ベン・シャーン展2012-02-26 09:28

 名古屋市美術館でやっているベン・シャーン展を観てきた。

http://www.art-museum.city.nagoya.jp/tenrankai/2011/benshahn/

 ベン・シャーンと言えば、社会派の画家で、フランスでの冤罪事件であるドレフュス事件やアメリカ最大の冤罪事件であるサッコとヴァンゼッティ事件について描いた作品や、1954年に第五福竜丸に乗っていて核実験により被爆して漁師が亡くなった事件を描いた一連の作品(ラッキー・ドラゴン・シリーズ)で知られている。今回の展示は「クロスメディア・アーティスト」と題して、写真やロゴ・アートなど、絵画以外のベン・シャーンの知られざる側面に日を当てようという企画のようだ。

 ニューヨークの労働者を撮った写真や、インドネシアから香港、そして日本へと旅した際のスナップ写真などが多数展示されており、写真をもとにした絵画と並べて展示されているので、ベン・シャーンがどのように写真を誇張し、変形して作品を創りあげていったのかがよくわかる。写真の腕はプロ級であり、ひょっとしたら絵画よりもいいのではと思わされるほど、対象に入り込み、見事な構図で被写体を写し出している。この写真を見るだけでも展示を観に行く価値はあるだろう。自分は、昔からベン・シャーンの線画が好きで、半紙に描かれた書のにじみのようにも見える、あの震えるような繊細な、それでいて力強い線に惹かれていた。今回の展示でロゴ・デザインを手がけていたり、日本の書にも深い関心を抱いていたことを知り、絵画というよりは、絵の中に盛り込まれたメッセージを表す一つ一つの文字や一本一本の線にこそベン・シャーンの本質はあるのではないかと思わされた。

 というような感想を書いてアップしようとしていたら、今日の朝日新聞朝刊で、名古屋の後に予定されている福島県立美術館でのベン・シャーン展に、アメリカの美術館所有の絵が多数展示されないという記事を読んだ。

http://www.asahi.com/national/update/0225/TKY201202250463.html

 これはひどい。「芸術家が作品に込める意志は尊重するが、今回は作品の安全を優先した」と美術館側は語っているが、もしもベン・シャーンが生きていたら、自分の作品が原発の被害に遭った人々に観てもらえることこそが何より大事なことであって、作品が観られる機会を奪われることは決して望まないと思う。作品は人に観られてこそ価値を生むのであって、その逆ではない。後生大事にしまい込むことが果たして正しい選択だろうか。しかも、展示は福島市であり、原発からも50キロ以上離れている。避難地域ではないのだし、人々はそこで生活している。そこでの展示を拒否するというのは、いったいどういうわけなのか。自分がこの種の芸術家なら、たとえ作品が放射能でダメになるとしても、原発のど真ん中に自分の作品を置いて皆に観てほしいと思うよ。それぐらいの意気込みがなければ、アーティストが反核作品を描く意味はないのではないか。芸術を侮辱したかのような美術館側の行為は決して許されるものではないと自分は考える。