファンダム史06(1978)2012-02-05 19:40

 しばらく間が空いてしまいましたが、まあ当分はこれぐらいのペースで書いていきます。

 スペース・フォースというのは、野田昌宏を大元帥として結成されたファン・グループであり、《SFマガジン》77年7月号のてれぽーと欄に初めて参加者の募集広告を出している。そこに中学時代の友人である大矢くんが入会希望の手紙を出して、正式に入会した。しばらくはなしのつぶてだったのだが、1年以上経過してからようやく東海ベースが結成され、1978年の11月より名古屋の中心部栄の喫茶店で月例会がスタートしていたのだ。我々も入会希望の手紙は出して、申込書をもらっていたのだが、根がスペ・オペ嫌いだったので、迷った末に即時入会はしなかった。大矢くんが入るならそこから情報を得ればいいかなと思ったのだろう。大矢くんも我々も野田さんの大ファンだったので、まずは中学生でも受け入れてくれそうな新規グループにコンタクトをとったわけである。2回目の例会は12月17日(日)に開催された。こちらからは正式会員の大矢くん、オブザーバーの形で我々二人(英樹と睦夫)、これも中学時代の友人T谷の計4名が参加した。栄地下のクリスタル広場ニッサンギャラリー前で他の方々と待ち合わせる。誰かが古い《SFマガジン》を手にしていたので、即座に出会いを果たすことができた。何でも最初は「SPACE FORCE」と描かれた旗を掲げていたそうだが、警備員に「旗はアピールになるのでダメです」と言われ、代わりに誰かが持っていたSFMを取り出したらしい。何故それが1967年2月号であったのかはもはやわからないが、多分そこに野田さんのコラム「古本への異常な愛情」が載っていたからではないか。誰が持っていたかは忘れたが、そのSFMの表紙だけは、今でもはっきりと覚えている。当時の栄待ち合わせのメッカ、人通りの多いクリスタル広場でそんなものを持った異様な集団は確かに目立っていた。参加者は20名弱。エーデルワイスという喫茶店の二階で例会は行われた。話の内容は忘れてしまったが、周りは皆大学生や高校生ばかりで、中学3年生の我々は隅っこの方で小さくなっていたような気がする。ローダンは読んでるの? と聞かれて「完結したら読みます」と答えるような生意気な中学生であった(無論読む気はないですよというメッセージである)。帰りにはセントラルパークで記念写真を撮っている。この後も何度も出かけているので、最初はそれなりに楽しく居心地はよかったのだろう。数年後には、会の方針と衝突し、KDFを結成して離脱することになるのだが。

 写真はスペース・フォース東海ベースの会誌《Great Admiral》の創刊号(1978年12月発行)。例会報告と、会員の自己紹介が主な内容であるが、当時出たばかりのニーヴン『リングワールド』紹介なども載っており、まずまずの内容と言えよう。青焼きコピーが時代を感じさせる。面白いのは、当時中学2年生の佐々木敦が正式会員として登録され、自己紹介もしていることである。音楽、映画、現代思想など幅広いジャンルで活動している評論家、佐々木敦も、当時は純真な一海外SFファンだったのだ。ゼラズニイやヴァーリイが好きだと書き、「SF百科図鑑」の中の「サンリオ近刊」という言葉にゾクゾクしているその姿は、当時の我々と全く同じであり、親近感を覚えたものであった。「スペース・フォースってスペオペのファンクラブなのにスペオペのこと全然書かなくてゴメンナサイ」と末尾に記されているのも、我々と同じスタンスである。例会で出会ったことはなく、すれ違いで終わってしまったのが実に残念であったが、要するに、当時の名古屋における海外SFファンの集まる場所というのが、スペフォーぐらいしかなかったということを、この事実は端的に物語っているのではないだろうか。(続く)

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