私的名古屋SFファンダム史08(1979)2012-03-14 20:03

 ちょっと間があいてしまったが、前回の続き、時は1979年8月22日である。この年の8月25日と26日には日本SF大会が名古屋で開かれることになっており、そこで販売するため、スペース・フォース東海ベース正会誌《Great Admiral》を増刷するよう、我々高校一年生軍団に命令が下った。
 
 当時はコンビニもなく、PPCコピー機(現在の白黒コピー機)などは普通の高校生の出入りするようなところには存在していなかった。《Great Admiral》は、青焼きコピー機(湿式ジアゾ複写機、上の写真参照)で印刷したものを折り曲げて自分達でホチキスで製本していた。それまでは大学生の人達が印刷していたのだが、まあ多分面倒くさくなって、高校生になった我々にやらせようということになったのだろう。しかし、押しつけられたこちらもいい迷惑である。そもそも、青焼きをどこでどうやってやればいいのか全くわからないのに、残された期間は3日間しかない。どうすればいいのだ。いや待て、確か学校になら青焼きコピー機があるはずだ、というわけで、まずは原科の友人Fくんが通っていた向陽高校へと我々は向かった。メンバーは自分、大矢くん、Fくんの三人である。睦夫は確か吹奏楽部の練習で来られなかった。さて、向陽高校へ行ったはいいが、見事に断られ(当たり前だ)、いきなり入った近所の印刷屋でも断られ(これも当たり前)、自分の通う千種高校に電話をしたら、生徒会室のコピー機を使うならという条件で奇跡的にOKが出た。自分は千種の生徒で印刷をしたいのですが……という具合に部外者が入ることは一切触れずに頼んだのが功を奏したのだろう。早速鶴舞から一社まで行き、千種高校へ。急いでいるので昼食抜きである。誰にも見られないように、こっそり三人で生徒会室へ向かう(当時の先生方、ゴメンナサイ)。夏休みなので誰もいない。機械の使い方がわからず、やたらと液をこぼしたり、漏電したりする。困っていたところへ生徒会の女の人が来て、親切にもやり方を教えてくれた。しかし、紙がなくなり、初日はここまででアウト。
 
 23日。同じメンバーで再度千種高校へ。10時半ごろから印刷を開始。この日も昼食抜きで、ひたすら青焼きコピーをする。一枚ずつ原紙を差し込んで印刷するので、とにかく時間がかかる。現像液も紙もなくなるので、買いにいったりして、4時まで立ちっぱなしで作業し、何とか40部の印刷が終了する。疲れに疲れた。

 24日。製本がまだである。原科と自分がFくんの家に行き、ひたすらホチキスで製本する。昼ごろ完成、すぐに名古屋に向かい、スペース・フォースの人達に渡す。やれやれ、やっと終了。達成感というよりは、これで明日からのSF大会に安心して参加できるといううれしさしか記憶にない。こうした下請け作業は創造性に欠け、自分達の表現したいことが全くできていないので、自分にとっては苦痛でしかなかった。この思いが後に、自分達の手による自分達のためのグループを作ることにつながっていったのである。次回は初参加した日本SF大会(メイコン3)について書くことにしよう。(続く)