私的名古屋SFファンダム史05(1978)2012-01-28 21:07

 前回の続きで、時は1978年2月。我々(と書いているときは弟と自分を指す)のところにコミカ1で知り合った名工大SM研の兼岩さんから手紙が届いた。そこにはSM研の会報とともに、ハヤカワSFシリーズの全リストが同封されており、大変感激する。既にリストマニアへの道は始まっていたのである。何度か手紙のやり取りがあり、6月には名古屋工業大学の学校祭に行くことになった。手紙によると名工大SM研は『ガンマ3号 宇宙大作戦』『サンダーバード SOS原子旅客機』そして『スターウォーズ』の8mmダイジェスト版(日本公開の一ヶ月前であり、大変貴重なもの)の上映会を行っていたのだそうだが、全く記憶にないので、多分これらは観ていないはず。むしろ、ハヤカワSFシリーズや古い《SFマガジン》の展示を夢中になって見ていたことを、はっきりと覚えている。中学3年生だったので、大学のことなどよくわからないまま「将来は名古屋工業大学へ入る」と宣言して、そこにいた大学生たちを驚かせていたような気もする。父が名古屋工業大学の夜間を出ていたのでなじみ深く感じていて、自分たちもそこに入るものだと何となく思っていたのではないだろうか(実際は二人とも違う大学に入ることになるのだが)。

 この時期、TVやラジオ、雑誌ではやたらとSF特集が組まれ(6月9日には「独占!おとなの時間」のスター・ウォーズ特集で伊藤典夫、野田昌宏両氏の姿を初めて見ているし、6月11日の日曜スペシャルでは東京の大学SF研女子対抗による「SFクイズ」などというとんでもないものまで放映されている←《SFマガジン》78年8月号に野田さんによる詳細なレポート有)、7月にはついに「スター・ウォーズ」が公開された。7月末にはサンリオSF文庫も創刊しており、日記によれば、8月1日に『ビッグ・タイム』『辺境の惑星』『時は乱れて』『ノヴァ急報』の4冊を一挙に購入している。SF熱はいやが上にも高まり、もはや学校の友人たちと話すだけでは満足できなくなっていく。8月6日には、コミカ2が鶴舞の名古屋市公会堂に場所を変えて開かれ、もちろん参加しているのだが、漫画同人誌ばかりでSFファンジンはほとんどなく、兼岩さんには会えたものの、1回目ほどの感動はそこにはなかった。中学1年からの友人であり、SF仲間でもある大矢くんに誘われる形で、SFファングループの会合に初めて参加することになるのが、この年の12月。それは、スペースフォース名古屋支部の例会であった。(続く)