『世界の終わりのサイエンス』トマス・パーマー2012-12-29 21:50

 ようやく今日から冬休み。まずは家の片づけをする。本を少し減らそうと思って、未読の本を読んで処分しようという大それた計画を立てたのだが、なかなか進みません。

 まずは、ずっと気になっていたトマス・パーマーの『世界の終わりのサイエンス』を読んでみる。1992年12月刊行の本なので、ちょうど20年前だ。いったいどれだけ積んでおいたのか。

 コネチカットの海岸のそばの一戸建てに妻子とともに住み順風満帆の人生を送っていた主人公ロックランド・プールは、ある日「境界線」を超え、今までいた世界とは別の世界に入り込んでしまう。そこは事務机と椅子、ベッドが置かれたバスルームつきの部屋で、窓はどこにもない。四方を廊下が取り囲んでおり、どこへも出ることはできないのだ。朝になるとマックと呼ばれる男が朝食を持ってくるが、彼がどこから来て、どこへ戻っていくのかはわからない――。こんな不条理な設定で始まる物語は、少しずつ謎を明かしながら、螺旋を描くようにゆっくりと進んでいく。プールは現実に戻ったり、また別の世界をさまよったりしながら、序々に自分の役割に気づいていくが、その先には恐ろしい惨劇が待っていた……。

 中盤の入江の世界でのプールの悪夢のような体験が圧倒的な迫力で印象に残る。それに比べれば、終盤の惨劇は規模こそ大きいが、さほど実感を伴って迫っては来ない。作者の主眼は惨劇そのものではなく、惨劇の再現を恐れる人々の不安を描くことにあるようだ。現実のゆらぎ、現実と悪夢は紙一重であること、非現実的状況に直面したときの人間の様々な気持ち(否定、表面的な理解、不安)を主に描いているという点で、本書は厳密な意味でのサイエンス・フィクションとは言い難い。しかし、良質なサイエンス・フィクションは、非現実の不条理と恐ろしさをもその中に含んでいるはずであり、また本書が非現実的状況を理性的に理解しようとする姿勢を崩していない以上(もちろんそれは成功しないことが運命づけられているのだが)、本書とサイエンス・フィクションが重なり合う部分は多いと言える。文章も上手く、読んで損はない。SFファンにとっても十分に楽しめる文学作品である。

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