ケン・リュウ『蒲公英王朝記 巻ノ一 諸王の誉れ』2016-05-04 10:13

 つねづね『項羽と劉邦』の面白さは項羽と劉邦、二人の対照の妙にあると思っていた。由緒正しい家柄で丈夫に恵まれ高い戦闘能力を誇る項羽、農民出身で気品など全くない豪放磊落な性格である劉邦、この二人が最初は共に共通の敵秦国と戦い、ようやく秦を滅ぼしたと思った後、敵味方に別れて天下を争う戦いへと突入する。圧政に対する小さな反乱から始まる、この壮大な歴史の流れは、司馬遷の『史記』によって日本へと伝わり、司馬遼太郎の小説、横山光輝の漫画等々を通じて幅広く人口に膾炙している。少なくとも『三国志』よりは史実としての信頼性が高いと思われているためか、中学高校では今でも国語や漢文の授業で「四面楚歌」「鴻門の会」が扱われており(『三国志』が扱われることはまずない)、項羽と劉邦、二人をめぐる物語に親しむ素地は、日本では十分整っていると言える。

 ケン・リュウ待望の第一長篇『蒲公英王朝記 巻ノ一 諸王の誉れ』は、この項羽と劉邦の物語を、架空の世界に置き換えて、巧みに変奏してみせた力強い物語である。最初に断言しておこう。本書の面白さは圧倒的である。ケン・リュウは洗練された筆力で、もともと魅力的である歴史と人物造形を磨き上げ、神々の視点や科学技術上の改変点(この世界では、飛行船が空を飛び機械仕掛けの凧が滑空する)を付け加えているのだから、これで面白くならないわけがない。読者は、秦の始皇帝に当たるマピデレ皇帝の暗殺失敗から始まる物語にすぐに引き込まれ、項羽に当たるマタ・ジンドゥ、劉邦に当たるクニ・ガルの成長を見守りつつ、彼らとともに喜び、ともに涙することになるだろう。登場人物が多数登場するが、ザナ帝国対叛乱軍という図のどこかに収まっているので、基本的な構図さえ押さえておけば混乱することはないはずだ。秦帝国滅亡のきっかけとなった陳勝・呉広の乱も、クリマとシギンがきちんと再現している。有名な魚の予言まで取り入れているので、忠実な再現ぶりに最初は驚かされたが「本歌取り」とはそもそもそういうもの。大事なのは、本歌を踏まえた上で、どこまで作者の持ち味が発揮できるかだろう。『巻ノ一』は叛乱の序盤をほぼ正確に辿っているが、結末付近で意外な事件が起きており、ここからがますます面白くなりそうな展開となっている。まだまだ原書の半分。『巻ノ二』に大いに期待したい。

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