萩尾望都『マンガのあなた SFのわたし』2012-03-10 21:21

 2012年2月28日発行の最新刊ではあるが、内容は1976年から1978年にかけて萩尾望都が行った対談を主とし、羽海野チカと行った語りおろしの最新対談をおまけとして収録した対談集である。

 『ポーの一族』が終了し、世のSFブームに呼応するかのように、萩尾望都が『百億の昼と千億の夜』や『スター・レッド』を連載している頃、即ち執筆活動が思い切りSFに振れている頃の対談であり、自分の世代には実に懐かしい内容となっている。ちょうど今自分が70年代後半の漫画状況、SF状況を振り返ってまとめている最中でもあり、そうした点からも興味深く読むことができた。石森章太郎ですら「SFのおもしろさはこういうスケールの大きさなんだよな、でもなかなかそういうスケールが、みんなに受け入れられないんだよ」と愚痴っていたりして、まだまだ当時のSFマンガが少数派であったことがうかがえる。手塚との対談(《別冊新評・SF新鋭七人特集号》掲載)、石森との対談(《マンガ少年》掲載)は1977年当時読んでいたので部分的に覚えていたが、小松左京との対談は初見。『日本沈没』上巻を読んだ後で萩尾望都の目が悪くなったなんて知らなかったなあ。1973年3月よりも後だから、『小鳥の巣』の後ぐらいか。ファンならよく知っているように、1973年~74年にかけて萩尾望都の絵柄は激しく変化している。これは『トーマ』の週刊連載の忙しさのせいだと思っていたのだけれど、ひょっとしたら、この目の悪化も影響しているのかもしれない。他にも、萩尾望都は藤岡琢也のファンだったとか、『ガラスの仮面』のアシスタントをしたため背景にタダとフロルが登場していたとか、面白ネタ満載。萩尾望都が吸血鬼に興味を持ったのは、石森「きりとばらとほしと」からだと自分は思い込んでいたのだが、実は横山光輝の『紅こうもり』からだったということもわかった。収録されたカットがきちんと初出時のものになっているなど、編集も丁寧で好感が持てる。これは、「図書の家」という萩尾望都研究室の協力によるものであろう。ただし、最初の人物紹介に生年しか記入していないのはいただけない。8人中4人は既に亡くなっているというのに、これではまだ生きているみたいに見えちゃうよ。何はともあれ、萩尾ファン必読の一冊である。

「図書の家」URL
http://www.toshonoie.net/hagiken/index.html

 羽海野チカのことはよく知らなかったのだが、対談を読む限り、熱烈な萩尾ファンであり、萩尾望都が手塚・石森・矢代まさ子などの先人から学んだように、萩尾望都から多くのことを学んでいる様子が伝わってきて微笑ましく感じられた。『ハチミツとクローバー』読んでみようかな。

永井豪『鬼 ―2889年の反乱―』2012-02-19 23:01

 『ジェノサイド』を読んで、大量虐殺を続ける人間のどうしようもない愚かさを描いた作品をいろいろと思いだしていたのだが、やはり自分の根本にあるのは永井豪の『デビルマン』ではないかという結論に達した(もちろんアニメではなく「少年マガジン」に連載された原作の方)。

 この作品の衝撃というのは凄まじく、今でも人間が馬鹿なことばかり繰り返していると(イスラエルがイランを攻撃すると脅したりね)、「お前らこそが悪魔だ」「地獄へ堕ちろ人間ども!」という5巻のセリフが見開きで炎を吐きだすデビルマンの姿とともに頭に浮かんでくるほどである。人間の敵として迫害されるデビルマンこそが人類の救世主であり、人間が悪魔そのものに見えてくるという逆転の発想に、小学生だった当時の自分は心の底からしびれてしまったわけだ。そして初期の設定をことごとく否定し、真実へとたどりつくまでの謎に満ちた後半の展開も実にスリリングであった。昔からあの展開はいつから考えてあったのだろうと不思議に思っていたのだが、永井豪がデビルマン執筆時を振り返る半自伝的マンガ『激マン!』が現在5巻まで刊行中であり(2010年5月~『漫画ゴラク』にて連載中)、これを読むと当時の様子が実によくわかる。飛鳥了が実は××だったという展開はやはり最初からの構想ではなく、後から思いついたものであったらしい。途中で思いついたにしては、このアイディアは完璧な着地点である。傑作が生まれるときというのは、こういう奇跡の瞬間があるものなのだ。後半の怒濤のような展開も、実は連載打ち切りを数カ月延ばしてもらってやっと描き上げることができたものだったという顛末が語られており、永井豪ファンというか、『デビルマン』ファンは必読の内容となっている。ただし、これ、半分ぐらいは『デビルマン』の内容を描き直しているので、既に単行本を持っている読者には無用の長物だし、これで初めて『デビルマン』を読む読者がいたらちょっと可哀想である。何といっても、『デビルマン』後半の魅力の大きな部分は、連載当時でなければ永井豪が描き得なかった、熱気のこもったダイナミックな画風にあるのだから。

 さて、前置きが長くなってしまったが、永井豪が初めてシリアスなSFに取り組んだとされる作品が「鬼 ―2889年の反乱―」(1970)である。人間の奴隷として虐待を受けてきた合成人間である「鬼」が人間に対して反乱を起こす物語であり、鬼の人間に対する問いかけ――「俺の心を鬼にしたのは誰だ?」というセリフは、デビルマンの人間に対する呪詛――「お前らこそ悪魔だ」というセリフと明瞭に響き合っている。結末は、人間への復讐を続ける鬼が、これでは自分も人間と同じではないかと気づく場面で終わっており、「1970年1月1日、未来人が鬼によせた偏見と侮蔑、それとまったくおなじ行為がおこなわれていないと断言できる人はいるだろうか」と作者は突如現代へと批判の矛先を向ける。さらに畳みかけるように作者は「あなたの一つ一つの行為が、未来においてだれかをおいつめ、だれかをあのはてしなき殺戮にかりたてようとしてはいないだろうか…」と書くのだが、こういう読者への問いかけで終わる漫画って、今はもうないよね。これから40年以上が経過した今でも、世界情勢は全く良くなっていない。ということはこの作品の狙いは今でも有効ということだ。未読の方はぜひご一読あれ。

長谷邦夫『あるマンガ家の自伝 桜三月散歩道』2012-01-08 23:00

 もはや少なくなってきたトキワ荘時代の生き残り、パロディ漫画製作者にして漫画界の生き証人、長谷邦夫の自伝である。2012年1月10日発行だから、まだ出たばかり。水声社刊なので、あまり普通の本屋には置いていないかもしれないが、アマゾンで入手可能である。

 先日実物を石ノ森萬画展で見てきたばかりの『墨汁一滴』について、なぜ2号の版型が横長だったのかも本書を読んで謎が解けた。何のことはない、郵便で回覧していたので版型を小さくして郵送料金を安くあげようとする工夫だったのだ! 本書にはこうした現場にいた者でないとわからないような細かいエピソードが無数に散りばめられており、著者の記憶(記録)の細かさにはいつも感心させられる。石ノ森、赤塚との出会い、手塚治虫の仕事場への訪問など漫画黎明期のエピソードについては、『漫画に愛を叫んだ男たち』(2004年、清流出版)に既に詳しく語られており、そちらを読んだ方が面白い。赤塚との共同作業、そして別れに至るまでも詳細に綴られており、漫画ファン必読の名著と言えよう。それに対して本書は「自伝」と銘打ってあるだけに、何にでも興味を持ち渦中へ飛び込んでいく著者の性格のまま、題材は漫画だけでなく、SF、ジャズ、現代詩、演劇、映画とどんどん広がっていく。山下洋輔トリオとともにドイツへ出かけた話など個々のエピソードは実に面白いのだが、話があまりに広がり過ぎて、時間が飛んだり戻ったり、話が横へそれたりして、まとまりがついていない。ちょっと読むのはしんどかった。それが人生だと言われればそうなのだが、せめて章立てをジャンルごとにして読ませるとか、工夫があってもよかったのではないだろうか。全体を損なうほどではないのだが、『猿人ジョー・ヤング』と『キング・コング』のストーリーを混同していたり(227頁)、『漫画少年』がB4判で刊行されていたり(53頁)、室町書房のSFシリーズが1965年に刊行されていたり(104頁、正しくは1955年)、結構あちこちにケアレスミスがある。これらは編集がちょっとチェックをすればわかることなので、全体の構成もそうなのだが、赤塚のブレーンとチェックを長谷が務めてきたように、長谷のチェック役が誰かいれば、もっとよい本になったのではないかと思わされた。

 その点、前述の『漫画に愛を叫んだ男たち』は漫画について絞ってコンパクトにまとまっており、本書を読む前に、まずはこちらから読むことをお薦めしたい。アマゾンでまだ入手可能である。

手塚治虫記念館・石ノ森萬画展2012-01-06 19:23

 日帰りで妻と二人で手塚治虫記念館に行って来た。前に行ったのは1999年の2月だったので、もう13年も前のことになる。記憶はもはやおぼろげで、宝塚駅から「花のみち」を通っていくのだが、こんな道あったっけ? という感じである。火の鳥のモニュメントも建っていて、うーん、全然覚えがないなあと思っていたら、これは前回はありませんでした。覚えてなくて正解である。

 1階の展示は前回とほぼ変わらず。今回の目的は2階の企画展示室で2月20日まで行われている「萬画 ~石ノ森章太郎の世界~」を見ることだ。ホントは石巻の石ノ森萬画館まで行けばいいのだろうが、やはり東北は遠すぎる。まずは近くで行われている展示を見ておこうと思ったのだ。何があるのかは全く知らずに行ったのだが、これが結構拾い物。石ノ森が高校時代に作っていた肉筆回覧同人誌「墨汁一滴」や、石ノ森が寺田ヒロオに技量を見てもらうために送った作品など、結構貴重なものが展示されている。「墨汁一滴」の6号は普通のB5サイズなのだが、2号とかはその半分の横長のサイズで作られていることに驚く。しかも、漫画だけでなく、石ノ森による絵つきのエッセイがあるではないか。まあ、私のような筋金入り石ノ森ファン以外にはあんまり面白くないかもしれないが、哲学者の言葉を引用しながら青年らしい悩み(自分は「見栄」をはることは嫌いなのに、つい自分自身が「見栄」をはってしまうことがあっていやになる、等々)を綴っているのが興味深く、印象に残った。生原稿も多く展示されており、昔から見てみたいと思っていた石ノ森アシストによる「鉄腕アトム・電光人間の巻」の原画も数ページ展示されている。生で見ると、明らかに人物も石ノ森が描いているところがあるのがよくわかる。背景だけの指定でアシストを頼んだのに人物まで入れて仕上げたのだから、手塚治虫もこれにはびっくりしただろうなあ。

 通常は手塚作品を上映しているアトムビジョン(ミニ劇場)でも、石ノ森作品を二つ上映していた。一つは石ノ森チビッコキャラ総出演のコメディ「消えた赤ずきんちゃん」、もう一つはあの名作「龍神沼」だ。前者は話はシンプルだがテンポが良く、作画も丁寧でまずまずの出来。後者は、原作のイメージが強烈なのに、同じ方向を目指してしまったため見事に失敗している。ただ原作を表面的になぞっただけの絵コンテ、一部デッサンが狂い統一感のない作画、これでは褒めようがない。どちらもマッドハウス製作なのだが、演出の差ということか。製作者には失礼な言い方になってしまうが、この「龍神沼」の映像によって、原作を知る者は「龍神沼」という漫画自体が極めて強い映像喚起力を持つ傑作であったと改めて気づくことになるだろう。石ノ森の『マンガ家入門』でも、確かこの作品が全編再録されて氏自ら作品の意図を明かしていたと記憶しているが、それだけ作者にとっては自信のある作品だったにちがいない。レイ・ブラッドベリは傑作短編「みずうみ」を書き上げたとき「自分はこれまでとはちがうことをしたのだとわかった」(『ブラッドベリ年代記』)と語っているが、石ノ森にとっての「みずうみ」こそ、この「龍神沼」だったのではないだろうか。

 石ノ森については、まだいくらでも書きたいことがあるのだが、今回はこれくらいで。昨年12月に出たばかりの長谷邦夫の自伝『桜三月散歩道』(水声社)にも石ノ森章太郎との思い出が書かれている。同書は宇宙塵の例会写真なども収録しており、漫画ファンだけでなく、SFファンにも興味深く読める内容となっているので、このブログを読んでいるような方にはぜひお薦めしておきたい。