私的名古屋SFファンダム史07(1979)2012-02-20 21:53

 前回の続き。高校受験を控えた中3の1月(1979年1月15日)にもスペースフォースの例会に出かけている。当時は午後の例会の前に、鶴舞から古本屋や本屋を回りながら栄まで歩くのが楽しみで出かけていたような気もする。たとえば、この日購入した本は以下の通り。『デューン/砂丘の子供たち1・2』『無常の月』『リングワールド』『SF百科図鑑』『霊長類南へ』《SFM》バックナンバー1970~1976年まで8冊、《ぱふ》、丸善で《F&SF》1978年12月号(前回例会時に星新一「おーい、でてこーい」の英訳が掲載されていた11月号を初めて購入して面白いと思ったので、続けて買っている)。《SFM》のバックナンバーが徐々に集まっていくのがとにかくうれしかったなあ。『はみだしっ子』を知り、夢中で読みふけったのもこの頃だ。特に5巻「奴らが消えた夜」と6巻「裏切者」は大好きで何度も読み、涙した。今でも仕事で何か報われないことがあると、「よくやったことの報酬は、それをよくやったことだけさ」と心でつぶやくことは多い。映画『2001年宇宙の旅』のリバイバル公開もこの頃。2月25日に観に行って、大変感銘を受けた。こんな生活なので勉強はほとんどしていなかったが、何とか我々二人は公立高校(千種高校と明和高校)に合格し、4月より晴れて高校生となった。自分は国鉄と地下鉄の乗り換え駅が千種だったので、毎日ちくさ正文館に寄れるようになる。これが一番うれしかったことかもしれない。

 4月には中学時代の友人O部とともに、3度目のスペース・フォース例会に出かけている。O部は中部工大付属高校に入学しており、そこでSF好きの友人を早速見つけたようで、5月には、その友人を連れてスペース・フォース例会に出かけている。その友人こそが今でもつきあいが続いている原科(「TORANU TあNUKI」初代編集長)である。最近のアンビ例会で原科と最初に出会ったのはいつだろうという話題が出ていたので、ここにきちんと記しておく。1979年5月20日、何と今から33年近く前(!)のことである。

 さて、当時の例会の様子はと言うと、スペオペの会なので、あまり本格SFの話はできず、漫画やアニメの話が多かったと記憶している。ガンダムの放映も始まっていたので、設定書のコピーなどが出回っていたものだ。当時の中心メンバーはおそらく最年長だった小川さん(ダイナ☆コン20実行委員長)、高校生だった渡辺さん、後に神北恵太の名で知られるようになる内田さん(ダイナ☆コンEX実行委員長)、などなど。特に内田さんは当時からアニメックに名前が載るなどして、アニメファンの間では知られた存在であった。何度か例会に参加して割となじんできた8月の半ば、その月末に名古屋で開かれるSF大会(メイコン3)に参加することになっていた我々に、小川さんから命令が下る。会誌《Great Admiral》を増刷せよというのだ。たった30部とは言え、コンビニもコピー機も存在しない1979年に、高校1年生にそんなことができるのか? 地獄の3日間の始まりであった……。(続く)