名古屋SFシンポジウム詳細2014-07-26 17:54

遅ればせながら名古屋SFシンポジウムの詳細です。

名称:名古屋SFシンポジウム

主催:椙山女学園大学国際コミュニケーション学部

共催:名古屋SFシンポジウム実行委員会

日時:平成26年9月27日(土)午後2時~5時30分

場所:椙山女学園大学(星ヶ丘駅より徒歩10分程度)

参加費:無料

テーマ:SFから世界へ

内容:パネル1「SFと翻訳」
    パネリスト 中村融(翻訳家)
            大野典宏(翻訳、テクニカルライター)
            舞狂小鬼(SF研究家)
       司会 長澤唯史(椙山女学園大学教授)

    パネル2「アニメ漫画の中のSF」
    パネリスト 八代嘉美(京都iPS細胞研究所特定准教授)
            山川賢一(評論家)
            片桐翔造(SF研究家)
            伊部智善(名古屋大学SF研究会)
        司会 渡辺英樹(SF研究家)

以上は予定です。変更もあり得ますので、ご了承ください。

ジョー・ウォルトン『図書室の魔法』2014-06-01 19:21

 舞台は1979年のイングランド。ウェールズで暮らしていた15歳の少女モルは一卵性双生児だが、双子の妹を事故で亡くしたばかり。普段から折り合いの悪かった母親が情緒的に不安定となったため、かつて母と子を捨てた父親の家に行くことになる。それまで会ったこともなかった父親の家には三人の伯母が同居しており、厄介者のモルは学校の寄宿舎で暮らすことになった。そこは上流家庭の子女が通うお嬢様学校であり、少数の友人はできるものの、基本的にモルにとっては居心地の悪い場所でしかない。もともと『指輪物語』とSFが大好きなモルは図書館に入り浸り、SF好きな父親の影響もあって、SFを中心とする読書に夢中になる。モルは、やがて外部の読書クラブの存在を知り、毎週の討論会を楽しみにするようになる。そこで同じSFファンの男の子ティムと親しくなっていくモルだが、実は彼女には驚くべき秘密があった……。読書好きな人、とりわけ子ども時代に周囲に違和感を感じ本の中にのめり込んだ経験を持つ人にとって、本書はとても共感できる一冊である。

 作者は1964年生まれだから、1979年には主人公と同じ15歳。モルの造形には自身の体験が濃厚に反映されているのだろう。ル・グイン、デイレーニイ、ゼラズニイらの著作に15歳という多感な時期に出会い夢中になったのは、主人公だけでなく、おそらく作者自身でもあるはずだ。個人的な話になって申し訳ないが、作者と1年違いで1979年に16歳だった筆者も、同時期にモルと同じ本を読んでSFに取り憑かれてしまった一人である。これは本当に当時の翻訳出版状況(と翻訳者の方々)のおかげなのだが、たとえば本書に登場する『アンバーの九王子』『天のろくろ』『エンパイア・スター』などはすべて78年~80年に刊行されているので、本当に筆者とモルは同じ本をほぼ同じ時に読んでいたことになる。当時は折からのSFブームのおかげで英米SFの話題作はリアルタイムか、やや遅れて紹介されていたのだ。本書を読むことは、まさしく自分の読書遍歴を辿ることに他ならず、実に奇妙な感じを受けた。しかも、自分はたまたま一卵性双生児であり、双子の妹を亡くした主人公の気持ちも痛いほどよくわかる。モルが他人とは思えなかった所以である。ただし、自分の立ち位置はモルよりはそのボーイフレンドのティムに近い(特にあまり読まずにハインラインを馬鹿にしているところなど)。「ハインラインはファシストなんかじゃない。人間の尊厳や責任、誠実さや義務感といった昔ながらの価値観がどれほど大切か、作品の中で訴えているだけよ」というモルのセリフには、今さらながら、はっとさせられた。

 つい横道に逸れてしまったが、本書の主題は、母との確執並びに妹の死の克服という重いテーマをファンアジイの形で描くところにある。モルには実はフェアリーが見えるという無茶な設定はおそらく妄想だろうと思って読んでいったのだが、あにはからんや、良い意味で予測を裏切る展開であり、結末であった。SF/ファンタジイ以外にもシェイクスピアなど文学への言及も多く、たとえ嗜好や過ごした時代は違っても、思春期に読書に夢中になった人なら必ず楽しめる一冊だと思う。

イアン・マクドナルド『旋舞の千年都市』2014-05-25 22:28

 本書は、近未来のイスタンブールを舞台に、心臓病のため聴覚を遮断されている子どもジャン、テロを間近で目撃して以来精霊(ジン)が見えるようになった青年ネジュデット、かつては反政府運動の闘士として活動した過去を持つ元大学教授ゲオルギオス、画廊を営む美術商の女性アイシェと遣り手のトレーダーである青年アドナンのカップルなど、様々な地位と年齢の人々の、月曜日から金曜日、即ちわずか5日間の出来事を描いた物語である。

 ストーリイの主軸は二つ。一方はテロに巻き込まれていく子どもジャンと青年ネジュデットの物語、もう一方はイスタンブールに存在したと言われる伝説の「蜜人」を巡るアイシェたちの物語だ。前者は、ジャンが作った群遊ロボットのカメラアイを通じて空間を超え、後者は「蜜人」を追い求める過程で東洋と西洋を結ぶ古都イスタンブールの歴史を浮かび上がらせる。横軸と縦軸、空間と時間の広がりを背景に、ナノテクノロジー、行動経済学、群遊ロボットなど数多くのアイディア、ガジェットが詰め込まれ、現在形の動詞を主とした短文を積み重ねたリズム感溢れる魅力的な文体(これは翻訳の力が大きい)で語られている。

 マクドナルドの作家的な立ち位置は、西洋の近代合理主義をケルトやインドやトルコといった、非西洋の立場から見つめ直し、問い直そうというものだと理解している。単純に土俗的なものの勝利で終わるのではなく、西洋と非西洋が入り混じり、土俗とテクノロジーが融合していく、その混淆をこそマクドナルドは好んで描く。そうした意味で、本書の舞台がイスタンブールとなるのは、必然でもあった。

 最初のうちは登場人物も多くエピソードがばらばらで、すぐに場面転換してしまうので、読み進めるのが辛いけれど、それを乗り越えてしまえば(木曜日あたりから)、読者はぐいぐいと物語に突き動かされ、感動の結末へと辿り着く。『サイバラバード・デイズ』のように人間性を超えた彼岸を目指したのではなく、あくまでも男女を巡る人間的な、あまりに人間的な結末に少々不満は残るが、これだけ楽しませてくれたのだから、文句は言うまい。後は、イスタンブールの熱気が直に伝わってくるかのような緻密な描写に随分と酔わされた。筆者は十数年前にイスタンブールを一度訪れたことがあるが、本書を読みながら、その時の街の様子、朝の空気がまざまざと蘇ってきたのには驚いた。マクドナルドの描写力というか文章力は、かなりのものだと思う。さらに、詳細が書けないのが残念であるが、筆者も幼少時に観ていた某海外アニメが最後に重要な役割を果たしているのも、個人的にはうれしい驚きであった。何はともあれ、創元海外SF叢書第一弾にふさわしい、必読の力作である。

鈴木創『なごや古本屋案内』2014-04-29 06:45

 ちょっと古いが、2013年11月に地元名古屋の風媒社から発行された本。中学1年のときから鶴舞・上前津といった名古屋の古書街に足繁く通い、高校生のときには自らの進路を語る3分間スピーチで「古本屋になりたい」と言い切った筆者にとって、本書は見逃せない一冊だ。

「なごや」と言いながら実際には愛知・岐阜・三重を幅広くカバーしているため、本書に登場する古本屋をすべて知っているわけではない。また、自分に興味のある分野は限られているため、実際に本書を見てこの古本屋へ行こうということはあまりないだろう。それでも、本書が読んでいて面白いのは、店主のインタビューを中心としているために、店主の本に対する思い、古本屋への思いが直に伝わってくるところである。多くの同種のガイドブックは、当たり前だが、そこがどんな本屋でどんな本を扱っているかということを中心としている。というか、それしかない場合がほとんどであろう。編著者の鈴木さんは自ら「シマウマ書房」という古本屋の店主であり、他の店主への敬意を払ってインタビューに臨んでいることが文章からもよくわかる。そうか、あの店にはこんな経緯があったのかとか、おお、あの人がこんなところで店を開いているとか、この辺りの古本屋をよく知る者にとっては驚きに満ちているし、そうでない人にとっても、古本屋というものを理解する一助となるはずだ。清水良典、諏訪哲史といった地元在住の評論家、作家が古本屋に関するエッセイを寄稿しているのも読んでいて楽しい企画となっている。SFファンにとっては、地元のBNF岡田正哉氏が30年前の名古屋の古本屋を紹介するエッセイが読めるのがうれしい贈り物だ(高井信さん、ありがとうございます)。

 中学生の頃、なけなしのお金をはたいてCOMを買った山星書店。つたや書店では、SFマガジンのバックナンバーを大量に買い込み、自転車の荷台にくくりつけて帰った。ブラックユーモア全集を揃いで買った大学堂。煙草の匂いがしみついたハヤカワ文庫の中からちょっとでもいいものを選んで買った千代田書店。春日井で営業していた椙山書店が店を閉める時には、本棚をたくさん貰って帰った(今目の前にあるのがそれだ)。海星堂に、自分が作った同人誌が売っていた時にはびっくりしたなあ。シマウマ書房で綺麗なアメージングストーリーズ日本語版を一挙に6冊購入した時は手が震えたよ。想い出を書き出せばきりがない。本書を読むことは、自分にとって人生を振り返る旅でもあった。

関根康人『土星の衛星タイタンに生命体がいる!』2014-04-27 13:21

 2010年6月に小惑星探査を終えて地球に帰還した探査機「はやぶさ」のニュースは記憶に新しいと思う。「はやぶさ」が小惑星イトカワに着陸したのは、帰還から5年遡った2005年5月のこと。実はその半年ほど前、2004年12月にNASAのカッシーニ探査機が土星系に到着していたのだが、このことを覚えている人はどのくらいいるだろうか。筆者にとって衝撃的だったのは、着陸機ホイヘンス(こちらは欧州宇宙機関ESAが開発した)が送ってきた土星の衛星タイタン地表の画像だった。何とそこには地球とよく似た川や海が映っていたのである。しかも、ホイヘンスが着陸した地点は、石がごろごろ転がる地球の河原に酷似していた(写真参照)。むろん、太陽から14億キロ以上離れ、最高気温がマイナス100度Cのタイタンに液体の水は存在しない。これはメタンの海や河川であり、メタンが地表を浸食した結果の地形である。タイタンに大気があることは知っていたのだが、まさかこんなにも地球とよく似た地形になっているとは思わなかった。当時ものすごく興奮し、日本で報道の扱いが小さいのに憤った記憶がある。

 さて、本書(2013年12月発行、小学館新書)は、そのタイタンがなぜこんなに地球とよく似た地形になったかの謎を解き明かしてくれるだけでなく、太陽系内の他の惑星や衛星の成り立ちから始まって、惑星探査の歴史を辿り、それぞれの惑星や衛星における生命体存在の可能性を探った、良質の惑星科学解説書となっている。特に印象的なのは、2章で紹介される2種類の「ハビタブルゾーン」という概念だ。地球に存在するような生命が生きていく環境には、太陽光の日射エネルギーによって惑星表面に液体が存在する太陽加熱型ハビタブルゾーンと、潮汐による摩擦エネルギーで液体が内部に存在する潮汐加熱型ハビタブルゾーンとがある。分厚い氷の下に液体の水を持つ木星の衛星エウロパや、内部の海水を激しく噴出している土星の衛星エンセラダスは、典型的な「潮汐加熱型ハビタブルゾーン」であり、メタンの海を地表に持つタイタンは、地球以外に唯一存在する「太陽加熱型ハビタブルゾーン」だということになるわけだ。地球上の生命が、光合成でできた酸素と有機物を燃やして再び水と二酸化炭素に戻す過程で太陽光エネルギーを取り出しているように、タイタンの生命体は、アセチレンと水素を使ってメタンを作り出す過程で太陽光エネルギーを利用しているのではないか、と科学者達は推測している。カッシーニの観測結果もその説に沿ったものであるが、生命以外のプロセスで結果が生じている可能性もあるので、今後の探査を待つしかないというのが本書の結論である。従って、題名の「いる!」は「いる!?」が妥当であろう。

 それにしても、本書で想像されている、大気中を飛び回るタイタンの生命体の姿は実に面白い。これはもはやSFの面白さとほとんど同じである。実際、本書の中では、エウロパの生命体を考察する際に、クラーク『2010年宇宙の旅』の一場面が挿入されたり、タイタンの地表を、ヴォネガット『タイタンの妖女』における描写と比較したり(これがまたぴったり一致しているのだ!)、自然にSFと科学解説が入り混じっていて、その自由闊達さも本書の魅力の一つとなっている。SFファンにはぜひ一読をお薦めしたいし、そうでない人にも十分楽しめる、初心者向けの良書である。