あけましておめでとうございます2012-01-02 19:23

 新年あけましておめでとうございます。
 本年もよろしくお願いします。

 1月1日はブログ更新を休んでしまってすみません。
 31日の夜に初詣の前に卒業生が6人も遊びに来てくれて、夜中の3時まで起きていました。若いときならともかく、この年でこれは結構身体に応えます。そのまま昼には妻の実家へ行き、親戚づきあいなど。夜には自分の実家へ行き、これまた親戚づきあい。もうへとへとになって、何も書けませんでした。

 年末から数日かけて、自分のホームページを十年ぶりに改訂しています。まずは見栄えからということで、購入してそのままになっていたホームページビルダーを開き、スタイルシートを使ったトップページを作り、それをもとに、プロフィール、最近の仕事、リンクなどを改訂。次にSFマガジン書評のトップと作家別・作品別インデックスを改訂(書評の中身は100個ほどのファイルがあるので、とても手をつけられず、昔のまま)。ようやく最後にSF文庫データベースのトップを改訂(これも中身は3000個以上のファイルがあるので、そのまま)。まあ、とりあえずはこんなもんでしょう。

http://www.asahi-net.or.jp/~YU4H-WTNB/index.htm

 よかったらのぞいてみてやってください。あと追加したいものは、SF文庫データベースにおける各文庫の概説。ハヤカワは一昨年のSFマガジンに書いた文庫SF40周年の概説をそのまま載せていけばいいし、創元のネタはいっぱいあります。今年前半には徐々に追加させていきたいと思っています。
 ブックレビューはこのブログを使って書けそうだし、あとどうしても書いておきたいのが、名古屋を中心とした個人的SFファンダム史かな。昨年SFマガジンに掲載された長山靖生氏のSFファンダム史がとても面白かったので、自分でも書きたくなった次第。あんな立派なものはとても書けそうにないけれど、70年代後半から80年代後半までにかけてのSF及び漫画ファンダムの話は書き残しておきたいと思っています。

 というわけで、今年はどんどんブログとホームページを中心に書いていくつもりなので(あくまで「つもり」ですので、書けなかったらごめんなさい!)、乞うご期待。

山村浩二『マイブリッジの糸』2012-01-03 20:56

 『マイブリッジの糸』(2011年)は、『田舎医師』(2007)以来待望の山村浩二監督の新作アニメーションである。BPさんのブログで本日監督のトークがあるということを知り、早速今池の名古屋シネマテークまで観に行ってきた。

 本作品の企画自体は『頭山』(2002)直後から練っており、動物がたくさん登場するイラストを描いたことから始まったとのこと。糸と写真機を連動させて初めて馬の走る分解写真を撮ったと言われる英国人エドワード・マイブリッジの一生を東京に住むある母娘の生涯と組み合わせて描いており、セリフは一切なしの象徴的な画面展開でストーリーは進んでいく。どうやらマイブリッジは妻の愛人を殺し、母娘はピアノ演奏を通じて触れあっていくことぐらいはわかるが、後はほとんどイメージの世界と言っていい。BGMのバッハ「蟹のカノン」が逆行カノンであること(逆から弾いても同じ曲になる)、マイブリッジが時間を瞬間瞬間に切り取ってみせたことが表象しているように、本作品での時間は切り刻まれ、シャッフルされ、時には逆行し、時には順行する。音とイメージの美しい戯れ。

 ほぼカナダのNFB(国立映画製作庁)に関する講義であったトークの後の質疑応答で最も印象深かったのは、作品の偶然性に関する部分。「アニメーションには偶然性や即興性を入れにくいと思われているが、実はそうではなく、画面に入れやすい」という意外な発言。これは、実は山村作品を初めとする手作り的な作品については真実である。同時に上映されたメイキングを観ると本当によくわかるのだが、山村氏はこの作品を、筆、鉛筆、クレヨンなどを使い、一枚一枚丁寧に描いているのだ。6400枚を、ほぼ一人で、である。筆むらなどには、明らかに身体性、偶然性がくっきりと刻印されており、これがこの発言を裏づけているわけだ。「しかし、そういうことをやり過ぎると観客不在の作品になってしまうので、一方的にならないように意識している」とのこと。

 「作品というのは個人が世界をどう見たかという記録であり、自分と世界との距離感がその時々の作品に出ている」というのが質疑応答の最後にあり、これは「わからないから作る」「(作品は)子供の落書きと同じかもしれない」というトーク冒頭の言葉とも響き合っていた。

 一枚一枚の手描きにこだわった分、『田舎医師』でも感じられた山村氏独特のふにゃふにゃしていると同時にスピード感のある動きは今回さらにパワーアップしている。独自の浮遊感に浸りたい方は必見の作品である。NFBの作品も同時上映していて面白かったのだが、それは次回に。

NFB作品集(マクラレン「カノン」「心象風景」「ビーズゲーム」など)2012-01-04 20:13

 昨日の続きで、NFB作品について書く。NFBとはカナダ国立映画製作庁(National Film Board of Canada)のことで、設立は1939年。映画黄金時代にカナダの映画産業を振興する目的で出来たもののようだ。最初はドキュメンタリー部門が主流であったが、NFBのディレクターが、あのノーマン・マクレランをイギリスから呼び寄せアニメーション部門が出来てから、多くのすぐれた作品を世に送り出すことになる。

 今回上映されたのは全部で5本。1964年のノーマン・マクラレン&グラント・マンロー監督の「カノン」から2011年の「ワイルド・ライフ」までバラエティに富んだ多彩な作品を観ることができた。「カノン」は音楽に合わせてチェスボード上のサイコロがリズミカルに動いたり、シンプルな人間の動きを輪唱形式でつないでいくことによって笑いを生み出すユーモラスな作品。こういうのを見ると、どうしても幼少時に見たNHKの実験的なアニメーション(「おかあさんといっしょ」? 番組は思いだせないのだが、様々な色の線が十字に重なっていくものとか)を思い出す。ああいうのも、こうしたNFBの作品から影響を受けていたんだろうなあ。続けて、山村浩二監督が高校時代美術部顧問の先生に見せてもらい、強い衝撃を受けたという「心象風景」(1976年)を観る。いや、これはやっぱりすごい。傑作だ。鉛筆画のような白黒の絵の世界に入り込んでいく主人公を緻密なタッチで描いた素晴らしい作品。それにしても、これを当時の高校生に観せてくれた先生って一体どんな人だったのだろう? DVDとかあれば、自分も生徒にいつか観せてやりたいものだ。
 
 さらに続くのは、ビーズで絵を描き、それを動かして作ったと思われる「ビーズゲーム」(1977)。これは最初はたわいもない子供の落書きのような怪獣の絵ばかりで、まあこんなものかと思っていると、あにはからんや、途中で猿の争いになるあたりで、はっと気づかされる。これって生物の進化を辿っているのではないか。予想通り人間の争いになり、兵器が出て来て爆発へ……。たった5分の作品ではあるが、なかなか鋭い作品であった。小さなものから大きなものへと徐々にパースペクティブがあがっていく「技」(2006年)の技法にも感嘆させられたし、20世紀初頭にイギリスからカナダに渡った若者の切ない物語「ワイルド・ライフ」(2011年)も面白かった。

 久しぶりにこうしたアートアニメーション(インディペンデント・アニメーションと海外では呼ぶらしい)を観て、大変満足できた。長大な商業映画ばかりが映画ではない。主題と技法が見事に一致しさえすれば、たった5分や10分でも十分印象に残る作品になるのだ。これからもこうしたアニメを観続けていこうと誓った昨日であった。

p.s. 書いてから検索してみたら、何と「カノン」はニコニコ動画で観られるではないか。アルゴリズム体操のもととしてアップされている。なるほどね。

図書館のSFフェア2012-01-05 23:01

 今日は仕事初め。まだ授業はないが、実力考査を印刷したり、3学期の準備をしたり。ここ数年かけて学校図書館司書教諭の資格をとり、今年ついに念願かなって図書の担当となったので、図書館にも足を運ぶ。昨年末から年数回行っているブックフェアの一環として、現在「果しなき流れの果に ~SFの世界~」と題してSFフェアを行っている最中なのだ。まったく充実していなかった本校図書館に、一年かけて海外SF基本図書を入れたので(『アンドロ羊』『ソラリス』『幼年期の終わり』『タイタンの妖女』などなど)、その展示と、家から持ってきた「SFマガジン」やペーパーバック、古い洋雑誌(写真に写っているのは50年代の「F&SF」、表紙はチェズリー・ボーンステルである)などを並べて置いてみた。ポスターやポップももちろん手作りである。

 生徒が借りるのはラノベが多いのだが、中には『たったひとつの冴えたやり方』や『ねじまき少女』をリクエストしてくれたり、『シリンダー世界』を読んでいたりする奇特な子もいたりするので、大事にしていかなければならない。『ねじまき少女』をリクエストしてくれた子は親がディックのファンだというので筋金入りだ。まあ、そういう子は例外であって、たいていの生徒はあまり興味もなく通り過ぎていくといった感じ。「SFはちょっと…」と言う子も結構多いのである。去年だったか、「SFって宇宙人とか出てくるんでしょう? ファンタジーならいいけど…」と生徒に言われて唖然とした覚えがある。福島正実先生、もはやSFは無理解な大人ではなく、子供からも荒唐無稽な夢物語と思われてしまっていますよ。少年よ、大志を抱き、SFを読め、と言いたくなるよな。まあでも、無理に読ませるのもどうかと思うので、こうした展示をぼちぼちとしていくぐらいに留めておくとしよう。

 今日は時間もないので、これぐらいで失礼。明日は休みをとって、宝塚の手塚治虫記念館に久しぶりに行ってくる予定。

手塚治虫記念館・石ノ森萬画展2012-01-06 19:23

 日帰りで妻と二人で手塚治虫記念館に行って来た。前に行ったのは1999年の2月だったので、もう13年も前のことになる。記憶はもはやおぼろげで、宝塚駅から「花のみち」を通っていくのだが、こんな道あったっけ? という感じである。火の鳥のモニュメントも建っていて、うーん、全然覚えがないなあと思っていたら、これは前回はありませんでした。覚えてなくて正解である。

 1階の展示は前回とほぼ変わらず。今回の目的は2階の企画展示室で2月20日まで行われている「萬画 ~石ノ森章太郎の世界~」を見ることだ。ホントは石巻の石ノ森萬画館まで行けばいいのだろうが、やはり東北は遠すぎる。まずは近くで行われている展示を見ておこうと思ったのだ。何があるのかは全く知らずに行ったのだが、これが結構拾い物。石ノ森が高校時代に作っていた肉筆回覧同人誌「墨汁一滴」や、石ノ森が寺田ヒロオに技量を見てもらうために送った作品など、結構貴重なものが展示されている。「墨汁一滴」の6号は普通のB5サイズなのだが、2号とかはその半分の横長のサイズで作られていることに驚く。しかも、漫画だけでなく、石ノ森による絵つきのエッセイがあるではないか。まあ、私のような筋金入り石ノ森ファン以外にはあんまり面白くないかもしれないが、哲学者の言葉を引用しながら青年らしい悩み(自分は「見栄」をはることは嫌いなのに、つい自分自身が「見栄」をはってしまうことがあっていやになる、等々)を綴っているのが興味深く、印象に残った。生原稿も多く展示されており、昔から見てみたいと思っていた石ノ森アシストによる「鉄腕アトム・電光人間の巻」の原画も数ページ展示されている。生で見ると、明らかに人物も石ノ森が描いているところがあるのがよくわかる。背景だけの指定でアシストを頼んだのに人物まで入れて仕上げたのだから、手塚治虫もこれにはびっくりしただろうなあ。

 通常は手塚作品を上映しているアトムビジョン(ミニ劇場)でも、石ノ森作品を二つ上映していた。一つは石ノ森チビッコキャラ総出演のコメディ「消えた赤ずきんちゃん」、もう一つはあの名作「龍神沼」だ。前者は話はシンプルだがテンポが良く、作画も丁寧でまずまずの出来。後者は、原作のイメージが強烈なのに、同じ方向を目指してしまったため見事に失敗している。ただ原作を表面的になぞっただけの絵コンテ、一部デッサンが狂い統一感のない作画、これでは褒めようがない。どちらもマッドハウス製作なのだが、演出の差ということか。製作者には失礼な言い方になってしまうが、この「龍神沼」の映像によって、原作を知る者は「龍神沼」という漫画自体が極めて強い映像喚起力を持つ傑作であったと改めて気づくことになるだろう。石ノ森の『マンガ家入門』でも、確かこの作品が全編再録されて氏自ら作品の意図を明かしていたと記憶しているが、それだけ作者にとっては自信のある作品だったにちがいない。レイ・ブラッドベリは傑作短編「みずうみ」を書き上げたとき「自分はこれまでとはちがうことをしたのだとわかった」(『ブラッドベリ年代記』)と語っているが、石ノ森にとっての「みずうみ」こそ、この「龍神沼」だったのではないだろうか。

 石ノ森については、まだいくらでも書きたいことがあるのだが、今回はこれくらいで。昨年12月に出たばかりの長谷邦夫の自伝『桜三月散歩道』(水声社)にも石ノ森章太郎との思い出が書かれている。同書は宇宙塵の例会写真なども収録しており、漫画ファンだけでなく、SFファンにも興味深く読める内容となっているので、このブログを読んでいるような方にはぜひお薦めしておきたい。